第36話
〇〇〇〇〇
星野教授が今朝の記者会見で、ゼロ型が初めて見つかったことについて発表した。だからと言って、紗雪の日常に特別な変化はないのかもしれない。
でもこのまま学校内だけで認知されるよりは、公にした方が良いと紗雪は思った。もしかしたら、今後も自分と同じゼロ型の人が現れるかもしれない。その時の為にも、何かしらの対策を講じるのは良いことだと紗雪は思っている。
いつも通り皆の通学時間より少し早めに学校に着いた紗雪は、教室のドアに手をかけた。
おそらく今日も夏月がいるはず。ここ最近、ずっと夏月は紗雪よりも早く学校に来ていた。明確な理由はわからない。だけどもし自分が夏月の立場だったら。それを考えれば、自ずと答えは予想できた。
ドアをスライドさせた紗雪は視界に入った人物を見て、思わず口をポカンと開けた。
目の前にいたのは、夏月ではなく有香だったから。
「おはよう。紗雪」
有香の冷めた声を紗雪は無視する。そんな紗雪の態度に有香は舌打ちしながら紗雪に近づくと、わざとらしく鼻で笑った。
「今朝の星野教授の会見、当然見たよね?」
有香を無視し続ける紗雪は、鞄から文庫本を取り出す。そして栞の挟まれたページを開き、文章に目を通そうとした。その瞬間、有香が紗雪の左腕を掴んでくる。想像以上の力に紗雪は有香へと視線を向けた。
「何? その反抗的な目は。話を無視する紗雪がいけないんだろ」
有香は手の力を緩めることなく話を続けた。
「星野教授の会見はゼロ型を擁護するような内容だった。これは自分を守るために仕組んだのか?」
紗雪は掴まれた手を振り払おうとするも、有香は手に力を入れて離さない意志を示す。
「黙ってないで答えろ――」
「違う!」
間髪入れずに答えた紗雪は、無理矢理掴まれた手を振りほどき、有香を睨みつける。
「そういつも私の気持ちを逆なでるようなことして、有香は何がしたいの?」
「何をしたいって……」
紗雪は疑問をぶつけただけだった。しかし紗雪の問いは、有香の逆鱗に触れる。
紗雪の胸ぐらを掴んだ有香は、目を見開いて言い放った。
「紗雪を苦しませたいんだよ」
教室内に有香の罵声が響き渡る。そのとてつもない圧力から逃げようと、紗雪は思わず顔を背けた。しかし有香が逃げようとする紗雪を逃さないとばかりに、掴んでいた手に力を入れて無理矢理紗雪に前を向かせる。
「紗雪の存在は、私のお母さんが苦しむ原因なんだ。紗雪がいなかったら、お父さんはお母さんと暮らしているはずだった。それなのに紗雪がいるから……」
有香は紗雪の胸ぐらを掴んでいた手を離した。突然離されたことにより、紗雪はその勢いで床に尻餅をつく。痛さは感じなかった。それよりも、有香が放つ言葉の応酬が紗雪の胸を抉っていく。
「紗雪の存在は消えないし、消すこともできない。だからせめて紗雪が苦しむことをしてやろうと思った。もしかしたら自分から命を絶ってくれるかもしれないから……母親のように」
母親のように。そう言われたことが許せなかった紗雪は有香を睨みつける。しかし睨みつけるだけで、反論の言葉を言うことができなかった。
実際に紗雪は有香の言う通り、一度は死ぬ決意を固めた。それは紛れもなく、母と同じ道を進もうと思ったから。ぐうの音も出ない正論だった。
「でも、もう死んでほしいなんて思わない。死ぬよりも辛い現実が待っている。紗雪はこの学校にいる限り、ゼロ型としてクラスメイトから扱われる。星野教授の発表なんて何の効果もない。だって私達は、実際にゼロ型の人間がどんな人間か知っている。常に一人でいることを望んで、自分に都合の悪いことは人に擦り付ける。そんな最低な人間がゼロ型なんだって」
有香に突き付けられた言葉を、紗雪は受け止めるしかなった。有香の言うことは全て真実。紗雪が自分で蒔いた種なのだから。
瞬間、教室のドアが開く音が聞こえた。そろそろ登校時間になる頃合い。クラスメイトが来てもおかしくない時間だった。紗雪はドアの方には目を向けず、自分の席に腰を下ろそうとした。しかし有香の一言が、紗雪の身体を瞬時に硬直させた。
「つ、月岡……」
有香の口からありえない言葉が放たれる。
一瞬、幻聴でも聞いているのではないかと思った。太一は未だ目を覚ましていないはずだ。何かあったら、連絡をくれると父は言っていたから。でも、もし太一がいるとしたら。
紗雪はドアの方へ視線を向ける。そこには紗雪にとって大切な人が立っていた。
△△△△△
「着いたぞ、太一」
「ありがとな、手塚」
手塚に預けていた身体を起こした太一は、自分の力で教室に入っていく。目の前には紗雪と有香がいた。
「つ、月岡……」
先に声を発したのは、有香だった。太一の顔を見て驚いている。
「お、おはよう」
有香のことが苦手だった太一は、ぎこちない挨拶をする。
「怪我は……意識不明って聞いてたけど……」
「えっと……今朝、無事に目覚めたんだ。それですぐに学校に行きたくて。手塚に助けてもらいつつ、何とか学校についたって感じ」
有香の質問に答えつつも、太一の視線は席に座っている紗雪に向いていた。
学校に、教室に、紗雪がいる。その事実がとても嬉しくて仕方なかった。
「さ、紗雪……おはよう」
太一は声をかけるも、紗雪は俯いたまま顔を上げてはくれなかった。
「月岡、あんた正気なの?」
「正気って……」
「紗雪は月岡を屋上から突き落としたんだろ?」
「そんなデマ、誰が流したんだ? 俺は自分のせいで屋上から落ちただけだ」
太一の発言に有香は口を開けていた。信じられない。そう言いたげな顔をしている。
登校時間を迎えて、教室内に生徒が徐々に増えていく。ほとんどの生徒が太一の姿を見ては「大丈夫か?」など、心配する声をかけてきた。
太一は周囲を見渡す。生徒がある程度集まったのを確認して、太一は口を開いた。
「みんなに聞きたいことがあるんだ。俺のこと、嫌いな奴いるか?」
突然太一が口にした問いに、皆が一斉に笑い出す。
「何て質問してるんだよ」
「月岡、頭打っておかしくなったんじゃね」
皆が太一の質問を馬鹿にする。当然だと太一自身も思う。人に好き嫌いを直接聞いて、素直な答えが返ってくるとは思わない。でも、太一は再度皆に聞く。
「俺は本気で聞いてるんだ。どうか答えてほしい」
その真剣な問いに、皆が一斉に黙り込む。どう応えるべきか戸惑っている様子だ。
しかし皆が戸惑う中、手塚だけは違った。すっと手を上げた手塚は声を張った。
「嫌いなわけがない」
親友の一声を皮切りに、皆が徐々に口を開き始める。
「まあ、別に嫌いじゃねえよ」
「だって、嫌う理由がないし」
ほとんどの生徒が、太一を嫌いではないと言ってくれた。
「それじゃ……」
太一は深く息を吸ってから、自らに起こった事実を皆に告げた。
「実は俺、ゼロ型になったんだ。それを聞いた後でも、答えは変わらないか?」
太一の発言に教室中が凍りついた。そんな中、最初に口を開いたのは有香だった。
「ちょ、ちょっと月岡。あんた何言い出してるの? ゼロ型は紗雪で月岡は違うだろ?」
そうだそうだ、と有香に便乗して皆が声を上げる。その声に太一は首を振って否定した。
「違うんだ、森川。あの日、屋上から落ちた日。本当だったら俺は死んでもおかしくなかったらしい。でも、俺は助けられたんだ。紗雪に……紗雪の血に」
「月岡、それって……」
困惑している有香に対して、太一は自分の身に起きた変化を告げた。
「紗雪の血を身体に取り入れたからなのかもしれない。俺のボンドはゼロ型になったんだ」
太一はポケットに入れておいた紙を取り出し、皆に見せつける。その紙にはボンド検査の結果が記されており、太一のボンドがゼロ型だと記されていた。
「で、でも、ボンドは遺伝しないし、輸血をしただけで変わるものじゃないって、星野教授だって言ってたはずだ」
有香の疑問に皆が首を縦にふる。太一も同様に頷いた。
「確かに。森川の言う通りだと思う」
「そ、それなら」
「だけど、今の俺はゼロ型なんだ。どうしてゼロ型になったのか。今はまだ詳しい理由はわからない。だけどその理由は星野教授が今朝の会見で言ってた通り、これから見つけていくものなんだと思う。だってまだ、ゼロ型については何も明らかになっていないんだから」
太一の言葉にクラスメイトは一様に口を結んでしまった。
今までクラスメイトが見てきたゼロ型は、星野教授が仮説を立てて説明した内容とほぼ一致していた。異性の誰とも結ばれない、常に一人でいることを好む人間。それこそがゼロ型だと。
しかし、太一がゼロ型だとしたら。
その事実は皆が抱くゼロ型のイメージを崩すのには、十分な威力があった。
太一は手に持っていた紙を折りたたみ、ポケットにしまう。そして、再度問いただす。
「だから改めて聞きたい。俺のことは嫌いか?」
その問いの答えを聞くのは、もはや蛇足でしかなかった。
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