7章
第33話
超新星爆発が起こってから一週間。太一は未だに目を覚ましていなかった。
森川先生の話によると、いつ目を覚ましてもおかしくない状態ではあるらしい。でもこうして状態に変化がないのは、太一の中でその時が来ていないからなのかもしれない。
でもいつか必ずその時はやって来るはず。もしかしたら今日かもしれない。
そんな淡い期待を抱きながら、夏月は今日も学校帰りに太一の病室を訪れた。個室のドアを開け、太一が眠り続けているベッドへと視線を向ける。
「……今日じゃないか」
少しだけ高揚していた気持ちを落ち着かせるため、夏月は深呼吸をしてからドアを閉めた。未だに眠り続けている太一のベッドに近づく。白い布団に隠れて見えないけど、太一の左腕には点滴の針が刺さっている。ベッドの横にある点滴スタンドが、太一の現状を物語っていた。
ベッドの横に丸椅子を持ってきた夏月は、太一の様子を窺いながらゆっくりと腰を下ろした。
「今日も学校であったことを話すね。今日、ちょっとした小テストがあったんだ。今話題になってる超新星爆発についての。ニュースを見てれば解けるって先生は言ってたけど、テレビで放送してなかった部分の出題がいくつかあったみたい。でも私は全問正解したよ」
他愛のない話を太一にする。事情を知らない人がこの光景を見たら、独り言を言っている変な人と思われるのかもしれない。それでもこうして話しかけることが、太一の目覚めるきっかけになるのなら。変に思われることなんて、夏月にとっては大したことではなかった。
「それと……今日も紗雪ちゃんは一人だった。周りの人……特に有香からの当たりは相変わらず酷くて。ゼロ型が戻ってきたってずっと言われてる。でも、紗雪ちゃんは有香を全く相手にしてないんだよね。それが有香の気持ちを逆なでしてるみたいで。有香ってクラスで権力持ってるから、二人の冷え込んだ関係が教室の空気を悪くしてて。本当、太一が学校を休んでから色々と変わっちゃった」
特に変わったのは紗雪だった。以前の紗雪はクラスの皆と挨拶を交わすくらいのコミュニケーションはとっていた。しかし太一が休んでからの紗雪は、授業で先生から回答を求められる時以外、一切言葉を発することがなくなった。
そもそも紗雪には友達がほとんどいなかったと夏月は認識している。学校で友達と話している姿を一度も見たことがなかったし、常に一人でいる孤高の存在。それこそが紗雪だと思っていたから。それに紗雪は何もしなくても、常に注目を浴びていた。見るものを虜にする容姿に加え、全国トップクラスの頭脳を持っていたから。
だからこそ紗雪が一人でいることは、ある意味当たり前のことだという認識が皆の中にあったんだと思う。
しかし紗雪がゼロ型と皆に知られてからは、一人でいることの意味が大きく変わった。
頭が良いとか容姿が良いとかではなく、父が見つけたゼロ型の性質に紗雪は当てはまる存在だった。正真正銘のゼロ型。誰とも話そうとしないのは、ゼロ型だから。
実際に今の紗雪はずっと一人で学校生活を送っている。夏月から見ても、紗雪本人が一人になることを望んでいるように見えた。
だから紗雪が一人でいることは、別に気にすることではないはず。
そう思っているはずなのに、紗雪を見ていると何故だか胸が痛くなる。
もしも紗雪が太一以外に頼る人がいないのだとしたら。夏月が紗雪に言ったことは、あまりにも酷なことだったのではないか。
「……これで良かったんだよね」
夏月は太一の左手を握りしめる。
紗雪は太一に罪を着せて傷つけた。太一がこれ以上傷ついてほしくないからこそ、夏月は紗雪を太一から遠ざけた。
だから紗雪に言ったことは間違っていないはず。
「星野、来てたんだ」
夏月は咄嗟に声のした方へと振り向く。ドア付近に立っていたのは手塚だった。
「手塚……」
手を上げながら、手塚は夏月の方へと近づいてくる。
「今まで来なかったのに、どういう風の吹き回し?」
この一週間、一度も病室を訪れなかった太一の親友に、夏月は強い口調で問いただす。
「いや、太一と二人きりの時間を邪魔するのは悪いかなって」
「えっ」
手塚の返答に、夏月は思わず虚をつかれた。動揺する夏月を見るなり、手塚は更に追い打ちをかける言葉を放つ。
「だって星野、太一のこと好きだろ?」
好きという明確な言葉を言われ、夏月は頬を赤くした。
「べ、別に……太一は家族同然だし、何よりお――」
続けて言おうと思っていた言葉を、夏月は何とか飲み込む。
また逃げようとした。変わろうと決めたのに、またあの言葉に縋ろうとしてしまった。
自分自身の意志の弱さに、夏月は握り拳を作ると太股を強く殴る。
そんな夏月の行動を黙って見届けた手塚が、ゆっくりと口を開く。
「今日はさ、星野に相談したいことがあって。だからここに来たんだ」
太一もいるからと言った手塚は、壁際に置いてあった丸椅子を夏月の横に持ってきて腰を下ろす。
「話って?」
「森川さんについてと、ボンドについて」
そう告げた手塚は制服の内ポケットからスマホを取り出すと、夏月に画面を見せてきた。
画面にはメッセージが表示されていた。その差出人が目に入った瞬間、夏月は手塚からスマホを奪い取っていた。
「何これ……」
差出人は太一だった。直ぐに夏月は受信した日付と時間を確認する。ちょうど一週間前。太一が屋上から落ちた日のお昼だった。
夏月は表示された件名に視線を移す。そこには『俺に何かあったら読んでほしい』と書かれていた。
「最初は太一のおふざけかと思った。だからメールを無視してたんだけど……太一が屋上から落ちたって学校で聞いて、メッセージを開かないといけなくなった」
手塚は画面をタップして本文を表示させた。画面右端に表示されたスクロールバーが、画面におさまりきらないほどの文章量があることを夏月に知らせる。夏月は表示された文章に目を向けた。
最初に書かれていたのは、紗雪の家庭環境についてだった。
知らない方が幸せなこともある。読み進めていくうちに、その思いが一段と強くなっていく。紗雪の秘められた過去を知るたびに胸が苦しくなった。
これ以上読みたくない。そう思いつつも、太一が伝えたいことが書いてあると思うと、無理をしてでも読まないといけないと夏月は思った。
そしてとある文章に、夏月は思わず声を上げた。
「ちょっと……有香と紗雪ちゃんが姉妹って……」
画面には腹違いの姉妹とはっきりと書かれていた。
「そうみたいだな。森川さんのお父さんが不倫したらしい」
手塚はそう告げると、夏月にさらに先を読むよう促した。
次に書かれていたのは、太一と紗雪の関係について。二人は付き合っているふりをしていたこと。ボンドを否定するために、ゼロ型を否定するために太一が利用されたこと。太一を利用したのは、紗雪よりもゼロ型を否定する説得力があったから。
内容を把握した夏月は、ずっと抱いていた違和感の正体にようやくたどり着いた。そして夏月は確信する。
やはり太一は、紗雪を守るために行動していたんだと。
そして最後には、太一が一番伝えたいことが書いてあった。
『紗雪が一人でいるのは、ボンドが理由じゃない。もしクラスの連中がボンドで紗雪をイジメることがあったら、手塚が紗雪を守ってくれ。頼む』
全てを読み終えた紗雪は、手塚にスマホを渡した。
「本当に太一はお人好しだよな」
手塚の声に夏月は何度も頷く。太一は優しすぎる。それはずっと思っていたことだ。
「太一とは長い付き合いだし、力になりたいと思ってるんだ。でも、俺には知らないことが多すぎる。特にボンドについて」
「だから私に聞いたら、何かわかるかもしれないと思ったってこと?」
「そう。星野はお父さんに何か聞いていないのか」
手塚の問いに、夏月は首を横に振る。
「私が知ってるのは初歩的なことだけ。そもそも、ボンドに興味なんてなかったから」
「それでもいい。初歩的なことでも、少しはきっかけになるかもしれない」
手塚がグイグイくるので、夏月は自分の知っていることを伝えようと思った。
「それじゃ、ボンドの理論について教えるね。手塚のボンドは何?」
「……水素型」
「それじゃ、水素型と酸素型を例にして話すね。手塚が水素型で私が酸素型」
そう告げた夏月は、手塚に片手を伸ばすよう指示を出した。
「まずは水素型。水素型は1―1って示されるの。この最初の数字は周期表でいう周期の数字。これは大丈夫?」
「おう。化学の授業でならったから」
「それじゃ、後の数字について。ボンドは後の数字の方が大きな意味を持っているの。後の数字は、簡単に言えば手の数。水素型は手の数が一本。そして酸素型は2―2だから手の数が二本になる。水素型と酸素型は手を繋ぐことができる」
伸ばされた手塚の手を取った夏月は、話を続ける。
「水素型は手が一本しかないでしょ。だからこれ以上誰とも結ばれない。だけど酸素型はもう一本手がある」
夏月は手塚と繋いでいない方の手をちらつかせる。
「なるほどな。酸素型は他の相手とも繋がることができると」
「そう。だから酸素型は不倫する可能性があると言われているの」
手塚の手を離し、夏月は話を続ける。
「ボンドでベストカップルって言われているのは、最初と最後の数字が男女共に同じ組み合わせである型。例を上げれば、共に2―1である塩素型とナトリウム型」
再度手塚の手をしっかりと握る。
「これ以上、手がないから他の型と結ばれない。その上、周期も同じ。だから不倫もしないベストカップルって言われるの」
「それじゃ、ゼロ型は手が一本もないってことだよな」
手塚の問いに、夏月は頷く。
「ゼロ型は〇―〇。手塚の言う通り、手は一本もない」
だから誰とも結ばれない型だと言われている。でも、これは今までテレビでも散々扱われてきたこと。手塚も既に知っていることだったみたいで、そこまで驚いた表情をしていなかった。
「ごめん、本当に初歩的なことしか知らなくて」
夏月は手塚に頭を下げる。何も力になれていないことが少し悔しかった。
「いや、確認できただけでもよかった。おかげで閃いたこともあるし」
「閃いたこと?」
小首を傾げる夏月に手塚は笑みを見せた。
「つまりゼロ型でもくっつけるってことを証明すれば、森川さんを守れるってことだよな?」
「それはそうだけど……」
「だったら、俺が森川さんと付き合えばいいんだって」
「そ、それは駄目だよ!」
つい声が大きくなってしまい、夏月は思わず口に手を当てた。
「手塚は紗雪ちゃんのことが好きなの?」
「んー嫌いではないよ。それに付き合わないとわからないことってあると思うし。何より、太一の頼みを叶えてやることができるだろ?」
夏月は首を振って、手塚の考えを否定する。
「違うって。そんなの太一が望んでいる答えじゃないって。もし手塚が本気で好きじゃないとしたら、今手塚がやろうとしてることは、太一と紗雪ちゃんがやってきたことと同じじゃん」
「……確かにそうだな」
手塚は再び思考の海へと飛び込んでいく。夏月も手塚同様、考えを巡らせる。
いったいどうすれば紗雪を守れるのか。
ふと目の前で寝ている太一に夏月は視線を移す。太一には名案が浮かんでいたのか。それとも、ずっと太一が紗雪を守っていくつもりだったのか。
そう考えると夏月は胸が苦しくなった。
「とりあえず明日、森川さんに探りを入れてみるよ。何かわかるかもしれないし」
「……うん」
手塚は椅子から腰を上げると、大きく両手を上げて背筋を伸ばした。
「そうだ、星野に言いたいことがもう一つあった」
「何?」
「太一が目覚めたら、ちゃんと自分の気持ちを伝えろよ。好きなんだろ?」
夏月はきょとんとした目を手塚に向ける。そして言われたことの意味を理解した夏月の頬は、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「星野って本当にわかりやすいな」
「……うるさいな。言われなくてもわかってるから」
もう逃げないって決めた。夏月は太一が目を覚ましたら、気持ちを伝えたいと思っている。
「そっか。太一を頼んだ」
「……うん」
手塚は手を振りながら、病室を出て行った。
誰も話す人がいなくなり、病室が静寂に包まれる。久しぶりに訪れた静寂が、今の夏月には気持ち悪かった。何か飲んでスッキリしようと思い、夏月は病室を出て突き当りにある自販機まで歩いた。そこで白い缶コーヒーを買った夏月はプルタブを引くと、口をつけながら近くに設えてあるベンチに腰を下ろす。
「苦っ」
直ぐに缶から口を離した夏月は、缶に記載されている成分表示を見た。そこには無糖と記されている。
「騙された……」
缶の色で砂糖入りと判断した夏月は、自分の選択に後悔を覚えた。それでも買ってしまったのだから、最後まで飲もうとちびちびと缶に口をつける。
口内がコーヒー独特の苦みで徐々に埋め尽くされれていく。まるでその苦みは、今夏月が抱いている感情そのもののような気がした。
太一のためを思って、紗雪にもう関わらないでと告げた。でも太一から紗雪を遠ざけることは、本当に正解だったのだろうか。
手塚が見せてくれた太一からのメッセージが、夏月の決意をぐらつかせる。
太一は明らかに紗雪が一人になることを、望んではいなかった。
もしも太一が目覚めた時、紗雪が一人ぼっちだとしたら。今、紗雪が一人になっている理由を作ったかもしれない夏月は、好きな人の望みを踏みにじる行為をしたことになる。
それでも夏月は紗雪のことが許せなかった。ずっと太一を苦しめ、太一に縋り続けようとする紗雪。優しさに付け込む紗雪が悪魔のように思えた。だからこそ、紗雪に正面から向かっていった。下した決断は、決して間違っていないと思っていたから。
だけど。
「……わからないよ、本当に」
人を好きになることが、どうしてこんなにも苦しいのだろうか。好きな気持ちは陽だまりのような暖かさがあると思っていたのに。現実は全く違っていた。
缶コーヒーはいつの間にか空になっていた。途中からコーヒーの苦みなんて一切感じなかったせいで、一気に飲み干していた。
夏月はゆっくりと腰を上げると、空になった缶をゴミ箱に捨てる。ふと制服のポケットに入れていたスマホが震えた。画面を見ると、父からメッセージが来ている。
画面をタップしてメッセージを開く。そこには、父が明日の朝にボンドについて新たな発表をすると書かれていた。父は二日前からアメリカへ行っていた。そこでボンドに関する何かしらの意見がまとまったのかもしれない。
もし、父の発表がゼロ型を守るものだとしたら。
ふと夏月の脳裏に淡い期待がよぎる。太一が望んでいる未来を作れるかもしれない。そう思った夏月は、スマホを制服のポケットにしまい、自分の頬を両手でパチンと叩いて気合を入れた。
過去はやり直せない。だからこそ変えられる可能性がある未来で、今まで何もせずにいた自分を変えればいい。今は自分を信じて行動しよう。
新たな気持ちを胸に、夏月は太一のいる病室へと向かった。
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