第31話

               ◇◇◇◇◇


「柊さん、月岡君に告白したんだって」

「えっ!」


 突然の出来事に、夏月は思わず声を上げてしまった。まさか柊が、自分から振った相手に告白をするなんて思ってもみなかったから。


「でも、月岡君は断ったらしいよ」

「そ、そうなんだ……」

「当然だよね。だって森川さんと付き合ってるんだもん」


 そう夏月に告げると、クラスメイトの女子は夏月よりも仲の良い女子の方へと走っていった。

 帰りのホームルームが始まる前。ふと夏月は太一の席へと視線を向ける。太一は告白されたことなんてなかったかのように、いつも通り手塚と会話していた。

 昔の太一は、告白したことを真っ先に夏月に伝えてきた。だから告白された時も、同じように伝えてくれると思っていたのに。

 本当に太一は変わった。わかっているはずなのに、変わってしまった太一を見ると、夏月の胸はキュッと痛みを発する。

 全部自分がいけないのに。自分も変わらないといけないのに。

 手を伸ばしても届かないところに、太一は行ってしまったのかもしれない。

 瞬間、視界が暗転する。そして忽然と太一が現れた。

 急な出来事に困惑している夏月をよそに、太一は背を向けて走り出した。目の前を走る太一を捕まえようと、夏月は必死に手を伸ばす。でも夏月の手は太一に届かなかった。夏月が走るのを諦め、太一の背中を見ていると、太一が足を止めた。その場所にいたのは、紗雪だった。二人は仲良く手を繋いで笑い合っている。まるで幸せを象徴しているような二人の笑みに、夏月の胸はさらに痛みを発した。

 こんな未来、見たくない。そう思った瞬間、再び視界が暗転した。

 ゆっくりと重たい目を開ける。

 暫くして、夏月の視界に見なれた景色が映し出される。そして自分の部屋だと気づいた夏月は、夢を見ていたんだと自覚した。

 身体を起こして掛け時計に視線を移す。もうすぐ日付が変わる時間になっていた。


「駄目だな、私」


 今日学校で起きたことを夢で見るなんて。太一のことをどれだけ引きずっているのか。

 夏月は枕元にあったクマのぬいぐるみに手を伸ばすと、ギュッと力を込めて抱いた。いつも不安を感じたりすると助けてもらっている。この年になって、ぬいぐるみを抱くのはどうなのかって素に戻ることもあるけど、誰も見ていないプライベートの空間なのだから問題ない。と無理矢理自分を納得させていた。

 そんなことを考えていた矢先、突然窓際が異様に明るくなり始めた。

 始めは何が起こったのか理解できなかった。でも窓の外を見た瞬間、その美しい光景に夏月は目を奪われた。

 満天に散りばめられた星々。その中で異様に青白く光っている星が一つある。

 小さい頃から星を見るのが好きだった夏月は、有名な星座くらいは覚えていた。それでも、これほど光り輝く星など生まれて一度も見たことがない。

 嫌な予感がした。咄嗟にクマのぬいぐるみを抱える腕に力を入れる。とりあえず何が起きているのか確認するために、夏月は部屋の電気をつけてからテレビの電源を入れた。

 画面が映し出された瞬間、とある文字が夏月の目に入る。


「超新星爆発……」


 でかでかと画面にテロップが表示されている。チャンネルを他の番組に変えても、どの放送局もこの異常な現象について報道していた。


「凄い……太一も見てるのかな」


 もしも太一と二人で一緒に観れたら。

 そんな淡い思いを抱いた夏月の耳に、スマホが震える音が入ってくる。

 咄嗟にスマホを手にした夏月は、画面に表示された名前を見て拍子抜けした。

 電話の相手は父だった。


「もしもし、お父さん。何か用?」

『な、夏月か。もうすぐ家に着くから、今すぐ外に出る準備をしなさい』


 いつも言わないようなことを言う父に、違和感を覚えた。


「外って、もうすぐ日付変わるのに。どうして」


 もしかしたら、この天体ショーをもっと綺麗に見ることができる場所に行くのかもしれない。そんな考えが脳裏をよぎった。だったら太一も一緒に連れていきたい。

 その思いを父に伝えるため、夏月は口を開こうとした。

 でも夏月よりも先に口を開いた父の言葉を聞いた瞬間、血の気が一気に引くのが自分でもわかった。

 太一が意識不明の重体で、森川病院に運ばれたと聞いたから。



 静謐な空間に灯る赤い光に照らされた「手術中」という白い文字が、夏月の不安をより一層募らせた。

 目の前の集中治療室。その奥には夏月にとって大切な人が、今もなお生死を彷徨っている。


「お兄ちゃん……」


 一緒に来た美帆が、声を震わせながら祈るように手を組んで俯いている。夏月の父と母も青ざめた表情をしている。

 たぶん、自分も同じ表情をしているんだと夏月は思った。

 父から話を聞いた時、最初は冗談かと思った。でもこの場にいれば、それが冗談ではないことくらい誰にでもわかる。誰一人として笑ってなどいないし、声を出すのも憚られる雰囲気が周囲に満ちていた。


「星野」


 そんな空間の静寂を切り裂くように、聞いたことのある声が響く。声の先にいたのは、高野先生だった。


「先生……」


 夏月を一瞥した高野先生は父と母の方に身体を向けると、深々と頭を下げた。


「この度は、本当に申し訳ございませんでした」


 高野先生の声が廊下に響き渡る。皆が高野先生の行動に声をかけられずにいる中、父が口を開く。


「先生……太一君はどうして……」


 高野先生は姿勢を維持したまま、重い口を開いた。


「月岡はとある生徒を助ける為に学校の屋上にいました。ですが、バランスを崩してそのまま転落してしまい――」


 途中から高野先生の声が、夏月には聞こえなくなった。

 父と母が説明を受ける中、夏月は高野先生が言ったとある生徒が誰なのかすぐにわかった。

 高野先生が隠している生徒は、間違いなく紗雪。


「太一君が危険な場所にいたのを、高野先生は知ってたんですよね。なのにどうして太一君を止めなかったんですか」


 父が高野先生に詰め寄る。この場にいる誰もが父と同じことを思っていた。

 もしも高野先生が太一のことを止めていれば、転落するのを防げたかもしれない。それに助けることができたのにも関わらず、助けなかったとしたら。

 皆の視線が高野先生に向けられる。


「……すみません」


 それでも高野先生は父の問いには答えず、ただ頭を下げ続けているだけだった。

 どうして本当のことを言わないのか。

 どうして紗雪のことを隠そうとするのか。

 夏月には高野先生が隠す理由が理解できなかった。

 今もなお、太一は命の危険に晒されている。それなのに、どうしてそこまでしらばっくれようとするのか。

 高野先生の態度に苛立ちを覚えた夏月は、思っていることをはっきりと告げた。


「とある生徒って、紗雪ちゃんのことですよね」


 高野先生の身体がびくっと動いたのを、夏月は見逃さなかった。夏月は続けて口を開く。


「紗雪ちゃんを助けようとして、太一が転落した。そうですよね」


 確信を持って、強い口調で高野先生に告げる。強気な夏月に父が口をはさんできた。


「夏月……いったいどういうことだ?」


 何もしらない父に夏月は告げる。


「紗雪ちゃんは、最近学校に来てなくて。太一はそんな紗雪ちゃんを学校に連れだそうと、ずっと頑張ってたの」


 紗雪が不登校になってから、太一は授業が終わると直ぐに紗雪の家に向かっていた。誰に言われるでもなく、紗雪の為に動いていた太一。その背中を、夏月はずっと見てきた。


「そもそも、太一が自ら転落の危険がある場所に行くとは私には思えない。行く理由があるとしたら、紗雪ちゃんが危険な場所にいた……から」


 言い終えた夏月は、胸が締め付けられるのを感じた。

 今まで高野先生に対する怒りの感情で溢れていたはずなのに、今は何もできずにいる自分の無力感が勝っている。

 どうして、いつも遠くから見ているだけなんだろう。

 どうして、ずっと苦しい思いをしているだけなんだろう。


 ――俺と夏月は幼馴染なんだ。


 太一はいつだって、夏月のことを幼馴染という関係で見ている。最初はそれが嬉しかった。自分にしか築けない特別な関係だと思っていたから。

 柊や紗雪には決して築くことができない、自分だけの特権。それを大切にした結果、今はこんなにも苦しい思いをしている。

 太一を思う気持ちはずっと変わらないのに。

 でも、やっとわかった。

 太一はいつも変わろうとしていた。中学生の頃、好きな女の子に告白をするときもそう。来るのを待ち続けるのではなくて、自分から動いていた。

 好きな人が変わろうとしているのに、変わらないままでいる自分が釣り合うわけがない。

 いつまでも安全な場所にいるから、駄目なんだとわかった。

 だからこそ、自分も変わらないといけない。


「そうですよね、高野先生」


 頬を一滴の雫が伝っていく。抑えきれない感情が堰を切ったように溢れ出す。

 高野先生はようやく頭を上げると、重たい口をゆっくりと開いた。


「……ああ。星野の言う通りだ」


 それから高野先生は、屋上での出来事を夏月達に語ってくれた。

 森川先生を屋上まで連れて来るよう太一に頼まれたこと。屋上に行くと、紗雪と太一が転落防止柵の外側にいたこと。紗雪が死を決意していたこと。紗雪と森川先生の間にあった家族の問題が、無事に解決したこと。


「月岡達のことを止めなかったのは、森川が親御さんと向き合うために必要な時間だと思ったからだ。だから私は、全てが終わるまで静観していた」


 高野先生は握り拳を作ると、突然自分の太股に拳を振るった。パチンという音が廊下に響き渡る。


「でも……間違いだったのかもしれない。話し合いならいつでもできた。私はあの場で、すぐに安全な場所に避難させるべきだったのかもしれない。命は……一つしかないのだから」


 高野先生の言葉を聞いた夏月は、太一の死を強く意識した。

 もしもこのまま太一が目を覚まさなかったら。

 考えたくない最悪なシナリオが、夏月の脳裏にちらつく。


「夏姉……」


 隣にいた美帆が、夏月の胸に飛び込んできた。涙で濡れた顔を隠すように、美帆は夏月の胸に顔を当てる。夏月は美帆の頭をゆっくりと、包み込むように支えた。

 

「大丈夫。太一は強いから。絶対に……大丈夫だから」


 美帆を落ち着かせるように、夏月は声をかける。

 太一が集中治療室に運ばれてから、どれだけの時間が経ったのかはわからない。でも、夏月にはとてつもなく長い時間が経っていると感じた。

 誰も声を発さない。すすり泣く声だけが廊下に響く。薄暗いせいなのかもしれない。少し肌寒くなってきたなと夏月は思った。美帆をギュッと抱き寄せる。

 瞬間、夏月は思い出す。高野先生にまだ聞いていないことがあることを。


「先生……紗雪ちゃんはどこにいるんですか?」


 今までどうして忘れていたのだろう。紗雪の話をしておきながら、その紗雪本人がこの場にいないことに気づかなかった。

 高野先生は、夏月の問いに重い口をゆっくりと開いた。


「森川はいま――」


 瞬間、高野先生の声は大きな物音に遮られた。

 皆が何事かとその音のする方へと視線を向ける。今まで静寂を保っていた集中治療室の扉がゆっくりと開き、扉の中からはマスクをした森川先生が出てきた。


「森川先生! 太一君は……」


 父が咄嗟に森川先生の肩に手を置き、大きく身体を揺さぶった。

 そんな父を落ち着かせるように、森川先生は父の手をゆっくりと掴んで言った。


「星野教授。安心してください。まだ太一君は目を覚ましてはいませんが、山場は越えました」


 その言葉が響いた瞬間、美帆が大きく声を上げて泣き始めた。その声が夏月に太一が生きていることを強く認識させた。


「良かった……本当に良かった」


 美帆を抱きしめながら、夏月は太一が無事だという事実をじっくりと噛みしめた。

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