3章

第16話

 紗雪と付き合うふりをして一週間が経った。未だに太一と紗雪の関係が偽りだということは、二人以外の誰にも知られていない。最初は嘘の関係なんて直ぐに見破られてしまうのではないかと思っていた。それでも見破られないのは、紗雪の頑張りがあったからなのかもしれない。毎朝一緒に登校して、お昼休みも二人でご飯を食べる。そして帰りも一緒に教室を出て、紗雪専用の空き教室へと足を運ぶ。常に一緒にいる二人の関係は、誰が見ても付き合っている関係に見えたはずだ。

 太一自身、最初は紗雪の提案に乗り気ではなかった。紗雪と常に一緒にいるということは、今まで太一が築いてきたものを壊さないといけなかったから。

 それでもこの一週間、紗雪と一緒にいてわかったことがあった。

 そもそもゼロ型と判明した時から、周囲との関係は瓦解していたのだと。

 大好きだった柊に振られ、幼馴染の夏月には話かけるなと伝えるしかなかった。クラスメイトや校内の生徒からは、ゼロ型人間と噂される日々。当然太一の心は日を追うごとに擦り減っていった。

 それでもそんな最悪な環境下で太一の心を満たしてくれたのは、紗雪の存在だった。紗雪と一緒にいるだけで、何故か安心できた。その安心は日を追うごとに高まっていき、擦り減った心を取り戻すまでになっている。

 紗雪は太一の置かれる状況が最初からわかっていたのかもしれない。だからこうして偽りの関係を始めくれたわけで。

 でも太一にはまだわからないことがあった。

 どうして紗雪は付き合うふりをしてまで、太一に固執するのか。紗雪に付き合いたいと言われた時からわからなかった部分。それに紗雪は、自分の父親も関係しているボンドを否定したいと言っている。どうして否定したいのか。

 紗雪とはまだ一週間ちょっとの関係かもしれない。だけど太一にとっては、ただの一週間ではなかった。

 この一週間、紗雪に守られていた。自分の悩みを知ってくれる人が近くにいることが、どれだけ心強かったことか。だからこそ紗雪が言っていたように、お互い必要と思える関係になるために。紗雪に何かしてあげたいという思いは、日を追うごとに増していった。

 空き教室に向かった太一は、紗雪からもらった合鍵を鍵穴に指してドアを開けた。既に紗雪は席に座って自分のお弁当を机に広げていた。


「遅かったのね」

「ちょっと色々とあって」


 ここに来る前、太一は手塚と会話していた。手塚とは紗雪とお昼を食べる前、ずっと昼を共にしていた。だからこそ、急に紗雪と一緒に食べ始めたことを謝罪していたのだ。

 紗雪の隣の席に座った太一は、美帆に作ってもらったお弁当を広げる。


「最近、月岡君の身の回りで変化はあるのかしら?」

「少しずつだけど、ゼロ型だって噂する人が少なくなってきたのは感じる」


 ゼロ型だから付き合えない。そんな目で太一を見る人が少なくなっているのは確かだ。紗雪と一緒に行動していることがどれだけ大きいのか。太一は日々実感していた。


「そう。一歩前進ね」

「一歩?」

「だって私はボンドを否定したいのだから。噂されないってことは、私達の関係が浸透しているってこと。ゼロ型でも付き合える。皆にそう思わせたことになる」


 紗雪は二段に減った重箱の片方に入っている玉子焼きを口に含んだ。機嫌が良いのか笑みを見せている。


「そうだと良いけど。でも、最近やけに校内が甘ったるい空気に包まれているが」


 ボンドが発表されて以降、校内ではカップルの割合が急増していた。互いに自分のボンドを言い合い、相性の良い相手と付き合う。今まで奥手だった生徒もボンドという科学的根拠があるおかげで、積極的に恋愛をするようになった。この状況は、ボンドの効力が絶大だということを証明していると言っても過言ではない。


「どうせ今だけ。ずっと関係が続くなんて、私には考えられないわ」


 紗雪は努めて冷静に話す。それでも声色から機嫌が悪くなったのが見てとれた。


「そういえば、森川に聞きたいことがあるんだ」

「何かしら?」


 話題を変えようと、太一は紗雪に聞きたいことを告げた。


「森川のボンドってどうなのかなって」

「……私のボンドなんてどうでもいいでしょ」

「いいわけない」


 太一は箸を置いて紗雪の方に身体を向けた。


「たとえゼロ型でも、結びつく可能性があるかもしれないから」


 紗雪と過ごして一週間。太一の中でも心境が少しずつ変化している。偽りから始まった関係でも、一週間もこうして過ごしていると思うことがあった。


「もしかして、本気で私を好きになったの?」

「……いや。そ、そんなんじゃないし」


 太一の心臓が早鐘を打つ。目の前には、柊と並んで学年二大美女と言われている紗雪がいる。男であるからこそ、太一は綺麗な紗雪を意識していないとは言えなかった。


「まあいいわ。私のボンドは……2―1。フッ素型よ」


 フッ素型は女子で一番人気があると言われている。一方で男子の人気が高いボンドは手塚の水素型。このように人気のあるなしがわかるのも、ボンドにはしっかりとした理論があるからだ。

 人気の決め手となっているのは、電気陰性度の大きさだと星野教授は言っている。そもそも電気陰性度は、原子が電子を引き寄せる強さを表したものとして習う。実際に原子の中で電気陰性度が最も大きいのはフッ素。それをボンドに置き換えて言うなら、フッ素型が異性を一番引きつけるということだ。また星野教授はそのことを魅力度という言葉を用いてよく話していて、ボンドで一番魅力度が大きいのはフッ素型と公言している。


「フッ素型って、異性を一番引きつける力があるんだよな?」

「そうね」

「なら、ゼロ型を引きつける確率が一番高いって言えるはず」


 太一の発言に紗雪は箸を置くと、そのまま太一に視線を向ける。


「あなたにしては、まともなことを言うのね」

「……俺だってボンドについて一般的な知識はあるから」


 ゼロ型と判明する前から、太一は嫌いなボンドについて色々と調べていた。

 ボンドを示す後の数字が同じ異性と結ばれると、高確率で幸せになれること。後の数字が違う場合、数字の大きいボンドを持っている人が浮気しやすいということ。

 どれも今となっては常識としてくくられる情報だ。

 でも太一は恋愛の形を可視化したボンドは、どうしても無機質だと思っている。そう思うのも、ボンドで結ばれた恋愛にはどうしても暖かさを感じない気がするから。それにボンドによって幸せな人が増えたからと言って、ボンドが幸せになるための指標になりえるとは思えなかった。

 ボンドによって不幸になる人間だっているのだから。


「ねえ、私と本気で付き合ってみる?」


 突然の紗雪の提案に、太一は思わず目を見開いた。先程よりも心臓が早鐘を打っている。紗雪の真剣な言葉に、太一は飲み込まれそうになった。


「……冗談はやめろよ。俺と森川は、あくまでお互いの為に付き合うふりをしてるんだろ?」


 付き合うふりをする。元々は紗雪が持ちかけてきた話だ。それなのに、本当に付き合ってしまっては意味がない。太一は胸に手を当てて大きく深呼吸をした。自分の弱さに付け込んでくる紗雪が、少しだけ憎らしく思えた。


「そうね。お互いの為……ね」


 紗雪はそのまま箸を持つと、重箱に入っていたから揚げを口に運んだ。パリッととした食感の良さそうな音が空き教室に響く。


「あのさ、もう一つだけ森川に聞きたいことが」


 口にから揚げを含んでいた紗雪に太一は聞く。


「俺って森川に何かしてあげられてるのかな?」


 常に思っていたことだった。紗雪と偽りの関係を始めて、太一は未だに何もしてあげられていなかった。ただ紗雪と付き合っているだけ。それなのに太一は紗雪から安心をもらっている。

 だからなのかもしれない。どこか腑に落ちない感情が太一の中で湧き上がっていた。


「十分してもらってるわ。あなたにはこうして私に付き合ってもらってるもの。それだけで十分だから」


 太一の思っていることは杞憂だった。紗雪は太一の不安など気にせずに前を見ている。紗雪が一緒にいるだけで良いと言うなら、特に何もする必要がないのかもしれない。


「そのかわり」


 紗雪が太一の方に身体を向けた。紗雪の覗き込むような視線に太一は釘付けになる。


「私のことは紗雪って呼んで。その方が彼女らしいでしょ」


 紗雪の言葉に太一は首を縦に振っていた。

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