第7話
結局太一が学校を出たのは、日が完全に沈んだ後だった。
いつもより遅く家に帰った太一はノートパソコンを立ち上げると、ポータルサイト「はるかぜ」にアクセスした。もしかしたらボンドが変わっているかもしれない。そんなありもしないことに期待しつつ、個別サイトに掲載されている血液検査の結果を画面に表示させた。
結果は当然何も変わっていなかった。ゼロ型という内容が目に映る。わかっていたことなのに太一は落ち込んだ。制服のままベッドに横たわり、深くため息を吐く。
これからどうすればいいのか。太一は今日の出来事を振り返る。
今朝自分がゼロ型だと判明して、お昼に柊に振られた。そして放課後に高野先生に呼び出された後、教室で紗雪から告白を受けた。そして付き合うふりをするという約束まで交わしてしまった。
「ありえないよな」
本当にありえない一日だった。いろんなことがありすぎて、太一の脳内は処理が追いついていない。とにかくありえないことが立て続けに起こった。それだけは認識できている。
ポケットに手をつっこみ、紙切れを取り出す。そこには電話番号とアドレスが記載されていた。まるで本当に付き合い始めるカップルみたいだと思う。でも紗雪とは付き合っているふりをするだけで、特に何もない。ただのクラスメイト。それでも柊と並んで学年トップクラスの美少女なだけあって、少しは紗雪を意識してしまう。
そんな太一の脳内にドアをノックする音が響き渡る。
「お兄ちゃん、入るよ」
妹の
「どうした?」
「家に帰ったらお弁当箱出してって言ったでしょ」
「悪い。今日も美味しかったよ」
美帆に弁当箱を渡す。いつもより重みのある弁当箱に、美帆は表情を崩した。
「あれ、残してる。いつも残さず食べてるのに」
「ごめん。今日は……食べる時間がなかったんだよ」
美帆に対して食欲がなかったとは言えなかった。
「そうなんだ。でも、昨日と違って元気ないように見えるよ」
「そ、そうかな……」
「もしかして、付き合うって豪語してた彼女に振られちゃったとか」
美帆の的を射た発言に、太一は思わず息を呑む。
「お、お兄ちゃんはまだ彼女いるから……」
「いーや。昨日はずっとニヤニヤして「早く明日にならないかな」ってしつこく話しかけてくるほど気持ち悪かったくせに。今日のお兄ちゃんは気持ち悪いというより、普通に変」
美帆は太一の様子を訝しむと、視線を机に置いてあったノートパソコンに移した。
「あっ、パソコンついてる」
「えっ……」
「ちょうどよかった。ちょっと調べたいことあって。お兄ちゃん、パソコン借りるね」
「ちょっと待った!」
横を通り過ぎようとした美帆の肩に、太一は咄嗟に手を置く。今の状況で画面を見られたら不味い。画面には太一のボンド検査の結果が表示されたままだ。もし美帆が画面を見たら、自分がゼロ型だとばれてしまう。
美帆を引き留めた太一は作り笑いを見せつつ、急いでノートパソコンの蓋を閉じた。
「何で閉じるの?」
太一のいかにもな行動に、美帆は肩に置かれた手を振り払うと太一と向き合う。
「いや、今はパソコン使えなくて……」
「嘘。使ってたよね。画面の明かりだってついてたし」
腕組みをして仁王立ちする美帆を、太一は見ていられず視線をそらす。こういう時に限って上手い言い訳が見つからない。
動揺する太一を見て美帆は何か思いついたのか、急にもじもじし始めた。
「もしかしてお兄ちゃん……エッチなサイトでも見てたんでしょ」
「み、見てないって」
「あっ、今声が上擦った。怪しい」
じーっと見つめてくる美帆は太一の腕を掴んで詰め寄ってくる。これでもう逃げ場がなくなった。
太一は選択を迫られた。このままノートパソコンの画像を見せるべきか、嘘をつくべきか。深呼吸をした太一は自らの選択肢を決めると、美帆に頭を下げた。
「な、何?」
「ごめん……エッチなサイト見てた」
太一の言葉に美帆は渋面を作った。太一は信じてもらえるよう、さらにたたみかける。
「見てたサイトが結構すごくて。美帆に見せられなかったんだ」
太一の言葉を聞いた瞬間、美帆の頬が一気に赤くなっていった。
「もう、お兄ちゃん最低。変態。明日のお弁当、から揚げ入れてあげないんだから」
太一を掴んでいた手を離した美帆は、弁当箱を抱えたままむすっとした表情を晒して、そのまま部屋から出て行った。美帆がいなくなり、とりあえず太一はほっと息を吐く。最低と言われたけど、これも可愛い妹を思っての決断だった。
ドアを閉めた太一はゆっくりとノートパソコンを開ける。真っ暗だった画面が数秒で明るくなり、元の画面に戻る。そこには変わらず太一のボンドが表示されていた。
もし美帆がボンド検査の結果を見てしまったら。そう思うだけで胸が苦しくなった。
今日初めて知ったボンドの恐怖を美帆に抱いてほしくない。そう強く思うのは、美帆が血縁関係だからなのかもしれない。
もし美帆も自分と同じゼロ型だったら。
星野教授の論文には、ボンドは遺伝しないものだとはっきり書かれている。本当ならそこまで気にすることではないのかもしれない。
でももしも論文のデータに誤りがあるとしたら。
そう考えるだけで太一は怖くなった。だからこそ兄として妹にしてあげられる選択は、自分を変態だと認識させることだった。お弁当のおかずが一品少なくなるくらいで済むのなら、変態になっても構わない。
美帆には絶対にボンドについて言わないと、太一は心に決めた。
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