祐希の本気


 俺に指を差された茜はうろたえる。

 取り巻きの女子達を押しのけて、茜は俺に近づいてきた。


「ね、ねえ、祐希? ひ、久しぶりに喋ってくれたのにその言葉はひどいんじゃない?」


 ああ、そうかも知れないな。だが、


「事実だ。茜、なんで俺の事をいじ……めていた?」


 俺は語気を柔らかくして聞いてみた。

 クラスの空気が張り詰まる。

 誰もが息を飲んで俺たちの会話を聞いていた。


 茜はおどけた口調で喋りだす。


「い、いじめ? なに言ってるのよ。ただの……いじりでしょ? 私たちは祐希の事が好きだからいじっていただけよ? そ、それだけみんなから愛されていたのよ!」


 頷くクラスメイトが多々いるな。


 ――逃げるな。茜と向き合うんだ。クラスメイトと向き合うんだ。


 佐藤さんは俺をまっすぐ見つめている。

 みんなの顔が思い浮かぶ。

 俺はそれに勇気が湧いて出てきた。


「茜、おかしいだろ? 茜は大切な幼馴染だった。もし間違ってなければ、茜にとって、俺は大切な幼馴染なはずだろ?」


「そ、そうよ! 祐希は私の……大事な……幼馴染なのよ! 子供の頃から一緒で……私の事が大好きな祐希……それのどこがおかしいの!?」


 俺は茜を見つめた。


「ひっ、ま、またその目……ねえ、昔の祐希はどこへ行っちゃったの? ま、前みたいに楽しく過ごそうよ……。ね、今度は優しくなるからさ……」


 俺も茜に近づいた。

 ……いつの間にか、こんなに身長差が出来たんだな……小学校の頃は一緒の身長だったのに。

 あの頃はまだ優しさがあった。

 気弱な俺をいじめっ子から守ってくれた時もあった。


 俺は茜に優しく告げた。



「おもちゃにされた……」



「え?」


「――流された俺も弱かったんだな……。茜、俺が壊れたのは……大切だった人からおもちゃにされたからだよ。……お前にな」



 茜の身体がびくんと跳ねる。

 それを知っていたけど見えない振りをした罪悪感と、反発心がごっちゃ混ぜになった顔をしていた。


 俺は続けた。


「……想像してみろ? 俺に対するいじりは限度を超えていた。……あれはいじめだ」





 茜が何かを答える前に鮫島が割り込んできた。


「おいおい、祐希〜、なにマジになっちゃってんの? あれはいじりだろ? なっ! みんなそうだろ!!」


 大きな声はクラスメイトに染み渡る。

 小さなざわめきが広がる。『そう、あれはいじり』『俺たちは祐希の事好きだったから』『そんないじめるだなんて……』


 クラスメイトは楽な方へ流される。

 大部分の生徒が頷き合い、お互いを慰め合う。


 鮫島は俺の肩を強く掴んだ。


「おい、祐希? お前が可哀想だってのはわかった。だけどな、こんな感じの事はどこのクラスでも起こってるぜ? なんだ、悲劇のヒーロー気取りか?」


 ――俺は頭に血が上る。周りが白くなる。こいつは何を言ってるんだ?


 駄目だ。落ち着け。これが落ち着いてられるか? 鮫島の腕を握りつぶしたい衝動に駆られる。




 俺は目を閉じた。

 昨日のみんなとの……岬との温かい日々を思い出す。

 今朝のボッチ君、ボッチちゃん達の応援を思い出す。


 俺は……流されない。もう二度と。



 俺は目を開いた。

 目を開けて鮫島を観察する。


 一見冷静だけど、こいつは何をそんなに焦ってるんだ?

 お前は何をしてもクラスで人気者だろ?

 そこまで俺と茜に執着するのは何故だ。


 なんで隙を作る? お前の足は震えてるじゃないか?

 お前はもっと……うまく立ち回れるだろ?


 ……だが、今は関係ない。



 俺は鮫島の腕を……優しく振り払い、正面から見据えた。


「鮫島、俺は知ってる。お前はクラスの誰とでも仲良く喋る。……カーストなんて関係ない。だからお前は誰からも好かれている。……お前が行き過ぎた行動をしても『鮫島だから』で済む話になってしまう。……茜を壊さないように言ってるのかも知れないが……これは俺が、俺たちが乗り越えなきゃいけない問題だ」


「……は!? な、なに言ってるんだ? 俺は別に……そんな……」


 茜がもう一歩前に出た。


「うん、鮫、ありがとう。守ろうとしてくれて。……あは、鮫って人の事を操ろうとしてても優しいからボロが出ちゃうし、わざと駄目な面をクラスのみんなに見せちゃうし……」


「は? あ、茜まで何言っちゃってんだ? お、俺はただ嫉妬に狂ってたお前を……それを……くっ、もういい。好きに話せよ」


 鮫島は自分の席に戻る。

 その顔からは感情が読み取れなかった。





 茜は再び俺と向き合う。


「ねえ、私祐希の事がずっと好きだった。優しくて……気弱で言うことを聞いてくれる祐希が……」


 茜の発言にクラスメイトが驚きの声を上げた。


『え? なにその発言?』

『やばくね? 病んでるの?』

『ていうか、ドン引き』


 茜は気にせず続ける。


「祐希が変わってしまった。……私達のせいだって分かっていたよ? でもね、自分で自分の事が止められなかったの。嫉妬に支配されている自分にね」


『キモ』

『あれって本当に茜?』

『祐希くん可哀想』


 俺は茜の言葉をしっかりと受け止める。

 茜は更に続けた。


「前みたいに、祐希を……いじ……め……たら、祐希が戻ってくるかと思ったの……。ひぐっ……祐希が傷ついたら……私が思いっきり優しくしようと思って……ひっぐっ」


『泣いてるよ……』

『俺たちってそんな理由で……利用されてたの?』

『わ、わたし動画に撮られちゃったよ……』

『顔写ってないから大丈夫じゃん?』


 茜は泣き顔を俺に向けて頭を下げた。


「祐希……ごめんなさい。だから……私の元へ帰ってきてね? ……また『茜ちゃんと結婚すりゅ』って言ってね」


『わたし無理……』

『ありえねー』

『きもすぎ』

『腹立つわー』



 クラスの空気は完全に冷え切ってしまった。茜はその状況でも言葉を止めなかった。

 ……ちゃんと答えてくれたんだな。

 俺もちゃんと答えるよ。



「茜……その言葉は……お前が俺に言わせただけだろ?」


「え?」


 ――感情をぶつけろ。


 ――本気で茜と向かいあえ!


 ――空気なんて読むな!! 


 ――クラスメイトの声を聞くな!!!



 俺の言葉を許容しきれないで、戸惑っている茜の肩に手をかけた。

 それは……昔みたいに優しく……優しく。


 すこし気弱な感じで茜に微笑んだ。



「俺は小学校の頃かな? その頃には茜の事を異性として好きじゃなかった。……それからもずっと、俺たちの関係は続いた。俺は勝手に友情だと思っていたからな」


 茜は感情を爆発させて俺の胸を力無く叩く。


「なんで……なんで……。あの女たちの方が好きなの? わ、私の方がずっと前から知ってるのに……世界で一番好きなのに……」


「……もちろんあの子達の事は大好きだ。だけどな……それは異性の感情じゃない」


「う、嘘でしょ!? あんなに可愛い子達じゃん」


 俺は泣いている茜にハンカチを手渡した。



「俺は……おもちゃになって、壊されて……いくつかの感情が無くなっちゃったんだ。だから異性を……恋をするって言うのが理解出来ない。分からないんだよ? 茜が俺の事を好きな感情も理解できない……」


 茜の動きが止まってしまう。


「う、うそでしょ? そ、そんな事って……だって、好きって感情なんて誰でも」


「なあ、俺って怖がりだっただろ?」


 俺は茜を無視して続けた。


「……何が起きても怖くないんだ。ヤクザみたいな人と話しても、車に轢かれそうになっても、クラス全員から嫌われても」


 クラスのざわめきがひどくなる。


『ちょ、茜最悪じゃない?』

『祐希君、ヤバ』

『ていうかこれいつ終わるの?』

『全部茜のせいじゃん』


 鮫島はなにかに耐えるように苦い顔をしていた。



「わ、私が悪いの? 私が……いじめたから? みんな面白がっていたのに……」


 クラスの悪意が一気に広がるのを感じた。


『へ、あいつ何言ってるの?』

『可愛いからって調子乗ってない?』

『もう無理……』

『山田君を取った女狐め……』



 鮫島はもしかしたら茜が暴走するのを抑えようとしただけなのかもな。

 物事はシンプルに考えろ。あいつは茜が好きなんだろ……。いくら心でどんな風に思っていてもさ、態度で出てるだろ?



 俺はクラスの空気を無視して茜の頭を撫でた。

 それは幼稚園の頃みたいに……笑顔で……優しく。


「逃げるな茜」


「――ふえ?」


 そして、俺は茜に言い放った。





「茜、もう一度だけ言う。――二度と話しかけてくるな」





















「――お前が本当に成長して素直になるまではな」





 それは優しい口調であった。俺の精一杯の感情を乗せた言葉。

 茜に届いて欲しい。俺の思い。

 おもちゃにされた恨みも憎しみも全て昇華させた俺の本音。




 茜はそんな俺の言葉に、




「わ、わだし……取り返しの……付かない……バカ……。うぅぅぅぅ……ゔゔゔぅぅ……ごめんなざぃ……祐希……ごめんなざぃ……」


 咽び泣く事しか出来ないでいた。

 それは泣きながら笑ってもいるように見える。悲しそうにも見える。

 感情が爆発している。


 ――今はそれで……。









 声が発せられた。

 クラスのリア充女子グループの一人からだ。


「ちょっとさ〜、話聞いてたけどさ〜、結局茜が悪くね?」


「うんうん、カオリンの言うとおりだよね〜」


「マジ最悪。ていうか先生来ないじゃん?」


 クラスメイトに茜に対する悪感情が渦巻く。


「祐希君は被害者なだけじゃんよ!」


「ゆ、祐希、わりーな、サッカーボールぶつけちまってな」


「お、俺もタックルして悪かったよ」


「机をボロボロにしたの俺なんだ……」



 ――おい、お前ら何を言ってる?



 クラスの空気が更に濃密な負の感情に支配される。

 香織が大きな声で言い放った。


「ていうか、茜ハブね! はい、これ決定〜!! みんなでいじってあげようね!! ちょっと可愛いからって調子乗りすぎ」


「祐希君と話すだけで超冷たくされたからね、私」


 この波に乗れないと自分がいじめられる。そういう脅迫概念に襲われているのだろうか?

 クラスメイトは賛同の声を上げ始めた。



 鮫島は苦い顔で席に座ったままであった。隣にいる山田は『う、うほ……』と言いながら狼狽えていた。

 あいつの目は俺を見据える。『みんなお前の味方になったぞ? 良かったな?』と言っているようだ。




 泣いていた茜もクラスの状況を理解し始めた。


「……み、みんな……どうして?」


 香織さんが茜のバッグを投げつけてきた。


「は? ちょっと喋んなよ。元凶ちゃんだろ? 痛い女は出てけよ?」


 クラス中の視線が茜に集まる。


「……い、いや……こ、怖い……」


 因果応報。自分のやった事は自分に返ってくる。……仕方の無い事だ。













 ――なんて言えるかよ!!!



 誰だって間違いは犯すだろ!!!

 間違えたら修正すればいいだけだろ!!!



 俺は教室の壇上に上がる。



 そして……裏拳で黒板を思いっきりぶっ叩いた!!!


 バコンッという凄まじい音と、俺の拳から激しい痛みが伝わる。

 黒板はその部分だけ破壊されてしまった。

 ……俺の拳からは血が流れてきた。


 クラスの視線が俺に移る。

 困惑と、仲間意識と、媚びた視線。


 俺はボッチになってから初めて叫んだ!!




「――おい、てめえら自分の行動を疑問に思わないのか? なんで攻撃をしようとする? 悪者には何をしてもいいのか? てめえらも俺を攻撃してただろうが!」



「――ふざけんじゃねえぞ!!! これじゃあ対象が変わっただけで状況は変わんねえだろう!!! てめえら高校生だろ? 大人になりやがれ!!! てめえらにガキが出来てその対象になったらどうすんだ?? 本能に逃げるな!! ちゃんと頭で考えろや、こら!!」



 俺の心の底からの叫び。

 それは激しい感情を伴ってクラスに響き渡り、クラスメイトの胸に突き刺さる。


 ――誰もが動けないでいた。


 クラスメイト達の動揺を感じ取る。

 俺の言葉を理解していない生徒はいないだろう。ただ、理解したくないだけだ。



 茜は激昂した俺を見て、呆けた顔をしている。

 鮫島……お前は何を思ってる? これ以上は俺の出番じゃないだろ?


 俺は鮫島に向かって顎を上げた。

 立て!! てめえで落とし前をつけろ!


 鮫島は一度目を閉じて深呼吸をして立ち上がった。

 そしてクラスメイトに言い放った。


「よっしゃーー! それじゃあ、このクラスの関係は一旦リセットな!! 茜だけじゃねえしな、祐希をいじってたのは俺たちも一緒だろ?」


 クラスメイトたちはその事実を今更ながら思い出したのか、バツの悪い顔をしていた。


 鮫島が山田の肩に腕を回す。


「……だからさ、もう一度みんなで仲良くしようぜ! 佐藤さんなんて超美人だしさ〜、な、俺からのお願いだ!」


「うほっ、うっほ!!」

「田淵、またゲーム話しようぜ!」

「近藤、推しアイドルは元気か? 俺の推しは超可愛いぞ?」

「カマ子、そんなに拗ねんなよ。こんどアイスおごるからいいべ?」

「――――」

「――――」


 鮫島はクラスメイトに声をかけ続ける。

 クラスメイトの悪意が徐々に薄れていくのを感じる。



 鮫島は状況をよく理解出来ていない茜にも声をかけた。


「あー、茜? 流石に庇いきれねーけど、まあいじめられないようにはすっからさ、ちょっと一人で頭冷やせよ」


 茜は鮫島の言葉に再び泣きそうになってしまう。


「ぐすっ……うん……鮫も……ごめんね」


 鮫島は軽く手で答えると、俺の前に再び近づいてきた。

 頭をポリポリ掻きながら、俺に告げた。


「はぁ……姉貴みたいにはなれねーな。――なりかけてたけどさ」


「勘弁してくれ、あいつは手に余る」


「はは、違いねえ。……なあ祐希、もういじ……めたりしねー、だからもう一度友達にならねーか?」


 鮫島は手を出してきた。


 俺はその手を払い、鮫島に答えた。





「――俺はボッチだ。言っただろ? この教室で俺に構うなって。お前らのした事は忘れないぞ?」





 俺は苦笑して鮫島の胸を軽く小突いた。

 鮫島は笑ってそれに答える。


「ち、しゃーねーな。まっ、俺もいつか謝るか〜、また今度にしとくわ。……って、ぐほっ!?」


 鮫島は佐藤さんに吹き飛ばされてしまった!?






 そして佐藤さんは俺の胸に飛び込んできた。


「……田中。……頑張った……頑張った……頑張った」


 俺は顔を胸に押し付ける佐藤さんの背中をポンポンしながら感情が再び生まれて来るのを感じた。





 ――温かい……なんだろ? この感情は?




 新たな感情の芽生えを感じた。

 それは小さくて……飛んで消えてしまいそうだけど、確かに俺の心に感じる。


 俺はその小さな感情に身を任せ、佐藤さんの身体を抱きしめていた。






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