シンプルが一番


 鈴木さんが泣き止むのを待って、俺はみんなに俺の状況を詳しく伝えた。

 みんな各々好きな動物を抱きしめながら黙って聞いてくれた。


 ずっと幼馴染からいじられていた事、年を重ねる事にいじりが激しくなった事。

 高校になると、それが学校全体に広がった事。



 ――鈴木さんがまた泣きそうになっている。



 雪の日の事はただのきっかけだ。

 俺は……ずっと……いじられ続けていた。



 ――佐藤さんが怒りの感情を顕にしていた。



 流され続けた弱い自分と、止めることが出来なくなった茜達。

 最悪の流れは、俺が……いくつかの感情がなくなるまで続いたのであった。



 俺が雪の日の事まで話し終わると、高橋さんが苦しそうに言った。


「……いじめは許せない……そんな辛い目にあった祐希君が可哀想……。……祐希君、でもね、お願い、どんな形であれ、ずっと一緒に過ごしていた幼馴染の茜ちゃんを……無視しないであげて。否定でも、肯定でもいいから、彼女から逃げずに向き合ってあげて」


 ――俺が茜と向き合う?


 高橋さんは俺を見て頷いた。


「そう、私達は祐希君の味方。……あのクラスでの出来事はひどかった……だから許せなかった。今も怒ってる。――だけど……私達は茜ちゃんの事を知らない。……どうするか決めるのは祐希君次第」


 俺は高橋さんを見て、初めて年上の女性だと意識することが出来た。

 普段のおどおどしている感じが全然無い。言葉に迷いがない。

 決して愚鈍に俺だけの味方をしない。

 俺に考える意識を与えてくれる。


 三つ編みっ子なんて言えないな……。




 高橋さんは続けた。


「……クラスを崩壊させる事は簡単なの……うん、手段を選ばなければいつでも壊せるの。祐希君もあのまま暴力でクラスを支配して、いじめを無くす事だってできたと思うよ。……でもそれは最悪の選択肢だよ? だから……人との、クラスメイトとの会話が大事だと思うの」


 高橋さんの声にはひどく実感が伴っていた。その目は遠い過去を見ているようであった。

 儚い顔が美しくもあり、強さを伴っていた。


 苦い顔をした鈴木さんが口を挟む。


「ねえ、今日はもういいんじゃない? この後はわんにゃんタイムで楽しもうよ! ほら、祐希も可憐もさ!」


「……にゃん太。マタタビ……」


 高橋さんがいつもののんびりとした顔に戻る。


「わわわぁ!? パグ助がこっちに来ちゃったよ!? や、やめ……そこは……足がくすぐったいよ!? ク、クリスじゃないの!」



 ――会話をする。……茜と……クラスメイトと……俺にできるのか?



 俺は足元に集まってきたウサギさんを撫でながら考え込んでしまった。

 そんな俺を何も言わずに優しく見守ってくれる三人。


 俺たちはその後、遅くなる前に帰宅することにした。








 鈴木さんと高橋さんは電車で帰る必要があったけど、俺と佐藤さんは学校まで歩いて通っている。俺は佐藤さんを家まで送る事にした。


 せっかく佐藤さんと二人でいるのに、今日の出来事が頭の中でぐるぐると回る。


 ――茜の指示に(推測)よるいじり。俺と親しい三人の露見。


 ――俺が異性を好きになれない……という事実。


 ――茜と……クラスメイトとの対話の必要性。


 色々複雑に絡み合ってるよな……。俺はボッチでいたいだけだったのに……。


 住宅街の夜道は人気が少なかった。

 俺の身体に衝撃を感じた。


「……田中。そんなに考え過ぎちゃ駄目」


 俺は『んっ』と言いながら手を伸ばす佐藤さんの手を見つめる。

 そして壊れないように優しく手を取った。

 俺たちは再び歩き出す。


「うーん、俺はただボッチでいたいだけだったのにな……」


「田中の存在感は強すぎ。もう少し修行が必要」


「え!? 佐藤さんの可愛さには負けるでしょ!? 明日からどうするの?」


「……だ、大丈夫。……田中が私の盾になる」


「ははっ、分かったよ。俺が佐藤さんの盾になるね」


 こうして取り留めの無い話をしている時が一番心が安らぐ。


 佐藤さんが俺の顔を見ていた。


「……その顔はずるい。私も役に立つ……」


 珍しくほっぺたを膨らます佐藤さん。

 俺は佐藤さんが可愛く思えて、繋いでる手を離して妹にしてるみたいに頭を撫でてしまった。

 手が離れた瞬間佐藤さんは呟いた。


「あ」


 佐藤さんの髪はサラサラで触り心地が凄く良かった。


「た、田中!? くっ……もっとやっていい」


「あ、ご、ごめん、つい妹にやってるみたいにしちゃったよ。い、嫌だったら言ってね」


「……やっていいと言ってる。……頼む」


「あ、歩きづらくない? じゃあもうちょっとだけ……」


 数分ほど撫でたら佐藤さんは満足したのか、俺と手を繋いできた。


 そしてそろそろ佐藤さんの家に近づく。

 佐藤さんの歩みがだんだんと遅くなっているのが分かる。


 二人には会話は少ない。

 だけど……心地良い空間であった。



 気がついた時は佐藤さんの家の前に着いてしまっていた。


 佐藤さんはゆっくりと俺の手を離して、笑顔でバイバイをしてくれた。


「田中、ありがと。……田中が……胸キュンできるまで……頑張るから! 明日の弁当楽しみにしてるから!」


 普段感じないほどの強い意思を込めた言葉。

 佐藤さんは顔を赤らめてお家へスタコラ入っていった。



 俺の心の中で……少しだけ何かが溶けて行くのを感じた。







 *****************





 俺は佐藤さんを見送って帰宅したら、すぐにお風呂へと直行した。

 素っ裸になって湯船へと浸かる。


 身体は冷えていたけど、心は温かい気持ちのままであった。


 ――佐藤さんの最後の顔……可愛かったな。



 俺は幸せを感じていた。

 みんなと偶然出会えたのは奇跡だな……いや、偶然なのか?

 俺はもしかしたら同じ空気を感じたから、自分から近づいて行ったのか?


 寂しいという感情は無い。

 クラスで一人ボッチでも俺は大丈夫だ。

 もしかしたら、心の奥底では……寂しかったのか?




 教室での出来事を思い出す。茜の事を思い出す。


 俺は湯船に浮いているアヒルのおもちゃを弄ぶ。


 ――いじり……か。


 アヒルのおもちゃはひっくり返るけど、浮力で元に戻ってしまう。


 ――俺が茜から逃げている?


 あいつは今まで俺に何をしてきた?

 仲間と一緒に俺をおもちゃにしてきた。それこそ俺の精神が壊れそうになるくらい……。


 ――高橋さん……やっぱりそれは……できないよ。話もしたくもない。


 俺はアヒルのおもちゃを指で弾いて、湯船から上がることにした。






 お風呂から出ると、妹の岬が脱衣所に入ってきた。


「ちょっと!? お兄ちゃん……フルチンじゃない!? は、早く拭いて服着てね……」


 ――岬は茜の事を知ってるよな? ……岬から見た茜ってどんな感じなんだろう?


「ああ、すまん……あ、そうだ、ちょっと聞きたいことがあるんだが……」


「い、今すぐ……? せ、せめてパンツくらい……」


 俺はタオルで身体をふき始めた。岬に真剣な顔で答えた。


「今すぐだ。岬にしかお願いできん」


 岬は溜息を吐いて、俺のパンツを投げつけた。

 洗面台にもたれかかる。


「もう……いいわよ。何が聞きたいの?」


「茜の事だ」


「――――」


 岬の顔が真っ赤になる。身体は……怒りなのか? プルプルと震えていた。

 俺はいそいそとパンツを履くことにした……。






 結局、居間でゆっくり話す事になって、俺は不本意ながらちゃんと服を着る羽目になってしまった。


 俺は岬のためミルクコーヒーを淹れてあげる。

 カップを受け取る岬の顔は憂鬱そうであった。


「……私……お兄ちゃんの事が大嫌いだった」


 ――俺はずっと好きだぞ?


「だって、いつもヘラヘラ笑って、おどおどしちゃって……私にもヘコヘコしてたよ」


「……そうだな」


 岬はカップに入ったミルクコーヒーをくるくると回す。


「分かってるの。茜さんがお兄ちゃんにひどい事をしてたって。……でもね、私信じられなかったの。だって、子供の頃から茜さんはずっとお兄ちゃんしか見て無くて……世界でお兄ちゃんが一番好きだったハズだよ?」


「俺の事がそんなに好きだったのか? ……まあ好意は分かっていたけど……そこまでとは」


「うん、妹の私にさえ嫉妬するほどだったからね。……根は良い子なんだけど……、あ、年上だったね」


 俺は首をひねる。


 茜は俺の事をクラスから排除しようとするくらいの憎しみを持っていた。

 ……机を投げられた恐怖から来たものか……もしくは、今まで通り面白半分かと思っていた。


 ――違うのか? 俺の弱った姿を見て面白がっていたんじゃないのか?


「なあ、岬から見た茜ってどんな感じだ?」


「う〜ん、まずは可愛いよね? それで……自己中心的で、わがままで、自分勝手で……お兄ちゃんの事が大好きだけど素直になれなくて……うん、普通の女子はそんなものじゃない? そんなに悪い印象じゃないよ? ただね……お兄ちゃんを攻撃するまではね」


 岬はカップを机の上にダンッと置いた。

 大きな音が室内に響く。


「……お兄ちゃんを変えちゃった茜さんは、殴りたいくらいムカついてたけどね」


「お、おう」


 俺は岬の気迫に後退ってしまう。





 ため息を吐いた岬は、一度大きく深呼吸をして俺の肩に頭を置いて甘えて来た。

 ちょっと前ではありえない光景だ。


「ねえ、お兄ちゃん、学校は楽しい?」


 俺は佐藤さんと高橋さんと鈴木さんの顔を思い浮かべる。


「ああ、楽しいぞ」


「そっか……」


「なあ、今度俺の友達と一緒に遊びに行こうか? 岬の事を話したら会ってみたいって」


「うん……いいよ」


「茜が俺の事をそんなに好きなんて思わなかった。……じゃあ、あいつに取って俺は大切な人間なのか?」


「……多分、世界で一番」


「俺が大切なのは……岬と……友達だな」


「…へへ……ありがと……」


 岬は眠そうな声で俺に返事をする。


「ふぁ……もう大丈夫? ちょっとだけ寝るね……」


 俺は岬の頭を撫でた。


「岬、ありがとな。……お兄ちゃん……頑張ってみるよ」


「……うん」


 岬は俺を抱き枕にして眠りに落ちてしまった。





 大切な家族、大切な人。

 茜にとって、大切な人は俺……だった。


 俺は茜を拒絶した。

 いじられて、流されて、楽になる空気を否定した。


 ――人の気持ちを考えるんだ。


 好きっていう気持ちは正直わからない。

 だけど、その言葉を聞くとみんなの事を思い浮かぶ。

 俺の心にじんわりと何かが広がっていくのを感じた。



 もしも……俺が、佐藤さんの事を気を引くために意地悪をして……佐藤さんに否定の言葉を浴びせられる。


『二度と話しかけるな』


 言葉が心を貫く。


 ――なるほど……これが茜の気持ちか。






 これっぽっちも同情出来ないし、好きっていう感情もないけど……ちゃんと話す必要があるかもな。

 それが茜を全否定するかもしれないが。



 俺は岬が起きるまで、佐藤さんたちと過ごした時間を、優しい気持ちで思い返す事にした。



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