第8話(2)
***
連休明けの日曜日、「トントン」の店休日に星奈たちは海へ来ていた。
わざわざ店休日に行くことになったのはバイトの主要メンバーが抜けることになるからだけれど、店主の前川が行きたがったからでもある。
というわけで結局、花見のときとほとんど変わらないメンバーで釣りにやって来ている。
「今日はサビキでアジを釣ります」
車を近くの駐車場に止めて波止場にやって来ると、釣り竿を手に金子が説明を始めた。
「撒き餌をこの一番下のカゴに入れて海に投入すると、魚が寄ってくる。で、その撒き餌と針についた擬餌を食べると、魚が引っかかる。そしたら竿がしなるからリールを巻き上げて……って感じで釣り上げます。ちなみに、この擬餌のついた仕掛けをサビキ仕掛けっていうんです」
金子は淡々と説明していたけれど、やってみたほうが早いと思ったのか、一同に背を向けるとヒョイっと竿を振って仕掛けを海へ放り込んだ。
それは無駄のないフォームで、金子がいかに釣りに慣れているかわかる。
星奈たちは歓声を上げてから、竿を握り真剣に海を睨む金子の背中を見守る。すると、そう経たないうちに竿の先端がグッと引き込まれるようにしなった。金子は慌てることなく竿を持ち上げ、リールを巻いていく。
「すごい!」
海から上げられた釣り糸を見て、星奈は思わず感嘆の声をもらした。
八つある針のうち、六つに魚がかかっていた。
「あー……本当は全部の針に魚がかかるのを見せたかったんだけど。まあ、そういうことにこだわると逃げられるから、ほどほどに引いたらリールを巻いて引き上げてください」
言いながら、金子は針から魚を華麗に外し、海水を入れておいたバケツに放った。
「これ、浮きはついてないんだな。俺、釣りってあんまりやったことなくて、仕掛けの違いとかわからないんだけど」
「浮きをつけたほうがより初心者向けになるとは思ったんですけど、そうすると浮きの動きばっかり見て引いたときの感触を覚えないかなって」
「なるほどね。あ、これは
「そうです。こっちのほうがたぶん、慣れてない人でも投げやすいですから」
あんまりやったことがないというわりに、前川は金子が用意してきた竿にずいぶん食いついている。尋ねられるとやはり嬉しいのか、金子も熱心に答えている。
金子が華麗に釣り上げるのを見せられている星奈たちは、早くやってみたくてうずうずしていた。だから、二人の話が長引いたらどうしようと思って、みんなで顔を見合わせた。
「金子ー! 早くしようよ。みんな退屈しちゃうよ」
「そうだった」
見かねた夏目が声をあげてくれたことで、ようやく金子は今日の本来の目的を思い出したらしい。
「竿は人数分ないんで、うまく交代しながら釣ってください。時々引き上げて、カゴに撒き餌を補充するのを忘れずに」
「はーい」
「七人に対して竿が四本だから、まずは女子三人にやってもらって、残り一本は……エイジさん、やってみる?」
竿を配りながら、金子がエイジに尋ねた。金子も何かとエイジを気にかけてくれていて、どうやら気が合うらしい。
「俺はいいよ。最初は見てる。アツシは?」
「いいの? やるやるー!」
星奈、幸香、夏目、それから篤志に竿が配られ、四人は並んで釣ることになった。当たり前のようにエイジと前川と金子が女子三人の補助のように背後に立つのを見て、篤志はしまったという顔をした。
「こうなったら、俺は誰より多くアジを釣ってやるぞー」
気合いたっぷりのかけ声と共に、篤志は竿を振って仕掛けの部分を海へ放った。それにならって、星奈たちも竿を振る。
「どうしよう……あんまり遠くに飛ばなかった」
思いきり投げたつもりだったのに、星奈の糸はわりと手前のところに落ちてしまった。
「大丈夫。魚が気づいて来てくれるよ」
「うん。……あ! これ、引いてる?」
エイジに励まされてすぐ、星奈の釣り竿の先端はしなった。
「引いてるよ。落ち着いてリールを巻いたらいいから」
初めての感覚に驚く星奈に、エイジは優しく声をかけてくれた。戸惑いながらもリールを巻いていくと、引き上げた仕掛け部分にはアジが四匹かかっていた。
「すごい! 釣れたよ! 初めてで四匹も釣れた!」
「セナ、やったね。じゃあ、魚を針から外さないと」
「うん。……あれ?」
喜び勇んで魚の口から針を外そうとするも、それはなかなかうまくいかなかった。星奈にとって初めてなのは釣りだけではなく、生魚を触ることもだった。ましてやビチビチとまだ動く魚なんて近くで見たことも初めてで、怖気づいてしまっていた。
「貸して。噛んだりしないから、怖がらなくていいよ」
見かねたエイジが横から手を伸ばして、一匹一匹丁寧に針から外してくれた。金子ほど華麗な手つきではないものの、星奈のようなおっかなびっくりといった覚束なさはない。
「エイジ、上手だね」
「カネコくんほどじゃないけど」
「次、釣る?」
「うん、やってみる」
四匹釣ってちょっとした達成感を味わった星奈は、エイジに釣り竿を渡す。エイジはそれを目をキラキラさせて受け取って、早速きれいなフォームで仕掛けを投げた。
「星奈さん、見て見て! 俺、いきなり八匹釣ったよ」
少し離れたところで釣っていた篤志が、そう言って釣り上げた魚を掲げて見せてきた。
「すごいね! いきなり? 私はまだ四匹」
「俺がもっと釣るからいい。負けない」
「チーム戦なの?」
「うん」
星奈が篤志の
「ちょっと、幸香。次は代わって」
「俺、夏目と組んでる時点で負け確定じゃん。夏目、早く釣り上げろ。魚に餌やりに来たんじゃないぞ」
「何だこれ! 俺、寂しい! 寂しいから絶対勝つ!」
男性たちはそれぞれに闘志を燃やし、猛然と釣り竿を振った。女性陣が竿を握っていたときから一転、雰囲気はのんびりしたものから真剣なものになった。
潮の流れがよかったのか、それからは面白いほど魚が釣れた。星奈も入れ食い状態だったけれど、男性たちにバトンタッチしてからはそれ以上だ。
だからこそ、勝負はどんどん白熱していく。
「店長も金子くんも、勝負事にムキになるんだね。何か、意外だった」
エイジも篤志もよく釣れているようだけれど、今のところ競っているのは前川と金子のようだ。双方いかに相手より多く釣るかに必死になって、魚を外しては竿を振り、また釣り上げては竿を振りを繰り返している。
「いやいや。金子はあれでもこだわりの強い奴なんで、自宅で竿の準備してるときから『みんな釣れるといいな。俺が一番釣るけど』とか言ってたんですから」
「へぇ。クールなだけじゃないんだね」
「全然! クールというか静かなのはよそ行きの顔です」
「うまくいってるみたいで、よかった」
金子のことをいろいろと話す夏目は幸せな女の子そのもので、二人の関係が順調なことを物語っている。この前の合コンがいい転機になったようで、よかったなと星奈は思う。
「それにしてもよく釣れるねえ。あたしは、夕飯がアジ尽くしになるなら誰が勝ってもいいけど」
白熱する男性陣を冷ややかな目で見つめて、幸香が言った。
「どうしたの? すねてる?」
「すねてる。だってあたし、まだそんなに釣ってなかったもん」
「えー。じゃああとで釣り竿、取り返さなきゃ。でも、やっぱり店長が勝って欲しいから応援するでしょ?」
「まあね」
あまり釣り竿を持たせてもらえなかったことにすねつつも、幸香も前川の話になると嬉しそうだ。
「星奈さんはどっちを応援するんですか? 篤志さんとエイジさん」
何も知らない夏目が、無邪気に尋ねてきた。
確かにこの流れだと、星奈はどちらかを応援しなくちゃいけないのだろうと思う。でも、星奈の目は自然とエイジを見つめてしまっていた。
「やっぱりエイジさんですか? 何か、星奈さんに懐いてて可愛いですもんね」
「そ、そうかな……?」
「じゃあ、私は篤志さんを応援してあげようかな。金子は応援しなくても勝つし」
夏目はあくまで無邪気に言い放ってから、篤志のもとへ走っていった。「イェーイ篤志さん、釣れてますー?」というのは応援ではなく、煽りではないかと思うのだけれど。
「何かさ、最近の星奈を見てると心配だよ」
幸香は、海から星奈に視線を移して言う。そこに咎めるような空気を感じ取って、星奈は身構えた。
「……心配って、何が?」
「何がって、エイジのことだよ。星奈、エイジがずっとそばにいるわけじゃないってこと、忘れてない?」
「忘れてないよ。モニターは長くても八月まで。ちゃんとわかってる」
「……ならいいけど。ちゃんと割り切ってないと、辛くなるのは星奈だからね」
ただ当たり前の事実を確認しただけなのに、二人の間には気まずい空気が流れてしまう。幸香が悪いわけではないとわかっているし、言いたいこともわかるけれど、星奈の気持ちは沈んだ。
「あー、だめだ。流れが変わった。これは、もう釣れないかも」
不意に金子が言って、竿を持ったまま“お手上げ”みたいなポーズをとる。
そういえば、少し前からひっきりなしに釣り上げて魚を外す様子が見られなくなっていた。
金子が見切りをつけたのを合図に、みんな糸を海から上げた。
「セナ、たくさん釣ったよ。それぞれ四十匹以上は釣ったかも」
最後に釣り上げた魚を針から外しながら、エイジがにこやかに言ってきた。その楽しげな表情を見て、星奈の気持ちは上向いた。
「セナにあまり釣らせてあげられなくてごめん」
「いいよ。エイジが楽しめたなら」
「うん、楽しかった。ありが……」
「エイジ!?」
嬉しそうに星奈のそばに来ようとしていたエイジの身体が、突然ぐらついた。そして足をもつれさせるように前のめりになった。
「大丈夫?」
倒れる寸前のところで、駆け寄った星奈が受け止めることができた。でも、なかなか返答がない。
「……うん。何か、急に目の前が真っ暗になって、ずっと暗い下り坂に吸い込まれていくような感覚がして……」
「下り坂? きっと、悪い夢を見たんだよ」
やっと返事があったと思ったのに、それは要領を得ない。ロボットは夢を見るのだろうかと思いつつも、星奈はそんな言葉しかかけられなかった。
「エイジくん、暑さのせいで立ちくらみかな。これで首元を冷やしてみて」
前川がクーラーボックスから取ってきてくれたらしく、冷たいペットボトルをエイジに差し出した。
「すみません。ありがとうございます、前川さん」
「……うん。こっち、日陰に行って休もうか」
一瞬、エイジの様子に星奈は違和感を覚えた。それは前川も同じだったようだけれど、それどころではない。
まだ足に力が入り切らないエイジの両脇を二人で抱え、陰になっているところまで運んだ。
「真野さんたちに連絡しようか?」
前川たちがそろそろ帰ろうかとかどこか涼めるところへ寄ろうかと話し合っているのに聞き耳を立てながら、星奈は座り込んでいるエイジに声をかけた。
エイジは意識はあるものの、ぐったりしている。周りは暑気あたりだと思っているけれど、ロボットは暑気あたりにならないことを知っている星奈は不安だった。
「いい、帰ってからで。もう元気だし」
「本当? 何か欲しいものある?」
「今はそばにいて、セナ」
不安な子供がするように、エイジは星奈の指先を摑んだ。手をつなぐほどしっかりしたものではなく、ためらいながらも思わず摑んだという感じだ。
見上げる視線もどこかすがるようで、星奈の胸は締めつけられる。
星奈は唐突に、自分が今どこで、誰と向き合っているのかわからなくなった。正確に言えば、瑛一と対峙しているような錯覚を起こしそうになったのだ。
そのことを自覚して、幸香が何をしていたのかが身にしみてわかった。
(瑛一は、もういない。エイジとだって、永遠に一緒にいられるわけじゃない。そのことを、そろそろ私は受け入れなくちゃいけないんだ)
みんなが呼びに来るまでの間、星奈は何度も何度も、そのことを噛みしめていた。
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