第七十八話 御神木

「ここも久しぶりですね」


 たどり着くとジェネットの気分は一転して、祈祷師としての神秘さを取り戻したのか、東城には年齢よりも少し大人びてみえた。

 御神木はその姿を東城らの記憶と一切変えずにそびえ立っている。風に枝が揺れ、木漏れ日を注ぎ、舞い散る木の葉がそれを反射させ、この世界そのものといっていい幻想的な光景だった。


「ここで初めて東城さんに会ったんですよね」


 そうですねと答えたが、気に入らない場所である。

 神にまつわる場所であるし、お祈りといえばここであるため、この場所も好きではなかった。


「フォルトナ様にもしっかり挨拶をしないと。さ、東城さんもこちらに」


 村人によって祠が建て直されている。それすらも気に入らなかった。

 ジェネットは正座をして、ぽんと隣の地面を叩いた。ここに座れというのである。


「……では、失礼します」


 まずは地図が必要だな。チェインの根城がどこなのかを調べて、路銀も稼がなくてはならん。俺だけならば身軽でいいのだが……。


 考え事に熱中していると、祈りの最中は無言を貫いているジェネットが、何かを呟いている。


 フォルトナ様、私たちを、東城さんをお守りいただきありがとうございます。


 そう聞こえた。東城は難癖をつける代わりに音が出ないよう拳を地面に添え、掘るようにして力を入れた。声も音も出せないために、こんなことで怒りを発散させるしかなかった。


 俺を守ったのは俺である。それを他人が神のおかげとしてなんとする。唇を曲げてジェネットの横顔に視線を向けると、


(彼女に怒っても仕方がない)


 と、なおさら地面がえぐれていく。

 彼女たちを守ったのは俺だ。とは思いたくなかった。傲慢な気もしたし、護衛なのだから当たり前であると折り合いをつけ、ともかく神がいたとしてもそのおかげではないと八つ当たりのように地面を掘った。


「ああ、たくさんお話ができました」


 その微笑みを眩しく思った。


「……それはよかった」

「東城さんはどうでしたか?」

「集中できました」

「やっぱり! この場所だと他よりも落ち着けるし、空気もおいしいし、お声かけもしていただけますもの」


 邪悪のくせにこの子に声などかけるな。東城の喉にはそういう罵りがせり上がってくるのだが、信仰の真実がそうであるとは伝えづらい。何から何まで人質に取られているようで、歯痒く、そして腹立たしい。


「あそこの洞でお勉強もしましたね。……午後に予定はありますか?」

「ミドさんと一緒に草むしりをします」


 そんな約束はしていない。が、そうと言わなければ勉強という名の拷問が始まってしまう。


「だったら平気ですね。お父さんなら許してくれますから」


 唾を飲み込み、一瞬で覚悟を決めた。


「——はい。喜んで」


 ある種の贅沢だ。俺のような粗忽者にこうして勉学を授けてくれるのだから。それがなんとか神とか精霊だとか、邪悪の根元を知るようなものでも、ないよりはましであるし、耳からこぼしておけばいいだけだ。


 徹頭徹尾変わらない東城の内心を知るものはいない。彼だけがこの世界で浮いている。


「えへへ。それじゃあ、チェイン神のことについてやりましょうか」

「ジェネットさんは物知りですね」

「このくらいは祈祷師ならみんな知ってますよ。……他の人よりは少しは物知りかもですけど」


 どういう意図があってそう言ったのか東城にはわからない。本心を悟らせないような会話術は親子であると認めざるを得なかった。


「かも、ではなくきっとそうでしょう。俺でもわかりやすく教えてくれますし、何より根気がある。これは才能です」


 しつこいぞという皮肉を多少くわえたつもりである。珍しくそんなことをする気になったくらいには「神のおかげ」にむかついているらしい。


「……えへ、東城さんはいつも褒めてくれますね」

「褒めるところしかありませんので」


 大飯食らいだとか、怪力だとかの言葉を変換している場合もあるが、無論そんなことはジェネットにはわからない。


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