第二十九話 人情

「あのー、俺は」

「わかっていますよ。ええ、安心してください」


 ハーベイは東城の逡巡に優しく返事をした。


「祈祷師は大切な存在です。その護衛を引き剥がしたりはできません」

「わかってくれましたか」

「もちろんです。あなた方の安全と、行商を含めた無辜の民の安全では重さがまるで違いますから」

(狸が! そんなことを言えば)


 ハーベイは温和な表情だが、まるっきり逆のそれに見えた。とうとう真っ当な手段で東城にあたることをやめたらしい。


「…ねえ東城さん」

なってはいかんのだ! だから……!)

「皆さんお困りみたいですけど」


 頬が痙攣するのがわかった。ジェネットは東城を見上げ、肯定しろといわんばかりに、


「東城さんは私やバンさんを助けてくれました。今度は皆さんを助ける。それだけのことじゃありませんか」


 と、微笑む。自覚があるのかないのかは東城にはわからなかったが、うなずかなければこの頑固な娘は一日中こうしてお願いをしてくるだろう。

 ハーベイは東城の言葉を待っている。ずるいやり方だという罵りは飲み込めたが、しかしこの娘たちを危険に晒したくはない。


「俺にはできかねると思います」


 やっとの思いでこたえを絞り出したが、ハーベイよりもジェネットが気に入らず、足先を踏みつけた。


「じゃあ、私が行きますよ。ね、バンさん?」

「え? な、なんで私まで……」

「ジェネットさん、もう少しお考えを」

「うるさいです。もう決めましたから。ハーベイ様、よろしければ旅程とするべきことを教えて欲しいのですが」


 私は護衛についてよくわかりませんので。といつになく刺々しい言葉と視線で東城を貫いた。


(ど、どうすんだ東城! なんか私まで巻き込まれてんじゃん!)

(おち、落ち着いてください。どうにかして考えを改めてもらいますから)

「言っておきますけど」


 アイコンタクトは即刻中止され、恐々とジェネットを見た。


「私は絶対……絶対にやり遂げますからね」


 いきましょうハーベイさん。ここには人情がありません。と彼を待たず部屋を出て行った。


「隊長、やりすぎじゃねえの?」

「俺が何かしたか?」

「上に立つものは、そのくらいでなければ務まりません。見事な人心掌握の術です。しかし、俺はともかく彼女にはしない方がいい」

「……はて、お褒めの言葉をいただけるとは思いませんでしたな」


 わざとらしいほどに優雅な一礼をして彼も部屋を出て行った。残された東城は、静かに机の前に立ち、渾身の力を込めた拳を叩きつけた。


「ンの野郎。俺じゃなくそっちを狙うかよ」

(落ち着けってのは自分に言ったのかこいつは)

「バンさん。何か策はありますか。ジェネットさんを改心させる方法は」

「無理っしょ。あの子、わかってんだろ? 相当な頑固者だよ」

「それは承知していますが、ですが危険すぎますよ。ハーベイさんも祈祷師を宝のように扱っておきながら」


 どうしてこうなる。という非難は誰に向けたのか。バンローディアにはわかっている。


「……気持ちはわかるけどさあ。要はお前が行け、人質がいるんだぞって話だろ? こうなったらやるしかねえじゃん」

「ひどい話です」

「うん。ひどい話だ。だけど放っておくこともできない。私が言うのもなんだけど、お祈りもしないバカタレ騎士どもにジェネットを預けたくないからさ。東城が行かないなら、誘われたってのもあるけど、代わりに……つとまらなさそうだけどさ」


 バンローディアは多弁になっている。騎士の通癖かと思わせるくらい、遠回りにものを言う。


「単純なことだぜ。あいつと一緒に行けばいいだけさ」

「バンさんも森で襲われたでしょう」

「お前がいるじゃないか」

「……あのくらいの数ならば斬れるとわかりました。しかし正直に言いますと、それをする俺自身が怖いのです。あのザマを見たでしょう。あれをまたお見せするとなると、情けなくもこの手が、足が、胸が震えるのです」


 血だらけになり、もう大丈夫ですよと微笑みかけるその口も、手を差し伸べるそこにも、足跡ですらも一色に染まる。

 この世界に来てから、過去のあらゆる経験を行使する自分を見せることを恐れている。だからこそ、過剰なまでにジェネットたちが危険に近づくことを拒んだ。


「私は平気さ。言ったろ、人が死ぬってことを、お前ほどじゃないけど理解している。あの姿だって、いつもとは違うけど、それもまた性格の側面だよ」

「ジェネットさんはどうですか。あの人は無垢だ。あんな光景を、あんなことをする人間を見せてはいけないように思うのです」

「それは東城、傲慢だぜ。あいつはあいつで一人前の祈祷師だ。これから戦場にも出る。出させないって言ったって、出るしかないんだ。きっと経験を積むだろうさ。でもその時に過保護なばっかりじゃかえって毒だ。説得したいんじゃなくて……理解でもないんだ、でも、わかるだろ。三人で一つ屋根の下で飯を食って、ここで誰かが別行動だなんておかしいだろ」

「あなたのそれは情です。それだけでは——」


 反論しようとしても喉が詰まる。情を蔑ろにするつもりはなかったが、その言葉に心が揺らいだ。


(情が俺を動かしていた)


 初めから護衛とは名ばかりのもので、ジェネットを守りたいがための言い訳だったのかもしれない。恩義は、すなわち情でもある。

 そう気がつくと、魔法が頭から抜け落ちて羞恥したことも思い出す。またやったなと今度はばかばかしくなって、一人で笑った。


「壊れんなよ。話はまだ終わってないぞ」

「いえ、そうではなく……ふふ」


 笑い終えると目を擦り、胡乱げなバンローディアに軽く頭を下げた。


「そうですね。物事は単純が一番だ。ジェネットさんが一人で行くのは危ない。だから我々も同行する。それだけの話です」

「そう! やっとわかったのかよ、まったく面倒をかけさせてさぁ!」


 どん、と憂さ晴らしのような半ば本気の拳が東城の腹にぶち当たったが、これもうじうじしていた罰だろうと許したが、誰が俺にバチを当てるのだと自分の思考に憤慨した。ちょうど目についたハーベイの机には、さっき殴ってへこんだ場所で、そこをまた叩いた。


「お、怒んなって。スキンシップのわからない男だな」

「いいえ。これは、まあ……ハーベイさんもわかってくれますよ」

「いやあどうだろ。それ、新調してもいいくらいだけど」


 木製のそれは陥没し、足が二本ひび割れている。天板はえぐれて傾き、書類がハラハラと落ちた。


「さ、合流しましょう。ジェネットさん、驚くかもしれませんねえ」

(ジェネットがいなきゃ制御できないだろ。あれができちゃうやつなんか帝国にだっていねえよ)


 かわいそうなほどに壊れた机に目をやって二人も部屋を出た。そのドアの閉まるで足が折れたのか、室内からは派手な音がした。

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