合唱禁止、公演中止。~covid-19で部活ができないのでオペラをやってみた~
たけすみ
合唱禁止、公演中止。
プロローグ
2020年2月下旬~3月29日(友引)
2020年、2月の終わり。
それは誰にとっても、大切な何かを削り取られたような経験だったはずだ。
例えば、巨大で透明な消しゴムか何かで、ごっそりと。
covid-19、いわゆる新型コロナウイルスの影響により、私立美星高校合唱部第47期定期演奏会はキャンセルになった。
これは10年生
3月生まれの親友への誕生日プレゼントもアマゾンのほしい物リスト経由での郵送になってしまった。
その代演とはいわないまでも、12年生達の――いわゆる高校3年生のことである。私立美星は小中高一貫校であり、学年は小学1年から通年で数える――卒業公演は密やかに行われた。
卒業式の直後である。
本来ならその時間、卒業生達には駅前のビジネスホテルでの謝恩会があった。
それもキャンセルになり、空いた時間が宛がわれた。
会場は高校の音楽室。観客は保護者と身を潜めて集った下級生部員やOBOG達。歌い手は卒業生だけ。
全員マスク着用、各自石鹸で手を念入りに洗った。
音楽室のリノリウムの床を塩素系漂白剤を薄めたものでモップ掛けし、換気も徹底した。可能な限りの感染対策だ。
その上で、演奏内容も部の定番組曲を二つのみ、ものの30分程度だった。
covidの影響さえなければ、正式な定期演奏会は卒業式の2週間後だった。
市内の収容人数600人程度のコンサートホールにて、入場無料で行わるはずだった。
内容も本校合唱部の定番曲を中心とした合唱曲やミュージカルナンバーなど、時間にして2時間弱ほどだろうか。
夏のNHKコンクールが終わってから半年以上かけて練習を積んできた。
文化祭や音楽祭ですら彼らにとっては肩慣らしだった。
合唱部にとっては卒業式も、例年ならば単なるセレモニーでしかない。
部員たちは翌日も学校に集まるからだ。
10年生から受験を終えた卒業生まで皆揃って、全力で歌いつくす。定期演奏会で、悔いを残さないための日々である。
――そういう濃密で直向きな時間を過ごすはずだった。
それが2月の末に、まるで燃え始めたかがり火に消火剤でも撒かれたように、慌ただしく消えた。
不完全燃焼どころではない。やむを得ない完全鎮火である。
なにしろ相手は世界で猛威を振るっているスペイン風邪やペストの再来などと言われている新型ウィルスだ。あるのは恐怖に似た無力感ばかりである。
『せめて一日だけ集まって、全員で歌ったものを音源化しようか』――そんな思い出作りの話もあった。
だがcovid-19は飛沫感染する。集合して歌うなどもってのほかと、学校側から厳禁を言い渡された。
まだ誰も感染してなどいないのに……部員の誰もがそう思った。
それを率先してなだめて回ったのは卒業生たちだった。最も嘆いているのは、外ならぬ彼ら彼女らだったはずである。
それを分かっている部員たちは、泣き寝入りのようにこれを受け入れた。
後に残るのは、虚無感ばかりだった。
これは、新入生たちも同様だった。いわゆる内部生と呼ばれる9年生から10年生になった子らも、外部生と呼ばれる中学3年生から10年生として入ってきた子らもである。
彼らの新生活もはぎ取られたのである。
もっともこれは美星高校に限ったことではない。
これについては新11年生、12年生達の考えるところでもあった。
自分達のこれからと同時に、彼らの失われた最初の春をいかに補うかである。
特に部活動に心血を注いでいる生徒は真剣だった。部によっては、新入生の獲得は部の存続にも影響するからだ。
そんな中、妙に象徴的だったのは本来なら合唱部の定期公演があった日だ。
満開の桜の上に雪が積もった。
この年の美星の合唱部員達は3月29日の日曜をきっと忘れない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます