勇者、けとばす! けしとぶ! けちらす!


「エージ、今すぐ剣を抜け!」


「エージさん、早く! 二人に治癒を!」


「うるさいわね! この二人は傷一つ負っておりませんわ! よく見なさい、血も出ていないでしょう!?」



 インテルフィが珍しく感情をあらわにして二人を怒鳴る声が、ひどく遠くに聞こえる。



 俺は剣を握り締め、必死に歯を食いしばり足を踏ん張り、耐えていた。


 剣を通して、凄まじいエネルギーが流れ込んでくる。いや、流れ込んでるんじゃない。俺は『吸い込んでいる』んだ。


 一時的にでも、インキュバスの魔力を全て奪い取ってしまえば、リラ団長を正気に戻すことができるはず――俺はそう考えて、このような暴挙に出た。


 しかしインキュバスは俺達が息をするのと同じように、魅了の能力を放ってしまうらしい。魅了の能力の源は、もちろん魔力。つまり我々人間とは桁違いの魔力を、その身に蓄えている種族なのだ。


 さらに厄介なのが、リラ団長。


 インキュバスの魔力のみ吸い込むつもりだったのに、彼女まで巻き込んでしまった。彼女の魔力も噂通り、アホほど高い。


 おまけにこの『キュインキュイン・キューイング・バッキュン・バキューム』なる技を使うのは、今が初めてだ。この方法も名前も今思い付いたんだから、当たり前である。



 吸引した力がどうなるのか、俺にもわからない。


 けれど吸い込むほどに全身が膨らみ、破裂しそうになっていくのを感じる。目に見える手は何ともなっていないから、感覚的なものだとは思う。


 しかし確かに、身に余る力が俺の中で暴れ回っている証に、己の毛穴という毛穴から風が吹き出しているように服はビリビリと破れ落ち、マントも激しく翻っていた。



「うおおおおお! おああああああ!」



 耐え切れず、俺は咆哮した。


 バキン、と乾いた音と共に、頭に軽い衝撃が走る。ビオウさんに譲ってもらった、サークレットが砕けたのだ。



 そして、はらりと。


 視界に、いつか見た黒の線が舞う。



 辺りはいつの間にか、薄っすらと明るくなり始めていた。水平線から日が登り始めたようだ。



 朝日の眩い光。吹き付ける潮風。体内を荒れ狂い駆け巡る力。そして、視界を掠めては抜け落ちていく大切な髪。



 早く……早く早く早く早く!


 終われ……終われ、終われ終われ終われ!!



 不意に、剣から流れ込んでくる力が止まった。


 ついに、二人の魔力を、全て吸い尽くしたのだ。



 ゆっくりと、俺は二人の体から剣を抜き、ラクスとパンテーヌを振り向こうとした。しかし足が言うことをきかず、酩酊したようにフラフラするばかりでちゃんと二人の顔が見られない。


 代わりに、言葉で『もう大丈夫だ』と伝えようとしたのだが。



「がぼ! ごぶ! ぐべ!」



 喉から出たるは、聞くも無惨な破裂音。ガスが口から出てくる生理現象――通称、ゲップというやつだ。


 慌てて止めようとするも、今度は別の場所からも音が放たれた。



『ブブン! ボボン! ババババン!』



 音の発生源は、お尻――――そう、おならである!


 どうやら吸引した力が、何故かこんな形で排出されているらしい。



 ちょっとちょっと待って! こんなのおかしい!


 普通、相手の力を吸い取ったら、我が物になる展開だろ!?

 密かにインキュバスのモテパワーを得られるかも〜って期待していたのに……何でこうなるんだ!?



「どべっ! でびっ! だぼっ!」

『ブンブブーン! ボーボボボッボッ! ブバンババーン!』



 懸命に言い訳しようとするも、言葉にならない。しかも足はまだふらついていて、倒れないようにするだけで精一杯だ。



「ああ……これは……」

「ええ……あれですね」



 呆然と俺を見つめていたラクスとパンテーヌが、合点いったように囁き合うのが聞こえた。



「まるでミラーボールみたい……!」



 華やいだ声に頭を揺らしながら振り返ると、いつの間にか身を起こしていたリラ団長がキラキラした眼差しで俺を見ている。



 ミラー、ボール……?


 ミラーボールというと、あのダンスホールの天井でに輝いている……?



 恐る恐る、俺は自分の頭に触れてみた。



 あれ、意外と残ってる……?


 しかし妙な違和感がある。濃いところと薄いところ、そして全くなくなっているところがマス目状になっていて――そして俺の体はふらついて、それはまるで緩慢な動きで回転しているみたいな感じで――この頭に朝日が射し込んでいて――――。



 俺の! 俺の頭が! ミラーボールみたいになってるーー!?



「げべっべ! ごぼっふぉ! かばばばば!!」

『ボバンブン! ベベッボン! ブブバブブーン!!』


「ほら、おあつらえ向きに、リズムを奏でる音響までありますわ。せっかくですから、一曲踊ってみてはいかが?」



 インテルフィが告げたのは、所在なさそうに目を泳がせていた陰気ュバスに対して、だ。



「インテルフィ様!?」

「何でリラ団長がそんな奴と!」



 ラクスとパンテーヌが非難を浴びせる。けれどインテルフィは優雅な笑顔で、彼女達に言った。



「あなた達も、本当はわかっているのでしょう? リラ団長さんは、『ご自分の意志』でここにいるということを」



 何ーー!? どういうことーー!?



 驚愕に目を見開き、問い質そうとするも、今の状態ではままならない。


 結局ラクスとパンテーヌは悔しそうに俯いただけで、インテルフィに異を唱えることはしなかった。


 陰気ュバスはインテルフィに勧められてもモジモジして動こうとしなかったけれど、リラ団長に手を差し伸べられるとおずおずといった調子で取り、立ち上がった。



 俺の放つ輝きの中、俺の奏でる音楽に合わせてたどたどしく踊る二人は、恥ずかしそうで照れ臭そうで――――でも、とても幸せそうに見えた。


 めでたし、めでたし。






 …………ってなるかーー!!!!



 やっとのことでゲップとおならが止まると、俺は岩に散った髪を拾い集めながら、だばだばと涙を流した。もうここまでくると、何が悲しいのかわからない。



 運命の人だと思っていた相手は、良くも悪くもメスゴリラ的な人だった。


 苦労してこんな僻地にまで来たのに、陰キャ野郎のダンスの舞台装置に使われた。


 ラクスとパンテーヌに、これでもかというほどゲップとおならを聞かせてしまった。


 俺に残ったものといえば、夢を裏切られた絶望と、陰キャ如きに先を越された敗北感と、穴がなくても隠れたいほどの生き恥と、まだらにハゲた頭だけだ。



 いや、もう一つあった。



「ああ、エージ……あなたはやっぱり最高よ! その顔、その声、その姿、全てがわたくしの好み……いいえ、理想だわ! こんなにわたくしを滾らせてくれるのは、世界広しと言えどあなただけよ! 無様よ無惨よ、この上なく不細工よ! 好き好き、大好き! 今すぐ結婚して!!」



 感極まったインテルフィが、地べたにへたり込んでオンオン泣く俺に抱き着いて愛を囁く。



 四つの哀れみの眼差しを受けながら、俺はほんの少しだけ死にたい……と思った。


 しかしここで死んだらハゲたまんまだと思い留まり、必ずやフサフサになってこいつら全員を見返してやろうと思い直した。

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