第19話 老いた猫と若い鹿
意識が眠りの底に落ちた夜知の頭を、茉理はまるで我が子の頭であるかのように、優しく撫でていた。
ひた、と。その部屋の襖を開ける音がした。
「あら、神主様。可愛い孫の容態が心配になりましたか?」
入ってきたのは、顔に白い髭を蓄えた、老人だった。髪は殆ど生えておらず、目は細く、腰は曲っており、足が悪いのか杖をついていた。
「いやはや。最近はめっきり大人っぽくなったなぁと思っていた孫が、倒れて帰ってきたとあらばどうも心配で。神事を放り出して見に来てしまいました」
朗らかに笑いながら話す様は、さながら仙人と言ったところだった。
「治療は、もう殆ど終わりました。肉体、精神ともに。お孫さん、夜知さんは、強い子ですね。力があり、その力の使い方をもう考えている。中々若いのに、出来ないことですよ。まぁ、それゆえに、考え込んでしまうこともあるみたいですが」
それを聞いた夜知の祖父――月笠
「……夜知には、苦労をかけさせてしまったと、思っているのです。夜知が物心ついたときには既に両親ともおらず、儂も精一杯に愛情を注ぎましたがそれでも、親が子供に注ぐそれには到底、辿りついてはいないものでしたから」
そう言った。
それは、逸猫を信仰する最後の神社になってしまった、衣恵守神社百三代目当主、月笠御影の、懺悔にもとれる言葉だった。
「年齢にそぐわないような言動や行動は、その子が良くも悪くも成長過程で特異な刺激を受けたことを意味します。……だからこの子は、よく考えるようになったのでしょうね。教えてくれる人が、少なかったから」
「本当に、返す言葉もありません」
しん、と静かな部屋に、時折外に吹く風が、葉っぱを揺らす音だけが聞こえる。
「夜知さんを、色々な神社に行かせてみてはどうでしょう?」
茉理は、御影にそう言った。
「……確かに。それがいいのかもしれません。今まで少し、閉鎖的でしたから」
しばらくの沈黙の後、御影は再び口を開いた。
「儂は。夜知に神主を継いでもらおうと思っています」
それを聞くと、茉理はふと顔を上げて。
「それは、良いと思います。夜知さんならきっと、素晴らしい巫女になりますよ」
そう言って、柔らかに微笑んだ。
「爺馬鹿ではありますが、儂もそう思います。必ず、儂なんかを超える巫覡になる。この子からは、そんな可能性を感じるのです」
御影は、安心しきっているのかすぅすぅと寝息を立てている、今だ幼さが残るその顔に目をやる。
「この子には、人の痛みが分かる心がある。逸猫を操る才能がある。その才能の力を知っている。そして、経験を自分の糧にする気持ちがある。後は、経験さえあれば。きっとこの子は、逞しく育っていく」
ゆっくりとその後、茉理を見る。
「この子はいつの間にか、目を離している隙に、目を離しても良いほどに成長してしまった。儂にしてやれることは、恥ずかしながらこれほどにしか、無くなってしまった」
そう言った後に御影は、茉理の方を見ながら、ゆっくりと頭を下げた。
「どうかこの子の、成長の一助となってやっては、くれませんか」
「気持ちは十分に届いていますので、頭はお上げください。神主様の頭は私なんかに下げていいものではありません」
御影の言葉を受け取った茉理は、まずそう言った後。
「もちろんです。私でよければ、夜知さんの助けになります。夜知さんに、騒がしくも暖かい、巫覡の世界を見せたいと思います」
その言葉を聞き、御影はただ。
「そうですか……!」
下げた頭を上げずに、そう漏らした。
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