猫の巫女と自暴自棄陰陽師

鵙の頭

第1話 猫の巫女は恐怖に怯える

 巫女である月笠つきかさ夜知やちは、月が照らしている森の中で、目の前の敵に気付かれないように息を殺していた。

 妖怪退治は現代における巫女の主な仕事の一つだ。それは、夜知自体も重々承知しているし、それが自分のするべき仕事なんだろうと、頭では理解している。

 ちゃんと頭では、理解しているのだ。

「夜知さんの格闘スキルは素晴らしいものですからな。今回のお仕事も、一瞬で終わらしてくれることでしょう」

 夜知が仲介人から依頼を受け取った時、仲介人は夜知にそんなことを言った。それを言われながら依頼書を受け取ると、まるで自分が殺し屋なのではないかというような感覚に襲われる。

 人間は、妖怪を恐れる。

 それなら、妖怪から恐れられる自分は、一体なんなのだろうかと。まだ齢十八の自分自身に、問いかけることがある。

 目の前には、森の中の少し開けた広場で、体長一メートル程の小さいおじさんの様な見た目をしている妖怪――餓鬼がきが、数匹で集まって何かを囲んでいた。今回の依頼の目標となる妖怪だ。  

 つまり、この妖怪が悪さを働いたから、夜知はこの妖怪達を殺さなければならなくなった。

 そう思うと、目の前の妖怪達が更に忌まわしく感じた。

「……餓鬼の群れ。目測で、約一〇体」

 自分の心の中で暗く黒い感情が渦巻くのを感じながら、誰にも聞こえずとも状況を分析する。

 目の前に餓鬼達がどれくらいいるのかを確かめて、そして自分がどのように動けばいいのかを頭の中で想像し、行動に移る。相手に気付かれる前に、確実に仕留めることを心掛ける。いくら、日頃にどれだけ訓練している巫女だからと言っても、相手は不思議な力を使う妖怪だ。気を抜けば、あっさり殺されてしまう。

 ただ、ここで死ねば自分はまだ人間の範疇に収まるのかもしれない、なんていう気持ちも少しだけ湧きあがる。夜知は最近、自分が本当に人間であるのか分からなくなってきていた。その原因は、彼女自身の巫女としての能力にある。

 動きやすく改造している巫女服の袖を捲ると、びっしりと字が書いてある自分の腕が見える。右も、左も。足も、左右とも。

 私は、憑巫よりましだ。体に文字を書くことで、神にその部位を捧げた巫女だ。だから、私の四肢は、全て神に捧げられている。言うならば、四肢全てがお札になっているようなものだ。 

 遅くても六歳の頃には、憑巫としての才能が開花していた。

 神の四肢を、私は自分の手足のように扱えた。それは、代々憑巫をしている私の家系の中も、特異な体質だった。

 私が四肢を明け渡したのは、逸猫いつびょうという神だ。神様の中では、私の家系しか崇めていないようなマイナーな存在で、猫の神。素早く、ずる賢い。どんなに高いところから落ちても、身を逸らし着地する。私はそれに、齢八歳の時に、四肢と右目を明け渡した。

 私は自分の手足を、明け渡した。

 その時から私の体は変わった。高いところから落ちてもなんともない。危険な時には手足が勝手に動いてくれるから、男の人に囲まれても大丈夫だ。

 だから、私は本当に自分が人間なのだろうかと、時々自問する。

「……っ」

 懐から取り出したお札を、右腕に貼る。右腕に描かれている文字が、赤く光った。やがて左腕、そして両目も赤色になる。

 私の中の神が目覚めた証拠だ。

 私が持っているお札は、この一枚で終わり。他の巫覡ふげきの人みたいに、何枚も体の中に忍ばせない。一枚しかいらない。

 だって私は、神様に体を捧げているから。

 完全に人間であることを拒んだ存在だから。

「行くよ、逸猫」

 今いる茂みから、餓鬼達がいる広場まで一〇〇メートルくらいか。私は、四つの足を地面に着けて、口を開ける。

「逸猫の術――立脚立りっきゃくたつ

 私の四つの足がその瞬間、爆発的に地面を蹴った。体は宙に舞う。

 一〇〇メートルを、まるで自販機のボタンを押すかのように軽く移動し、そして餓鬼の集団の真ん中に着地した。

 四つ足で、音も立てない。

「まず、一体」

 神様に明け渡している足で地面を蹴ると、目の前の餓鬼に向かってまるで銃弾のようなスピードで飛んでいく。真っすぐと首元を狙って牙を立て、噛み千切った。

「がうっ!」

 その餓鬼の体を蹴ってバク転し、後ろにいる餓鬼の頭を蹴り飛ばす。

 口の中で、さっき齧った餓鬼の匂いが充満した。臭い。

「次!」 

 その右にいる餓鬼に飛び乗り、仰向けになったそれに覆いかぶさる。

 後足の膝を腹に叩き込んだ。多分仕留めた。

「次!!」

 そいつの後ろにいた餓鬼の腹に、四つん這いのまま突進する。逸猫の、神憑り的な脚力で頭から突っ込むと、腹が破れて向こうの景色が見えた。

「次! 次!! 次!!!」

 爪を突き立てれば割れて、蹴れば破れて、まるで水風船みたいだ。

「どいつもこいつも、よええんだよ! 殺されてばかりで、たまには殺し返してみろよ!」

 自分の力が嫌いで、心が痛くて、それでもここにしか居場所はなくて。気分屋の猫を背負って、嫌なことを考えるのは、いつも人間の自分で。それなのに、周りは憑巫としての自分しか見てくれない。

 いつから、いつから私は。私の価値は、この体だけに。

 ――私の価値は、この体だけに。

「私の苦しみなんて! 誰も分かってくれない! 魂を無視される感覚なんて、誰も!!」

 誰も私なんて見ない。私を通して私の中の猫しか、誰も。

 全部、全部分かる。それなのに。

 なのに、誰も分かってくれない。 

 日々、逸猫として接される感覚が。自分の、月笠夜知の魂が薄くなっていく感覚が。一日の十分の一を四つ足で過ごす感覚、自分の中に猫がいる感覚、自分の手足に文字が書かれている感覚、朝も夜もハッキリと物が見える感覚、どれだけ無意識につまずいても、絶対に転べない感覚。それが、それらが。

 私の中で、当然になっていく感覚。

 絶対に誰も分かってくれない。私には分かるのに。それが人間の中で、私だけが分かる感覚だとするのなら。

 それって、果たして。

 私は、人間なのだろうか。

 神、逸猫、憑巫、一族の誇り、人間、女性。

 いったい、私はどれ?

「はぁっ……、はあっ……」

 気付けば私は、十体の餓鬼の死体に囲まれていた。

 自分の体は、餓鬼の赤黒い血で濡れていた。

「あっ……、はあっはあっ……。終わってる……」

 今自分が何をしているのか考えていられないくらいに、感情が爆発していたみたいだ。自分が今、どれの命を奪っているのか考えられないくらいに。

 もう命を奪うのも、慣れたものだと思った。

 初めは、餓鬼を殺すのだって、全身が震えたものだったのに。

「……考えるのは止めよう」

 自分が人間から遠ざかったことなんて、考えても無駄だ。

 私はまだ、人間から遠ざかる、用意なんて出来てないなかった。

「うわぁ、酷い有様だなこりゃ。これ、あんたがやったの?」

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