第30話 『その後ろに誰がいる?』

◇◇◇


 ゴリッとスーツ越しに固いものが腹部に押し付けられ、全てを理解する。


「……おい、凛子これはどういうつもりだ?」


「あら? アニメなんて低俗なものを好む貴女ならこの先の展開は読めてるんではなくて?」


 ……真実を知ったら口封じ、ね。

 まぁ確かにありがちっちゃありがちな展開だけど……


「わたし相手にこの冗談は笑えねぇぞ、凛子」


 両手を上げて、無抵抗の意思表示を示しながら一歩後ろに後退れば、上着のポケットから突き出た四角い突起物に『あたり』をつける。

 この距離、このタイミング。やろうと思えばいくらでも無力化できるが――


「無駄な抵抗はおやめなさい。この世から消えたくなければ、それ以上口にしない方が身のためですわ」


 それを許さないのが桐生院凛子だ。

 まるでわたしの思考を逆読みするかの如く、厳しい『忠告』が飛んでくる。


 込み上げる腹部に重い鈍痛が走り、咄嗟に身体を引くようにして傷口を庇う。

 容赦のなさは相変わらずだが、まさかパンプスで蹴り込んでくるとは思わなかった。


「――ってぇなッッ!? ……テメェ。いま、自分がなにしてるか本気でわかってんのか?」


「黙りなさいと言ってますの。調


「あん? テメェ、いったいなに言って…………」


 ああ、なるほど。そういう訳か。


 凛子の忠告じみた言葉に、遅れて彼女が言外に何を伝えたいのか瞬時に理解する。


 確かにここは路地裏だ。いくらヲタクの街と言っても監視の目がないわけではない。それはつまり――


(演技に付き合えってわけね。ほんとなにからなにまで計算ずくだよな)


 なるほどなるほど、。だいたいわかってきた。


 幻死症。リブート。特務機関。そして――幻想症候群。


 彼女らが手に入れたいのは『しのぶ』そのものではなく。むしろ――


「なら、わたしも本格的に本腰いれないとならないって訳か。……なら最後まで踊る覚悟はできてんだろうな」


「ふっ――、この状態で拳を構えてどうするおつもりで? わたくしがこの距離で外すと本気で思っている訳ではないでしょう? いくら貴女とはいえこの距離では致命傷は必死。プライドの高い貴女は逃亡を選べない。さて、この状況で助かるなんて少々楽観的過ぎるんじゃありませんの?」


「……ああ、そうだな。こんなしょうもない理由で人死が出るのはわたしも我慢ならねぇ。だからいい加減、――この茶番は終わりにしようぜ第六天」


 そう言って肩をすくめてやれば、脅迫者のくせに驚いたように目を見開かせる凛子の姿があった。


「……驚きましたわ。貴女、この短期間で一体何があったんですの? 見違えるようなやる気ですわね。よほどあの子が気に入りまして?」


「おかげさまでな。まぁ、じゃじゃ馬で生意気なクソガキには変わりないけど、それでも一度は拳を交わした仲だ。このまま見捨てるってのはちょっとばかし寝目覚めが悪い。それに――」


 と言葉を区切り、わたしは改めて挑戦状をたたきつけるように唇の端を持ち上げてやった。

 

「まっ、理由はどうあれあいつはあいつなりの信念があった。いつかはどこかで決着つけなきゃなんねぇ問題だったわけだし、わたしのやることは変わらねぇ。最後まで気のすむまで暴れさせてもらうさ」


「……はぁ、ほんと。乙女漫画に憧れてるくせにその極道顔負けの啖呵。そんなんでよくか弱き一般人を名乗れますわね、貴女」


 いや大半は思い出したくもねぇクソじじいとお前の所為だよと言ってやりたいが、憐れまれてもムカつくので喉元に出かかった言葉をぐっと堪え、同意してやる。


 会話が途切れ、不自然な間が開き――わたしと凛子の視線が一瞬だけ絡まる。


 濃密に圧縮された闘気だけが、むせ返るように路地裏に充満する。


 そして――その刃を思わせるキツめの視線が大通りの通路側に向けられた時。


「「――いまッッ!!」」


 ほぼ同時に地面を蹴り上げ、走り出せば後ろから誰かは知らぬ男の慌てる声が聞こえてきた。


 おそらく凛子を監視していた『誰か』なのだろう。


 本来ならふん縛って、背後関係を洗ってやりたいが、凛子がそれを良しとしないというならひとまず従うしかない。

 どうせこの用意周到な女のことだ。心当たりくらいあるのだろう。


 そうしてしばらく曲がりくねった路地を行き来し、走り回ること数分。

 唐突に急ブレーキを掛けるに倣って、立ち止まり後ろを振り返る。


 追跡者は、いない。どうやら諦めて引き上げたのだろう。


 ここまでくればもう安全だ。隠しカメラでもない限り盗み聞きされる心配はない。となれば後は秘密の会談し放題なわけだが――


「んで、わたしはいつまでこの茶番を続けりゃいいんだ大根役者」


「まったく。最後まで、と堂々と宣言して見せたのはどこの誰です? 自分の言葉には最後まで責任を持つのが筋というものではなくて?」


 そう言ってわざとらしく腕を組んで鼻を鳴らしてみせる凛子。

 まぁ確かに、わたしとしてもそうしたいのは吝かではないのだが――


「んじゃ、お前がその『筋』の話を先に持ち出すんなら、まず最初に誠意を見せるべきなのは一体どこのどいつなんだろうな?」


 どうせ用意周到なお前のことだ、あのじゃじゃ馬に発信機か何かくらいつけてんだろ?


 そう言ってニヤニヤと調子のいい声で唇を持ち上げてみせれば、背後からハァという重く、呆れたため息が返ってきた。


「ほんと、相変わらずこういう方面の悪知恵は異様に頭が回りますのね百鬼夜行」


「ふん。そりゃお互い様だろ第六天」


「ええ、ほんと忌々しいことですが、まったくその通りですわね」


 あからさまに肩をすくめて苦笑して見せる凛子。

 すると今度は自前のスーツポケットから四角い端末スマホを取り出し、優雅な手つきで画面をタップし始めた。

 

「一体なんだそれ?」と問いかけるが「少しお黙りなさい」という非常な返事が返ってくる。

 そしてしばらくの間、軽快なコール音が鳴り響いたかと思うと、


「ああもしもし? ええ、わたくし、桐生凛子ですわ」


 わたしを蚊帳の外に置いて、どことも知れぬ誰かと話し始めるではないか。

 会話の雰囲気から察するに相当親しい間柄なのだろう。


 あの『第六天』と名高き凛子がここまで対等に誰かと話す光景は少しだけ新鮮だった。


「ええ、やはり貴女の慧眼には敵いませんわ。ええ――、その通りですわ。あの百鬼夜行が素直に認めましたの。まったく信じられませんわ。どうやら賭けは貴女の勝ちのようですわね」


 どうやら会話の内容を聞く限り、わたしは賭けの対象にされていたらしい。

 となると、この絵図を引いた誰かがいるわけだが――さっぱり見当がつかない。


 だがどうやら向こうはわたしを知っているらしい。


 現に今まで鬼気と溢れていた傲慢さが、この時ばかりは見る影もなかった。


「ええ――それでは当初の予定通りに。どこぞの野蛮なゴリラに全てを任せるのも少し心配なので、わたくしたちも本格的に動き出しますわ。ええ――それではご機嫌よう」


 と言ってスマホの奥にいる『誰か』に向かって語り掛けると、どこまでも親しみを込めた視線でスマホの画面を眺め、通話ボタンを切ってみせた。そして――、


「それでは大変、忌々しいことですが、協定に基づき。さっそく富岡しのぶさんの居場所をお教えしますわ」


 とやや上機嫌に、けれどどこまでも傲慢に高飛車な態度で清々しく胸を張り、凛子は有無言わさぬ潔さで懐から一つの端末を投げてよこすのだった。

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