第14話 富岡順太郎の依頼

◇◇◇


「近所から苦情だぁ?」


 三日間で終わらせてほしいという頼みは想像以上にしょぼいものだった。


 案の定、声を上げれば申し訳なさで身体を縮ませる順太郎が、その黒縁の眼鏡を押し上げて平謝りして見せる。


「ええ、一週間前にこのゴミ山を何とかしろと。本来であれば清掃業者を頼るところなのですが、今回の件はその――。それで一月前に近所でも評判のあなた方に依頼をしたのですが――」


「順太郎さまの事情を知らずにいたご近所さんがしびれを切らしてわたくし達『NEEDS』に依頼したという訳ですわ」


 順太郎の言葉を引き継ぐように優雅に髪を指で払い、豊かな胸の前で腕組して見せる凛子。

 その堂々とした振る舞いは、どこにいても変わらない。


「わたくしの受けた依頼はただ一つ、ここのゴミ山を早急に撤去すること。そのために必要な権限はすでに取っています」


 そう言って胸元から取り出したのは政府特務の証であるサクラと日の丸のを見せつけてきた。

 いまどきの企業ってのは随分と立派なものをお持ちのようだ。


「『特務許可証』か。よくそんなもん持ってんなお前。なんでもありか桐生院財閥」


「わたくしがそんな姑息な真似に手を出してまで手に入れたものだと思いになって? これは歴とした我が社の実績が評価された証ですわ」


「実績? つか何気にスルーしてたけど、アンタ等NEEDSっていったい何やってる会社なんだよ。桐生院財閥にそんな辺鄙な部門があるなんて聞いたことないんだけど」


「ふふっ、当然ですわ。なにせわたくしが独立して立ち上げた会社ですもの」


 そう言って胸を張り高らかに己の職場を紹介して見せる凛子。

 その厭味なくらい自信ありげに逸らされた大きな胸は誰への当てつけか。見ていてもぎ取りたくなってくる。


 つまり、親の会社では手が付けられなくなって――強制的にお払い箱になったと。


「ちがいますわ。これはわたくしの意志で選択したことですの。そんな低俗な理由で逃げたと思われるなんて不愉快ですわ」


「あーはいはい。んで、そのNEEDだっけ? その無茶苦茶なアンタが立ち上げた会社は一体何やってるわけ?」


「ざっくり言えば政府公認の何でも屋と表現するのが適切ですわね。貴女方のような零細会社と違って依頼の委託も民間業者では手に負えないような案件を多く取り扱っていますわ」


 政府の裏組織、特務機関が特別権限を凛子に委譲するくらいだ。

 その実績はこの特務許可証が証明しているのだろう。

 まったくこの二年でどんな実績をぶちたてたのか相変わらず無茶苦茶な女である。


 問題は――


「それで凛子ちゃんは私たちにどうしてほしいのかな?」


 そのまっすぐとした問い掛けに、高慢ちきな表情を己の内に抑え込んだ凛子がピンと背筋を正す。


 おそらく美鈴から発せられるただならぬ空気を察してのことだろう。

 咳ばらいを一つ打つとジッと見定めるようにその刃の視線がみーちゃんを捉えた。


「こちらとしては、先にそちらに依頼が舞い込んでいたにせよ、できれば譲っていただきたいところですわね。なにせ――今回の案件が貴女がたのような民間の会社がどうにかできるような代物ではないのですから」


「ああん? それはわたし達じゃ実力不足って言いたいのか?」


「いいえ、そうは言っておりませんわ。少なくとも貴女の人を纏める力はわたくしも評価しているんですのよ? でも今回の案件は貴女では対処不可能だと言っているんです」


「なんだそりゃ。なんでたかがゴミ掃除でそこまで言われなきゃなんねぇんだよ」


 チラリと視線を隣に投げかければにこやかなみーちゃんの笑顔が返ってきた。


 ああ、あれは絶対に譲るなという顔だ。

 確かにこのまま依頼を横取りされるというのは監督役のみーちゃんとしても不本意だろう。

 それにそうでなくても――


「いくらアンタが昔馴染みだからって悪いがそれはできない相談だね。わたしの方も今後の生活がかかってんだ。おいそれと引くわけにはいかねぇな」


 こっちはこっちで文字通り、己のオタ生活が掛かっているのだ。

 たかが難しいという理由だけで投げ出すほど軟弱な夢を描いた覚えはない。


 するとこの流れをあらかじめ予想していたように、凛子の口元が僅かに吊り上がったのが見えた。


「あら、でしたらこの扉を開けてごらんなさいな。それができないようじゃ貴女方には無理ですわ」


「バカにすんな。それくらいできらぁ」


 そう言って優雅に一歩下がる凛子を押し退け、扉に手を掛けるが――開かない。

 まるで部屋の内側から強制的に閂をかけられているような手ごたえだ。


「おい、ここ鍵がかかってやがる。おい、おっさん。ここの鍵はどこにあんの?」


「それがないんです」


「は?」


 仮にも家主の家だろう。

 年頃の娘の部屋とはいえ鍵を持っていないとはどういうことだ。


――」


「存在しないって。現にこうしてここにあるじゃねぇか」


 ますます訳の分からないことを言い出す順太郎に詰めよれば後ろから大きなため息が聞こえてきた。


「だからこれは普通の案件でないと先ほどから言ってますでしょう。いいですの? こういうときはこうしますのよ」


 そう言って意趣返しの如くわたしの身体を押し退けると、凛子はその高級なスーツの懐から懐から一本の棒状の白い何かを取り出してみせた。


「そんな棒切れで本当に開くのかよ」


「百聞は一見に如かず。どうやら貴女方は調査する暇もなくこの依頼を引き受けたようなので知らないのも当然でしょうが、なんでも屋を名乗るならいつ何時、何が起ころうとも備えはしておくものでしてよ。


 そう言って、取り出した棒状の何かを扉の錠前に差し込む。

 すると鍵穴の中からガチャガチャと奇妙な音が聞こえ――錠前が回る音が聞こえた。


「おまっ、それもしかして――」


「ええ、現代はなんでも電子化が進んでいるようですが、わたくしに言わせればまだまだですわ。なんでも屋を名乗るならこういった事態のために備えは必要だとおもいますけど」


 そう言って鍵穴から引き出したのは奇妙な突起が。

 おそらく鍵穴に合わせて自動で突起物を製作してシリンダーを回したのだろう。

 なんてもの作りやがる。まるっきり泥棒の手口じゃないか。


 そして凛子がそのままドアノブをひねれば――


「御覧なさい。これを貴女に何とかできまして?」

「なんだ、これ――」


 扉を開けた先――、その様相にわたしだけでなく後ろからも息を呑む声が聞こえてくる。

 空間が歪んでいる。それだけじゃない。これは――



 当たり前に出てはいけない単語が当たり前に使われる現場などそれこそ滑稽なものはないだろう。


 凛子の声に我に帰れば、申し訳なさそうに床に視線を落とす順太郎の姿が。

 娘が病院に行っているとか言っていたが――あれはまさか。


「なぁおっさん。まさかとは思うけど、あんたの娘さん。もしかして――」


「ええ、PTSDを患っております」


「やはりPTSDですか。回収させていただいたゴミの成分を分析させてまさかとは思いましたがこれは厄介ですわね。しかも異空間型とは……」


 ひと昔前は、PTSDと言えば心的外傷後ストレス障害と呼ばれているが今は違う。


 現実と幻想の境目を曖昧にするもの。超能力の片鱗。

 呼ばれ方は数あれど――政府が公式的に発表した名前は、


「幻死症か。初めて見たな」


「当然ですわ。こんな希少な症状こんな平和な世界で平然と見つかってたまるものですか」


 幻死病。

 その名の通り、幻によって死に至る病で三十年前から確認された原因不明の病だ。

 いまでこそ謎の奇病として世界中で研究されているが、その実態は。


「幻想症候群の初期症状か。厄介だなこれは」


「さすがに貴女も知ってましたのね。頭の中はあの幼稚な趣味で一杯だと思ってましたのに」


「バカにすんな、ニュースくらい見るわ。つまりこれが幻想症候群の初期症状ってことはだ――」


「ええその通り。近年、思春期に見られる精神が及ぼす現実改変能力ですわ。ひと昔前なんかでは超能力なんて持て囃されてましたけど、原因はまったくの不明。わたくしもここまでひどいケースは初めて見ましたわ」


 そう言って初めからわかっていたかのように頷いてみせる凛子が足元に落ちたぬいぐるみを拾い上げ、スマホで写真を撮ってみせる。

 そして同じように扉の奥深くに画面を走らせ、シャッターを切ればあからさまに顔をしかめてみせた。


「なにか、わかったの凛子ちゃん」


「ええ、


 そう言ってこちらにスマホ画面を掲げてみせる凛子。

 その画面には――


「たったいま本社で解析に掛けたところ。この部屋は順太郎さまの言った通り。ごらんなさい」


 それは本来ゴミ山に隠れて見えないはずの白い壁がそこに映し出されていた。

 カメラ越しでは存在しない。

 しかしわたしたちの目には、肌には。確かにこのゴミの存在が確認できる。


 まさしく幻想。


 人の認識すら歪めてみせる衝撃の光景に思わず喉が上下する。


「まさかここまで症状が悪化しているとは思いませんでしたわ。通報がわたくしたちの元まで届かなかったのが悔やまれますわね」


 そう言ってあからさまに顔をしかめてみせる凛子。


 一時期世間をにぎわせた謎の病だ。凛子ほどの女が知らない方がおかしい。

 つまりそれほどまでに症例が少ない病気なのだ。これは。

 罹患率は極めて低いそうだが、発症した患者は軒並み衰弱死を迎えている。


 すると何かを察した美鈴が、ハッと顔を上げて後ろを振り返ってみせた。


「それじゃあ――順太郎さんが三日で依頼を済ませてほしいってのはもしかして」


「ええ、外のゴミのことではありません。あれはいくら片付けてもきりがない。僕から皆さんにお願いしたいのは――娘の『心』を何とかしてほしいのです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る