許せません!
「私は今日、あいつに血を見せた。だからあいつは、戻ったのよ。……貴女に惚れる前の、冷たい冷たい吸血鬼に」
その言葉の意味を、玲奈は一瞬、理解できなかった。それほどまでにその言葉は、玲奈にとって想定外のものだった。
「…………」
十夜に、血を見せた。だから十夜は、自分に惚れる前の吸血鬼に戻ってしまった。玲奈は頭の中で何度もそう繰り返して、ようやくその言葉の意味を理解する。
「……どうして、そんなことをしたんですか?」
そして1番初めに浮かんできた感情は、困惑だった。
「知ってるでしょ? 私、十夜が好きなの。ずっとずっと前から、あいつだけを愛してきた」
唖然とした玲奈とは対照的に、ちとせは淡々とした様子で言葉を返す。
「だから、血を見せた? そんなことをすればどうなるか、貴女は知っていたはずです。なのに……なのにどうして! そんな馬鹿なことを、したんですか!」
ようやく追いついてきた怒りが、玲奈の声を震わせる。けれどちとせはそんな玲奈とは対照的に、とても冷たい瞳で玲奈を見る。
「貴女には、悪いことをしたと思ってる。だから一応、貴女にも伝えておくことに──」
「そんなことは、聞いてません! 貴女は一体、何を考えて十夜くんに血を見せたんですか! ちゃんと、答えてください……!」
玲奈は勢いよく立ち上がり、ちとせの肩に掴みかかる。気づけば玲奈の胸のうちは、激しい怒りで埋め尽くされていた。
だって玲奈は、十夜の過去を聞いたばかりだ。十夜がその冷たい心のせいでどれだけ辛い想いをしてきたのか、玲奈は誰より理解している。だからちとせのその行いは、絶対に許せることではなかった。
「私、好きなの。十夜のことが」
……しかしちとせから返ってきた言葉は、そんな単純なものだった。
「好きって、それは……」
玲奈はそこで、言葉に詰まってしまう。……思ってしまった。もし自分がちとせと同じ立場なら、同じことをしたんじゃないかって。
「好きなのよ。十夜のことが。ずっとずっと、あいつのことばかり見てきた。あいつの隣だけが、私の居場所だった。なのに……なのにそれを、急に知らない女に取られた……。そんなの……そんなの! 耐えられるわけないじゃない!」
平静を装っていたちとせも、せきを切ったように自身の想いを叫び出す。
「私には、あいつしかいないのよ! 私はあんたなんかよりずっとずっと、あいつのことが好きなの! だから、こうするしかなかったの……! こうすれば……こうしないと! 十夜を奪い返すことが、できなかったっ……!」
「そんなの……そんなの全部、貴女の都合じゃないですか! 十夜くんは、やっと人の心を取り戻せたんです。ようやく、幸せになれたんです! なのに貴女の勝手で、十夜くんは……! 最低です!」
ちとせの言葉に引きずられるように、玲奈の言葉も激しさを増す。
「最低でも勝手でも、そうするしかなかったのよ! そうじゃないと、永遠に……永遠に十夜に、手が届かなくなる!」
「だからそれは、貴女の都合じゃないですか! ……分かってるんですか? 貴女のやり方で1番傷つくのは、十夜くんなんですよ?」
「それ、は……」
そこで初めて、ちとせが言葉に詰まる。……ちとせだって、分かっていた。このやり方で1番傷つくのは、他ならぬ十夜なのだと。
「……それでも私は、後悔してないわ。貴女たちがイチャイチャしてる姿を、膝を抱えて見てるのなんて嫌だもん。だから私はどんな手段を使ってでも、絶対に十夜を手に入れてみせる!」
ちとせは真っ直ぐに、玲奈を見る。その瞳には一切の揺らぎがなく、強い覚悟が秘められていた。
「……っ」
だから玲奈は、一歩あとずさる。ちとせはどう考えても、自分勝手に子供のような理屈を振り回しているだけだ。そして自分自身でも、そのことを理解しているのだろう。
でも、それなのに彼女は、揺らぐことなく自分の道を進み続ける。……玲奈は一瞬、そんなちとせが怖いと思った。
しかしそれで動けなくなるほど、玲奈の想いも軽くはない。
「……つまり貴女は、嫉妬してるんですね。十夜くんが自分じゃなくて、私のことを好きになったのを」
「そうよ。でも私は、嫉妬だけで終わるつもりはない。今度こそ私が……私だけの力で、十夜を本当の意味で人間に戻してみせる。あんたみたいに……自分のこともろくに知らない女に、十夜を渡したりしない!」
「……そうですか。でも私は絶対に、貴女のことを許しません。そして絶対に、十夜くんを貴女みたいに自分勝手な女に渡さない。……だって私の方がずっとずっと、十夜くんのことを愛してるから」
玲奈はそれだけ言って、もう用がないと言うようにちとせに背を向けて歩き出す。
ここでいくらちとせと言い合いをしても、意味なんてない。そんなことをしている暇があるなら、十夜に会いに行ってちとせの言葉の真偽を確かめるべきだ。
玲奈はそう考え、今から十夜の家に行こうと決める。まだ午後の授業が残っていたけど、そんなことはもうどうでもよかった。
「待ちなさい」
けれどちとせは、そんな玲奈の背中に声をかける。
「……なんですか? 私は貴女と話すことなんて、もう何もありません」
「そうじゃないわ。……パン、忘れてるわよ?」
ちとせはそう言って、ベンチの上に置き去りにされたパンを指差す。
「…………」
玲奈はなんとも言えない表情で、そのパンをカバンに詰める。そして今度こそ、この場から立ち去る。……ちとせももう、その背を引き止めることはしなかった。
「……私も、行かないと」
けれどちとせも、1人立ち止まっているつもりはない。……だってちとせは、十夜を傷つけてでも自分の想いを優先させると決めた。なら絶対に、それに見合うだけの成果を出さなければならない。そうじゃないと、ちとせは自分を許せなかった。
だからちとせも、早足にこの場を去る。
そしてそこでちょうど、昼休みの終わりを知らせるチャイムの音が鳴り響いた。
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