……ごめんね?



 御彩芽みあやめ ちとせは、ずっとずっと……。



 時間は少し遡り、玲奈が風邪をひいて部活が休みになった日。十夜に背を向けて早足に部室を出たちとせは、つまらなそうな表情で1人帰路についていた。


「……退屈ね」


 青い空を見上げながら、大きく息を吐く。……するとまるでそれに返事をするかのように、背後から声が響いた。


「ちとせさん、少しいいかな?」


 ちとせは背後に、視線を向ける。するとそこには、楽しそうな笑みを浮かべた、生徒会長の水瀬みなせ 揚羽あげはの姿があった。


「……貴女、生徒会の仕事があるんじゃないの?」


「あれはね、嘘なんだよ。……今日は貴女と2人きりで話がしたくて、適当に嘘をついたの」


「そ。随分とまどろっこしい真似をするわね。なに? もしかして、宝くじでも当たったの?」


「くふっ。違うよ。当たったのは宝くじじゃなくて、嫌な予感の方だよ」


 揚羽は金色の髪を風になびかせて、ちとせの隣に並ぶ。


「十夜くん、紫浜さんと付き合っちゃったみたいだね?」


「……貴女、私に喧嘩でも売りにきたの?」


 ちとせは射抜くような瞳で、揚羽を睨む。


「そう睨まないで欲しいな。私は別に、ちとせさんを煽りに来たわけじゃないんだよ」


「なら、何しに来たの? 私はあんまり、機嫌が良くないの。だから話があるなら、手早くしてもらえる?」


「そうだね。じゃあ余計な前置きは置いておいて、単刀直入に言わせてもらうよ」


 揚羽は楽しげな笑みを引っ込めて、真面目な表情でちとせを見る。だからちとせは訝しみながらも、黙って話を聞くことにする。



「ちとせさん。貴女、十夜くんの恋人になれないからって、『ならせめて、友達のままで……』とか思ってないよね?」



「────」



 ちとせの顔から、完全に色が抜ける。それは一目見ただけで心が震えるような表情で、揚羽の心臓はドキリと跳ねる。



「そんな怖い顔、しないで欲しいな。さっきも言ったけど、私は別に貴女と喧嘩がしたいわけじゃないんだ」


「……なら、どういうつもりなの?」


「貴女はね、ずっと私の憧れだったんだ。貴女みたいに強くなりたくて、私は今日まで努力してきた。そして同時に、私を助けてくれた貴女の力になりたくて、色々と調べ回っていたんだよ。そしたらたまたま今朝、貴女と十夜くんが一緒に登校しているのを見た」


 らしくなかった、と揚羽は言葉を続ける。


「あんな態度、私の知ってるちとせさんじゃなかった。諦めないって言っておきながら、何のアプローチもしない。今さきっきだって、紫浜さんに会いに行く十夜くんを、引き止めることもしなかった。……昔の貴女なら、絶対にそんなことしないのに……」


「だから私が、十夜のことを諦めてるって言いたいの? ……不快ね。貴女の言葉は、とても不快よ」


「でも、事実だよね? ……だって貴女は今、十夜くんの前じゃなくて、私の前に居るんだから」


 ちとせの紅い瞳が、射抜くように揚羽を睨む。……それはまるで見たくない現実から目を逸らすような態度で、揚羽は思わず息を吐く。


「だから、睨まないでよ。ちとせさん。私はただ……そう。私はずっと、思っていたんだよ。十夜くんの彼女に相応しいのは、ちとせさんだって」


「……それで私の機嫌を、とってるつもり? 貴女が私をどう思っていようと、どうでもいいのよ。だから私が我慢してるうちに、さっさと消えて」


「でも私は──」


「私の力になりたいって? 笑わせないで。貴女のそれは、自分の願望を私に投影しているだけよ」


 ちとせは一歩、揚羽の方に踏み出す。いつの間にか赤らんでいた日の光が、ちとせの真っ白な髪を赤く染める。



 純粋に怖いと、揚羽は思った。



 でもそれこそが、揚羽が信じてきた御彩芽 ちとせという少女の在り方だった。どす黒い人の悪意に、正面から立ち向かうヒーロー。そんなちとせに、揚羽ずっと憧れてきた。



 でもだからこそ揚羽は、今のちとせの姿を見ていられなかった。



 賢い理屈と言い訳のような言葉を並べて、十夜の背中を見つめ続ける。……それこそまるで、もう届かないものでも見るように。


 そんなちとせ姿、見たくなかった。だから揚羽は、ちとせを奮い立たせる為に煽るようなことを言った。それがちとせの為にならないと分かっていても、そうせざるを得なかった。


「……私はもう、行くよ。でも私は、まだまだチャンスはあると思ってるよ? だって十夜くんの隣に相応しいのは、ちとせさんなんだから」


「…………」


 ちとせはそんな揚羽の言葉に返事を返さず、いつもの道を歩き出す。だから揚羽もそれ以上は何も言わず、黙ってその背を見送った。



「馬鹿みたい……」


 ……ちとせの胸が、ずきりと痛む。揚羽の言葉は完全に当たっていたというわけではないが、それでも的外れというわけでもなかった。



 確かにちとせは、どこかで十夜を諦めていた。



 十夜は、自分が思っていたよりずっと真っ直ぐに、玲奈のことを想っている。だから自分の立ち入る隙なんて、どこにもない。ちとせはもうずっと前からそのことに気がついていて、それでも必死に頑張ってきた。


 ……しかしその努力も虚しく、十夜は玲奈と付き合ってしまった。


「……でも、それでも私は、十夜が好き。あいつが誰を好きで、抱きしめてもらえるのが私じゃなくても、それでも私は……」


 歯を、噛み締める。想像してしまった。玲奈とイチャイチャしてる、十夜の姿を。きっと十夜は今頃、自分には決して見せないような表情で、玲奈に優しくしているのだろう。


 そう思うと、胸が痛んだ。張り裂けそうなくらい、胸が痛んで痛んで仕方なかった。


 今すぐ玲奈の家に乗り込んで、玲奈から十夜を引き剥がしたい。十夜を力一杯、抱きしめたい。そして嘘でもいいから、好きだよって言って欲しい。


「……でも、そんなことしても十夜に嫌われるだけ。……そう。いまさら私が何をしたって、十夜はもう……」


 どうしようもない悲しさに胸を痛めながら、ちとせは1人歩き続ける。そして気づけば、いつの間にか家に帰っていた。……けど家に帰っても、誰も話しかけては来ない。白い髪と紅い瞳という特殊な見た目で生まれたちとせは、家にも学校にも居場所がなかった。



 ……十夜の隣だけが、彼女の唯一の居場所だった。



「……十夜」



 日が暮れて夜になっても、ちとせは部屋に閉じこもったまま寂しさに震えていた。……けれどいくら待っても、十夜が会いにきてくれることはない。



 もう十夜は、自分なんて眼中にないんだ。




「……あの子の、言う通りね」


 もう自分は、十夜の隣には居られない。ならせめて、友達という関係だけは壊したくない。そんな風に思って、ずっとずっと逃げていた。だってそうじゃないと、悲しくて、悲しくて……。



「会いたいよ、十夜……」



 そんな嘆きは誰にも届かず、ちとせは1人夜の闇に震え続ける。そして気づけばいつの間にか、日が登り朝になっていた。



 だからちとせはほとんど無意識に、制服に着替えて家を出る。少しでいいから、十夜の姿が見たかった。本当に一瞬でいいから、彼の身体に触れたかった。


「…………」


 気づけばちとせは、十夜の家にたどり着いていた。そして慣れた手つきで、チャイムを鳴らす。……けどいくら待っても、十夜が出てくる気配はない。


「……そうだ。昨日はあいつ、あの女の看病に行ったんだ」


 ならきっと、あの女の家に泊まったのだろう。そしてもしかしたら、そのまま……。



 痛い。痛い。痛い。



 寂しさと胸の痛みに、ちとせはぎゅっと手を握りしめる。でもどれだけ強く握りしめても、胸の痛みは収まらない。……けど他にできることなんて、何もない。だからちとせは十夜が帰ってくるまで、ずっと手を握り続けた。



「……あ」



 しばらくしてようやく、幸福そうな笑みを浮かべた十夜の姿を見つける。……そして同時に、気がついてしまった。



「やっぱり私のことなんて、もうどうでもいいんだ……」


 十夜はもう、自分の手の届かないところに行ってしまった。そう気がついたちとせは、だからもう……それ以外に、できることなんてなかった。



「……ごめんね? 十夜」



 そうして涙の代わりに、赤い血が静かに流れた。


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