楽しみですね。
白い本を読み終えた翌日の、昼休み。俺はいつものように、校舎裏へと向かっていた。……けどその途中、見慣れた背中を見つけて足を止める。
「よお、黒音」
俺がそう声をかけると、黒音は大きな胸をたゆんと揺らして、こちらに視線を向ける。
「あ、十夜先輩。こんにちは」
「今から昼飯か?」
「はい。今日は定食のデザートがプリンの日なので、ボードゲーム部のみんなと待ち合わせをしてるんです」
「そうか。プリンは、いいよな」
俺はあまり甘いものが得意ではないけど、プリンって偶に食べたくなるんだよな。
「ですよね。黒音もプリン、大好きです! ……あ、それで先輩。わざわざ黒音に声をかけてくださったということは、何か御用ですか?」
「いや、大したことじゃねーよ。ただ昨日の小説のことで、ちょっとな」
「……黒音の小説、どこかダメなところがありましたか?」
黒音は不安そうに、俺を見る。俺はそんな黒音に軽い笑みを返して、そのまま言葉を続ける。
「ちげーよ。お前の書いた小説、すげー面白かった。だからずっと、褒めてやろうと思ってたんだよ。……よく頑張ったな」
「……ほんとですか? 黒音に気を遣った、嘘とかじゃないですよね?」
「なんでそんなとこで、嘘つくんだよ。ちゃんと面白かったよ」
「えへへ。そうですか? 昨日は恥ずかしくて帰っちゃいましたけど、十夜先輩に褒めてもらえるのなら書いてよかったです。……ふふっ」
優しく頭を撫でてやると、黒音は気持ちよさそうに目を細める。
「まあその分、最後の俺はプレッシャーなんだけどな」
「十夜先輩なら、楽勝ですよ!」
「そうか? 俺としては、あんまり自信がないんだけど……」
「なに言ってるんですか。十夜先輩なら、何の問題もないです! 黒音が保証します!」
「そうか。なら安心だな」
そう適当な言葉を返すと、黒音はにへらとした笑みを浮かべる。
「でもこういうのって、楽しいですね。初めは照れ臭くてちょっと嫌でしたけど、今はやってよかったなって思います」
「そうだな。俺も同じことを思ったよ。楽しいもんなんだな、こういうのも。……って、あんまり引き止めても悪いか。じゃ、黒音。また部活でな」
「はい。頭なでなでしてくれて、気持ちよかったです。ありがとうございました! ……あ、そうだ。十夜先輩も、一緒にプリン食べますか?」
「いや、せっかくだけど今日は他に約束があるんだ。だから、また今度な」
「了解です。じゃあ楽しみにしてますね! それではまた放課後、部活で!」
黒音は元気いっぱいにそう言って、トテトテと走り去っていく。俺はそんな黒音の姿を微笑ましく思いながら、校舎裏へと向かう。
「あいつは昔から、変わらないな」
最後にそんな言葉が、ふとこぼれた。
◇
そして、いつもの校舎裏。もう見慣れたその景色に、ぽつんと1人寂しげな少女が、静かにベンチに腰掛けていた。
「すみません、紫浜先輩。少し遅れました」
俺はそう言って、その少女──紫浜 玲奈先輩に駆け寄る。
「いえ、大丈夫です。私も今きたところですから。それより早く、座ってください。今日のお弁当は、力作なんですよ?」
「それは、楽しみですね」
俺は楽しそうに笑う先輩の隣に腰掛けて、弁当を受け取る。……けど先輩は俺が弁当を開ける前に、俺の肩に頭を乗せる。
「……今日は甘えん坊ですね、先輩」
「ダメですか? ……だってもう、今日は金曜日なんですよ? つまり明後日が……デートの日なんです。だから少しでも貴方に甘えたいなって思うんですけど……もしかして、嫌なんですか?」
「まさか。俺が先輩とイチャイチャするのを、嫌がるわけないでしょ? ……でもこの前も、授業サボったじゃないですか。だからあんまりやりすぎるのも、ダメかなって思うんです」
「貴方は意外と、真面目なんですね。でも私は、貴方を離さないかもしれませんよ?」
先輩は蕩けるような目で、俺を見る。それにいつものあの甘い香りが漂ってきて、ドキドキと心臓が跳ねる。
「……先輩、変わりましたね。それなら……いや、やっぱり今はやめておきましょう。今日は先輩と、話したいことがあるんです。……あの白い本、ようやく読み終えたんですよ」
「そうですか。……分かりました。じゃあ今はあの本の話をしながら、ゆっくりとお昼を食べましょうか」
先輩は少し残念そうに、俺の肩から頭を上げる。……俺はそんな先輩の仕草が可愛くて、思わず笑ってしまう。
「その代わり、先輩。今日の夜、空いてますか? もし空いてるなら、また一緒に夕飯を食べたいなって思うんですけど……ダメですか?」
「ふふっ。結局貴方も、私と同じことを考えているのですね。……構いませんよ。では今日は、貴方の家にお邪魔させて頂きます」
「じゃあ、待ってます。……夜なら多少遅くなっても、誰にも怒られたりしませんからね」
そこで軽く、キスを交わす。そして2人して照れたような笑みを浮かべ合ってから、弁当箱を開ける。
「それで、どうでしたか? 姉が書いた小説は」
「先輩の言ってた通り、とても悲しい話でした。……でも読み終えてみると、気になるところがいくつかありました」
「もしかしてそれは、家出した主人公に『あなたは、吸血鬼なんだよ』と、誰かが教えたところですか?」
「そこも確かに、気になりましたね」
主人公に、お前は吸血鬼なんだと教えた誰か。その存在は物語のキーパーソンのはずなのに、結局最後までその正体が明かされることはなかった。
「そこも……ということは、他にもあるのですか?」
先輩は卵焼きを口に運びながら、こちらを見る。
「はい。……あまり言いすぎると、粗探ししてるだけに聞こえるかもしれませんけど、気になったところは他にもいくつかあるんです。……例えば、主人公の友人。あいつは吸血鬼がどうすれば人間に戻れるのか、知ってました。けど友人はそのことを、いったい誰に聞いたんでしょう?」
「……確かにそれも、明かされていませんね」
「そして最後に主人公は、とても悲しい真相を知ることになる。大切な友人は、自分がためらったせいで死んでしまったのだと。……でも主人公は、誰にそれを教えてもらったんですかね?」
先輩のお姉さんは、別にプロの作家ではない。だからそれは、ただの粗さなのかもしれない。……けど、もしそれが意図的なものなら、あの結末の意味も変わってくるはずだ。
「その辺りのことは、私にも分かりません。……けど姉は優秀な人でしたから、きっと何か意味があるんだと思います」
「……そうですか。すみません、ケチをつけるようなことを言って」
「いえ、いいんです。貴方が姉の書いた物語に興味を持ってくれるのは、私としても嬉しいことですから」
「そう言ってもらえると、ありがたいです。……じゃあ最後にもう一つだけ、訊いてもいいですか?」
「構いませんよ。なんでも、訊いてください」
先輩は食べ終えた弁当を閉じてから、俺の方に視線を向ける。だから俺もそんな先輩にならって弁当を閉じてから、言葉を告げる。
「先輩は吸血鬼って、本当にいると思いますか?」
そこでふと、カラスが鳴く。カアカアと、どこからか飛んできたカラスが、俺たちの頭上を声を上げて飛び回る。
「…………」
だから先輩は、少しだけ黙り込む。するとカラスはすぐに飛び去って、辺りは穏やかな静けさに包まれる。
先輩はそんな静けさに安堵するように息を吐いて、その言葉を口にした。
「──私が、吸血鬼なんですよ」
先輩はそう言って、裂けるような笑みを浮かべる。
「……それ、本当ですか?」
だから俺はずきりと痛む心臓を無視して、そう尋ねる。
「ふふっ。どうしてそんな、驚いた顔をするのですか? 冗談に、決まってるじゃないですか。私は人間ですよ。……私のことを、冷血吸血鬼なんて呼ぶ人もいますけど……」
「……ですよね」
先輩の言葉を聞いて、俺は誤魔化すような笑みを浮かべる。先輩はそんな俺を見て、甘えるように俺の腕を抱きしめる。
「でも、吸血鬼。もしそういう存在がこの世界にいるのなら、彼らはとても孤独なんだと思います」
「確かに、そうかもしれませんね。……あまり見ない設定ですけど、あの小説では吸血鬼には人を愛せない呪いが、かけられていましたからね」
血を見た瞬間から、主人公は吸血鬼になった。そして周りの人間が、餌としか思えなくなった。……ああ。確かにそれは、とても孤独なはずだ。そんな状況では、決して人を愛することはできないだろう。
そんなことを考えていると、チャイムの音が鳴り響く。
「今度のデート、楽しみですね」
俺は最後に、そう告げる。
「……はい。私もとても、楽しみです」
先輩はそれにどこか悲しさが混じった声を返して、俺のことをぎゅっと強く抱きしめた。
そんな風にして、昼休みが終わりを告げた。
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