寂しいです。



 物語を、読んでいた。


「…………」


 紫浜先輩のお姉さんが書いたという、真っ白な小説。……ではなく、リレー小説のトップバッターとして水瀬さんが書いてきてくれた小説を、自室で1人読んでいた。


「やっぱり水瀬さんは、何でもそつなくこなすな」


 そう呟くが、無論、返事など返ってこない。ただでさえ静かな家は深い夜の闇に包まれていて、どんな言葉も飲み込んでしまう。



 紫浜先輩から本を借りたあと、遅れると言っていた黒音を待ってから、皆んなで水瀬さんが書いてきた小説を読んだ。


 奇跡をテーマとして書かれたそれはよくできた物語で、やっぱり水瀬さんは如才ないなと思った。けどその分、この続きを書かなければならない黒音は、かなりのプレッシャーだろう。……でもまあ、なんだかんだで黒音もやる気だったし、問題はなさそうだった。


 そして、そんな風に楽しい部活の時間を過ごして、今日は1人で家に帰った。……本音を言うとまた紫浜先輩に来て欲しかったけど、流石に昼も夜も頼るわけにはいかない。だから1人でさっさと夕飯と風呂を済ませて、あの白い本を手に取った。


「……正直、気が重い」


 でも、どこかで聞いたことがあるようなその物語は想像以上に胸にきて、一度本を置いてしまった。


「でも、いつまでも借りている訳にはいかないしな」


 先輩は持って帰っていいと言ってくれたけど、でもだからって何日も借り続けるのは悪いだろう。そう思い、休憩の為に読み返していた水瀬さんの小説が書かれたプリントを机の上に置いて、また白い本を手にとる。



 そして少しだけ現実を忘れて、その冷たい世界に浸る。



 吸血鬼が、人を殺した。


 そんな一文から始まる小説は、紫浜先輩の言った通りとても悲しい物語だった。



 この物語の主人公は、吸血鬼だ。けど本人にその自覚はなく、人間に混じって学校に通う。学校では沢山の友人に囲まれて、家では優しい家族が待ってくれている。そんなとてもありふれた、でもとても幸福な日常。主人公はそんな日常を、何の疑問も持たずに過ごしていた。


 この本では主人公が吸血鬼だと早々に語られるが、よくある物語のように、日光に弱いとか、自分では抑えられない吸血衝動があるとか、そういう弱点はなかった。そして同じように、特別な力もなかった。


 でもある日、主人公に異変が起きる。血だ。体育の授業で友人が転んでしまって、主人公は血を見てしまう。今までまともに血なんて見たことがなかった主人公は、真っ赤な血を見てこう思った。



 怖い。



 だから主人公は、逃げ出した。必死に走って逃げ出して、自分の部屋に閉じこもる。そして何日も何日も部屋に閉じこもったまま、一歩も外に出ない。そんな主人公を心配に思い、両親が部屋に踏み込む。




 けどその部屋には、誰の姿もなかった。




 それからしばらくして、主人公の通う学校で一つの噂が広まる。



 この学校には、吸血鬼がいると。




「……紫浜先輩のお姉さんは、何を思ってこんなものを書いたんだろうな……」


 この本の内容は、俺が知っているとある事件と酷似している。だからどうしても、ただの物語だと割り切ることができない。


「まだ半分も、読めてないのか……」


 読んで。閉じて。読んで。閉じる。そんなことを繰り返しているから、なかなか前に進まない。


「けどここに、紫浜先輩の罪がある」


 今日の先輩の口ぶりからして、先輩はこの本を読んだことがあるのだろう。でも先輩は、そのことに気がつかなかった。ちとせの言葉を信じるなら、そう考えるのが自然だろう。


 ……でもそれだと一つ、疑問が残る。


「どうしてちとせは、そのことに気がついたんだ?」


 たまたま文芸部に置かれていた真っ白な本を読んで、たまたま気がついた? それは流石に、出来過ぎだろう。ならちとせにも何か、秘密があるのか? 或いはそれも、この本を読み進めれば分かることなのだろうか?


「でももう、夜中の2時か。あんまり夜更かしすると明日起きられなくなるし、今日はもう寝るか」


 そんな言い訳のような言葉を呟いて、電気を消してベッドに寝転がる。……けどいつまで経っても眠ることはできなくて、結局朝になるまで主人公の気持ちを考え続けた。



 怖いと思った主人公は、一体なにが怖かったのだろうか? と。



 ◇



 そして、同日の深夜。紫浜しのはま 玲奈れなは明かりもつけない自室で、1人空を見上げていた。


「……会いたい」


 玲奈は無意識に、そう呟く。けれど胸に詰まった寂しは、消えてはくれない。だから玲奈はそんな寂しさから目を背けるように、遠い空を眺め続ける。


 どうしても寂しい夜は、空を眺める。そうすると寂しさを、少しだけ忘れられる。それは彼女の姉、紫浜しのはま 美咲みさきの言葉だった。だから玲奈は昔から、寂しくなると空を見上げた。事実そうすることで、余計な寂しさを忘れることができたから。



 でも今は、違った。



「何をしても、貴方のことしか考えられない。また貴方の温かな身体に抱きしめてもらいたいって、そんなことしか……考えられない」


 玲奈は今日も、十夜の家に行きたかった。でも昼も夜も一緒だと、流石に鬱陶しいと思われるかもしれない。そんな風に考えてしまって、玲奈は十夜に声をかけることができなかった。


「それにきっと彼は、あの本を読むはず。なら今日は1人にしてあげた方が、彼の為……」


 そんな言葉は言い訳だと、玲奈は自分でも分かっていた。けどそんな言葉で誤魔化さないと、寂しさで胸が張り裂けそうだった。


「でも彼は、どうしてあの本を読もうと思ったのでしょう?」


 玲奈にはその理由が、分からなかった。けど、大好きだった姉に興味を持ってもらえるのは、玲奈としても悪い気はしない。だから深く追求はしなかった。


「…………」


 しかしそこで、玲奈の表情が曇る。……思い出して、しまったのだ。自分のせいで姉が死んでしまったあの時のことと、そしてあの本の……とても悲しい結末を。


「あの本の主人公は、私によく似ている。……けど私には……」


 玲奈はそこで言葉を止めて、また十夜のことを考える。きっと彼は今、あの本を読んでいるのだろう。そして悲しい話が嫌いじゃないと言った彼は、あの結末を読んでどんな感想を抱くのだろう? と。


 ……そんな風に十夜のことを考えると、玲奈はやっぱり思ってしまう。


「……彼に、会いたい」


 今度の日曜のデートで、お互いの秘密を教え合う。その約束をした時から、玲奈は自分の感情を抑えられなくなっていた。……だからこうやって彼を想う寂しい夜も、玲奈が心の底で願っていたことだった。


 だから玲奈は、十夜に声をかけなかった。


 しかし、そんな自身の感情に気がつかない玲奈は、寂しさを誤魔化すように明日のことを考える。


 明日はもっと、彼に甘えてみよう。彼の胸に顔を埋めて、いつより長くて深いキスをする。そしてまた膝枕をしてあげて、彼の頭を優しく撫でる。


「ふふっ」


 そんな風に明日のことを考えると、寂しさより幸福が上回って玲奈は軽い笑みを浮かべる。そして今日はもう眠ってしまおうと考えて、ベッドに寝転がり目を閉じる。


「…………ごめんなさい、姉さん」


 だから最後に呟いたその言葉の意味は、玲奈自身にも分からなかった。


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