我慢できません。
紫浜先輩と水瀬さんが、うちにやって来た翌日の昼休み。長い授業で凝り固まった身体をほぐしながら、教室を出る。そして、今日は久しぶりに学食にでも行くか。なんてことを考えながら廊下を歩いていると、ふと声をかけられる。
「こんにちは、未鏡 十夜さん。少しお時間、いいですか?」
「……紫浜先輩。部室の外で声をかけてくれるなんて、珍しいですね。時間ならもちろんあるんで、部室にでも行きますか?」
唐突に現れた紫浜先輩に驚きながらも、俺はそう言葉を返す。
「いえ、今日は天気もいいことですし、外に行きませんか? 私……お弁当を作ってきたんです」
先輩はそう言って、照れたような笑みを浮かべる。……無論、俺がそんな先輩の誘いを断るわけがない。なので俺たちは、2人肩を並べて校舎裏までやって来た。
「でも、紫浜先輩。本当にここでいいんですか? この場所より中庭とかの方が、日差しが気持ちいいと思いますよ?」
「いいんです、ここで。だってここなら……2人きりになれますから……」
先輩は顔を赤くして、ポツンと置かれたベンチに腰掛ける。
「……そうですね。ここでなら思う存分、先輩とイチャイチャできますよね」
俺はドキドキする心臓を誤魔化すようにそう言って、先輩の隣に座る。すると先輩は鞄から2つの弁当を取り出して、片方を俺の方に差し出す。
「……どうぞ」
「ありがとうございます、先輩」
頬が緩むのを感じながら弁当を受け取って、ゆっくりと蓋を開ける。
「じゃあ、いただきます」
「どうぞ、召し上がってください」
先輩のその言葉を聞いてから、まずは卵焼きを口に運ぶ。
「美味いです、先輩。昨日の生姜焼きもこの前のカレーもそうですけど、先輩って料理上手なんですね」
「別に、そういうわけじゃないです。……ただ家に誰も帰ってこないことが多いから、自分で作る機会が多かっただけです」
「それでも、ですよ。俺も同じような境遇ですけど、あんまり料理とかしませんよ? だからやっぱり、先輩は凄いと思います」
「……そう、ですか。貴方がそこまで言うのなら、そうなのかもしれませんね。じゃあ、その……これからは私が毎日、作ってあげましょうか? お弁当……」
先輩は顔を真っ赤にしながら、小さな声でそう呟く。
「ほんとですか! ……あ、でも俺としてはすげーありがたくて嬉しいことなんですけど、やっぱり迷惑じゃないですか?」
「……1人分も2人分も、手間は大して変わりません。だから別に、私に気を遣う必要はありません」
「じゃあ、お願いしてもいいですか? ああ無論、食材代は俺が持ちますから」
それくらいさせてください、と俺は言う。けど先輩は必要ないですと首を振って、箸を置いて俺を見る。
「それより、その……少し頼みたいことがあるんですけど、構いませんか?」
「もちろんですよ。こんなに美味しいお弁当を作ってもらったんですから、なんだってしますよ」
俺がそう応えると、先輩は大きく息を吐く。そして頬を赤くしたまま、続く言葉を口にする。
「昨日の夜。貴方の家に行って、料理を作りました。でも私はその間ずっと、期待してたんです。またあの夜みたいに、キスしてもらえるんじゃないかって……」
先輩は上目遣いで、ちらりとこちらに視線を向ける。
「でも突然、生徒会長さんがやって来て、そんなことをする暇もありませんでした。……もちろん、3人での夕飯も楽しかったです。……けどどうしても、考えてしまうんです。貴方の、ことを……」
「先輩……」
それは俺も、同じだった。……というか、先輩がわざわざ人目のつかない所に俺を連れて来た時点で、気がつくべきだった。
……先輩の、気持ちに。
「キスっていうのは、とても特別なものです。少なくとも私にとっては、そうでした。でも今は……少しできなかっただけで、胸が痛くなる。貴方のことしか、考えられなくなる。特別なものだったはずなのに、いつの間にか……なくてはならないものになっていた。……そんな私を、ふしだらな女だって思いますか?」
「そんなこと、思うわけないじゃないですか。だってそれは俺も、同じですから」
「……じゃあ、お願いします。私に、キス……してください」
先輩は真っ直ぐに、俺の瞳を見つめる。だから俺も、そんな先輩を真っ直ぐに見つめ返す。……お互い弁当を膝の上に置いたままだから、大きく動くことはできない。けど、それでも俺たちはゆっくりと顔を引き寄せて……
軽い、キスを交わした。
「……ごめんなさい。私、まだちゃんと貴方の気持ちに応えてないのに、こういうことばかり望んでしまって……」
「いいんですよ、それは。だって先輩が俺の気持ちに応えてくれるのは、今度のデートでお互いの秘密を教えあってから。そう、約束しましたから」
そこでまた、キスをする。ただ触れるだけのキスなのに、痛いほど心臓が脈打つ。
「……続きは、食べ終わってからにしましょうか。あんまりやり過ぎると、食欲がなくなってしまいそうです」
「……ですね。せっかく先輩が作って来てくれたんですから、今は食事に集中しましょうか」
「はい。そうしましょう」
身体から熱を抜くように、大きく深呼吸する……けれど激しい鼓動はなかなか収まってくれなくて、結局落ち着いたのは食べ終わってからだった。
そして食後。先輩は甘えるように、俺の肩に頭を乗せる。だから俺はそんな先輩の肩を引き寄せて、またキスをする。
「…………」
遠くから、昼休みの喧騒が聴こえてくる。そんな中でキスをしていると、なんだか酷く悪いことをしているような気になる。
でも俺も先輩も、キスを止められない。だから昼休みの終了を知らせるチャイムが鳴るまで、俺たちは長いキスを繰り返す。その時間はとてもとても幸福で、脳が蕩けてしまいそうなくらい甘かった。
……でも少し、本当に少しだけ、不安だった。
今度の日曜日のデート。その時俺たちは、お互いの秘密を教え合う。そして俺は、先輩の秘密がどんなものでも、彼女のことを受け入れると決めている。そして先輩なら、俺の秘密を受け入れてくれると信じている。
だから俺たちの関係が始まるのは、今度の日曜が終わってから。少なくとも俺は、そう思っている。……けど先輩は、まるでその日で全てが終わってしまうかのように、無理やり俺に甘えている。そんな風に、見えてしまう。
「……もう少し、一緒に居たいです」
昼休みは、もう終わった。なのに先輩は、甘えるように俺の胸に顔を埋める。
「いいですよ。じゃあ午後は一緒に、サボりましょうか。偶にならそれくらい、いいですよね?」
「はい。……貴方とキスをすると、私はどんどん弱くなる。弱くなって、1人では立てなくなって、貴方が側に居ないと呼吸もできなくなります」
「なら、ずっと側に居ますよ。……好きです、先輩」
そしてまた、キスをする。それは砂糖すら裸足で逃げ出すくらい、甘い時間だ。……でも、どうしても俺は、胸に巣食う不安から目をそらすことができなかった。
「…………」
だから俺は、強く強く先輩の背中を抱きしめる。どんなことがあっても、絶対にこの手を離さない。そう強く覚悟を決めて、先輩を抱きしめ続ける。
そんな風にして、暖かな午後はゆっくりと過ぎ去っていった。
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