第96話 神の使徒とはかくありき?⑨

「トラン様。ルース様が賊に捕らえられたとの報告が入りました」

「ようやくか」


 家宰からの報告に、トランは表情を輝かせた。


「しかし、随分と時間がかかったな?

 既にルースがこの町に来てから二日が経過しているぞ」


 トランの言葉通り、ルースたちの一行はハイネスに到着してから丸二日、修行地に向けて動く様子を見せなかった。

 何かを企んでいるのではないかとトランは警戒していたのだが、こうしてあっさり捕らえられたとの報告を聞くと拍子抜けしてしまう。


「おそらくは、襲撃者を警戒し情報を集めていたのではないかと」

「ふむ? しかしこうして捕まったということは、情報収集に失敗したか対策が不十分だったということか?」

「あるいは、何らか切り崩し工作を試みていた可能性はありますな」


 家宰の言葉に、トランはなるほどと考えこむ。

 実際、家宰のもとにはルースの護衛をしている冒険者が、いくつかのグループに接触していたとの報告が届いていた。


「……まあ良い。こうして報告が来たということは予定通りなのだろう?」

「はっ。賊は一〇名程度と小規模。潜伏地も既に確認しております」

「ルースは勿論だが、ソフィア殿はどうなっている?」


 冒険者はともかく、あの神官戦士に場をかき回されるのは面白くない、と表情で語るトラン。


「ルース様と同じく、賊に捕らえられたとの報告を受けています」

「ほう? あの女騎士が、むざむざ賊に捕らえられたと?」


 嘲りを抑えきれず頬を緩めるトラン。

 それを諫める様に家宰は慇懃に応じた。


「主人を人質に取られては、いかに腕が立とうと抵抗などできるものではありません」

「ふん。それで……ルースは無事なのだろうな?」


 ついでのように確認するトラン。その声音には、生存を確認する以上の意図は含まれていなかった。


「それは勿論。

 賊も伯爵家の勘気に触れぬよう、丁重に扱っているとのことです」

「よし。ではこれ以上待つ必要もない。

 早速ルースを救出に向かうとしようではないか」


 勢い良く立ち上がり、準備のために部屋を後にするトランを見送って家宰は皮肉気に口元を歪めた。


 恐らくこれは、後々美談、武勇伝として、あるいは理想的な騎士物語として語られることになるのだろう。

 例えこれに関わる者全てが、ひどい茶番だと自覚し、失笑していたとしても。




 男の名はサイといった。

 どこにでもあるゴミダメのような町の、どこにでもいる最下層の両親の間に生まれた、ありふれた男だ。

 サイに両親の記憶はない。恐らく生まれた直後は親に育てられていたのだろうが、物心ついた時には残飯やゴミを漁って飢えを凌いでいた。物乞いの老人から、自分にも親と呼ばれる存在がいたと聞いたことがあるだけだ。


 ありふれた生まれの男は特に珍しくもない人生を送り、似たような境遇の者たちと徒党を組んで仕事をする。

 力のない人間に力の怖さと有用性を伝え、時にそれを行使して教訓を伝える仕事だ。

 時に伝わり過ぎて、伝えた相手が別の世界へ旅立ってしまうことも珍しくないが、彼は決して仕事に妥協しない。

 彼がこの仕事をしなければ、世間は無知で愚かな子供が我が物顔で闊歩する無秩序なものとなってしまう。

 人には理解されがたい辛い仕事だが、それでも必要でやりがいのある仕事だと彼は信じていた。


 そんな彼も、時に自分の仕事に疑問を抱くことがある。

 自分たちもまた、無知で愚かな何者かに陥ってはいまいかと。

 貴族から誘いを受けたのは、そんな時のことだ。


 内容は単純。

 ある貴族の子供の情報を流して、それを攫わせるように仕向ける。

 そしてそれに食いついて実際に攫ったグループを、領主が討伐して貴族の子供を救い出す。

 サイの役割は貴族に自分たちのグループの情報を流し、そして攫った貴族の子供に危害が及ばないよう立ち回ることだ。


 サイは悩んだ。この誘いを受ければ、自分は少なくとも表面的には仲間を裏切ることになる。

 しかし同時に、仲間が貴族という“力”に手を出すほど愚かであるならば、彼らにもまた教訓を伝える必要がある、と彼は考えた。

 その結果、仲間たちが遠くに行ってしまうことになろうとも、妥協すべきではない、と。

 苦渋の決断だ。決して貴族から提示された幾ばくかの金銭に釣られたわけではない。


 そして残念なことに、仲間たちは貴族の子供を実際に攫ってしまう。

 サイはやむを得ず、領主の手の者に仲間たちの情報を流した。

 二度と仲間たちとは会えなくなるだろうが、それはやむを得ない。

 自分に出来ることは、攫われた貴族の子供が傷つけられることがないよう立ち回り、仲間たちの罪が少しでも軽くなるよう願うことだけだ。


「どうした、サイ? やけにニヤニヤして」


 仲間の呼び掛けにサイは我に返った。


「いや、何でもねぇよ」

「ホントかぁ? どうせこの仕事が終わった後、娼館で誰を買おうか考えてたんだろ?」


 仲間のからかうような言葉を、サイは苦笑を返して否定した。

 この仕事が終わればサイは町を離れざるを得なくなる。馴染みの娼婦ともお別れだ。


 今サイたちは、ハイネスの町から少し離れた岩地、その奥まった場所にある洞穴の前で見張りに立っていた。

 ここはサイたちのグループが、町の中では行うには支障のある仕事をする際に使っている隠れ家。

 街道から外れていて地元の人間も近寄ることがない場所であり、ここを知る者はサイたちのグループ以外にいない。

 それほど深くない洞穴の奥では、今頃仲間たちが捕らえた貴族の家から身代金を引き出す段取りを組んでいるはずだ。

 自分たちが襲撃にあう可能性など考えもせずに。


「あ~、しかし暇だな。交代はまだか?」

「まだ交代したばっかりだろう」


 文句を言う仲間にサイは努めて冷静に応じた。

 ちょうど夜半になろうかという時間帯。サイが見張りをしているこのタイミングに、領主の手勢がここを襲撃することになっている。

 段取りを考えれば、そろそろ姿を見せてくれないと困るのだが……


「……ん?」

「どうした?」


 仲間が訝し気な声を発し、サイは食い気味に尋ねた。

 仲間は離れた岩場を指して、首を傾げながら応じる。


「いや……今、あそこで何か光ったような気が……」


 サイはその場所を食い入るように見つめ――確信する。

 予め来ると分かっていなければ気づかなかっただろうが、夜闇に紛れ不自然な土ぼこりが舞っていた。


「気のせいじゃないか?」


 そのことを悟られないよう、何でもない風を装って仲間の言葉を否定する。


「そうかぁ……?」

「そうだよ。こんなとこ、誰が来るって言うんだ」


 誰が、と原因を特定している時点でサイの発言は矛盾していたが、仲間はそれを指摘しなかった。

 しばしの沈黙が流れ――サイは襲撃の気配に耳をそばだてる。


 そしてサイの緊張が溢れて表情に現れそうになった、その時。


『ウォォォォォッッ!』


 岩場から鬨の声が、金属鎧のガシャガシャと擦れる音が響いた。


「な、なんだっ!?」

「襲撃だ!」


 動揺する仲間に、鋭くサイが言う。


「俺は中の連中に伝えてくる!」


 言い捨てて、返事も待たず洞穴の中に駆ける。

 襲撃が始まれば一刻の猶予もない。早く捕らえた貴族を連れて投降しなければ、襲撃の巻き添えを食ってしまう。


 洞穴の中は、魔法の使える者に頼んで広く繰りぬかれており、いくつかの部屋に分かれている。

 奥から二番目の部屋が簡単な牢になっており、そこに貴族の子供とお付きの女騎士が捕らえられているはずだ。


 サイは声も出さず一直線に洞穴を駆けた。

 あれほど大きな鬨の声が聞こえたのに、洞穴の中の仲間が何も反応していないことをおかしいと感じる余裕もなかった。


 そして目当ての部屋に辿り着き、扉を開けたサイの眼に飛び込んできたものは――




 バール子爵家の家臣団はそれほど規模の大きなものではない。

 戦時に徴兵される平民を除けば、今この場にいる三〇余名が子爵家のほぼ全戦力だ。

 それでも、たかだか一〇名規模の賊を討伐するには過ぎた戦力だと、指揮を任された隊長のリオウは感じていたし、それは過信でも何でもなかった。

 この地方に住む賊はほとんどが素人同然で、配下の団員であれば倍の数でも十分に渡り合える程度の相手だ。

 こうして三倍の数で囲んでやれば、勝手に相手が降伏してくるだろうとリオウは予想していた。


「この隘路では賊に逃げ場はない! 急ぐ必要はない! ゆっくりと進め!

 さすれば賊の方から降伏してくるだろう!」


 リオウの指示に応じて、配下たちは威嚇するように音を立てながら進む。

 これは既に戦いではなくただの作業だ。


 この場におけるリオウの懸念は二つだけ。

 一つは攫われたというエベリン伯爵家の跡継ぎを盾にされること。

 しかしこの点については、家宰のヒースから、賊の中から人質を返して自分一人助かろうとする者が現れるだろうと回答を得ている。

 あの老人がそう言うということは、つまりそういうことなのだろう。賊は一人残さず殺せとも言われている。


 もう一つの懸念は背後でこの討伐に同行しているトランの存在だ。

 エベリン伯爵家への婿入りを企んでいるトランとしては、この機を逃すわけにはいかないというのは理解できるのだが、その守りに手を取られるのは歓迎できない。

 今のところはこちらの指揮に口を出してくる様子もないが、アピールのために今後どう動くかも予想がつかなかった。


(詰まるところ、不測の事態が起こらぬよう、手堅く慎重にことを進めるしかない、ということか)


 胸中の嘆息をおくびにも出さずリオウは粛々と歩を進め、洞穴の入り口を隙間なく配下たちで囲む。

 そして中の賊に向けて降伏を呼びかけようとした時、背後からトランが前に進み出た。


「賊どもよ! 既に貴様らに逃げ場はない!

 大人しく攫った者を解放し、降伏するのであれば慈悲をくれてやる!

 今すぐ降伏か死か、選ぶがよい!」


 年齢に見て堂々たる態度で降伏勧告するトラン。

 勝手な真似をと胸中で毒づきながら、リオウはジッと洞穴を睨みつけた。


「……動きがありませんな」

「ふん。ならば殲滅するまでよ。

 くれぐれもルースに危害を加えさせぬようにな」

「……はっ」


 勝手なことをと不満には思いながらも、素直に頷く。


(しかし、この状況で賊がこれほど静かというのは……少し気にかかるな)


 この状況であればいくらか混乱し騒ぎになって当然。

 仮に別の逃げ道があったとしても、これほど静かに行動できるとは考えにくい。


「突入部隊の先頭には、罠に詳しいものを配置するように」

「はっ」


 部下に短く指示を伝えて、リオウは大きな声で宣言した。


「これは最後通告である! 今すぐ姿を現し降伏せよ!

 さすればトラン子爵のご子息、トラン・バール様のお言葉通り、慈悲ある処置が下されるであろう!

 今から一〇を数えると同時に我らは突入する! 猶予はそれまでと心得よ!

 一〇、九――」


 最後通告と同時に部下たちに突入の合図をする。


 そしてゆっくりとしたカウントが終わると同時。


「――二、一、〇!」


 松明の灯りがリオウ達を囲むようにぐるりと照らし、一〇〇名近い賊が一斉に姿を現した。




 賊に混じって、フードで顔を隠しながらも異彩を隠し切れない集団が一つ。


「それじゃみんな。

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