第十二話 雲泥の差


「――かっ……!」


「……あっ……」


 剣聖ウェイザーの剣の軌道が、一瞬だけだが微かに見えたので俺は思わず声が出てしまった。


「ハワード、見えてきたか?」


「す、少しだけ……」


「よきよき。その調子じゃ」


「はい……」


 少しずつ、ほんの少しずつではあるものの、俺は着実にウェイザーの剣の軌道を捉えられるようになってきていた。


 以前と違うのは、『早くなんとかしなきゃ』ではなく焦らずに『これでいいんだ』と思っているということ。前のめりにならず、一歩ずつでも亀の歩みでも先に進めば充分だと思っているということ。


 これは非常に大事で、誰かと自分を比べようとする浅ましい心を消していく効果があるとじっちゃんはよく言っていた。一日一歩、他人が二歩進んでもそれを持続していけと。たかが一歩でもその中身が重要なのだと。続けていくという行為は、自身を見つめ、俯瞰する作業でもあるのだと……。


「もうそろそろいいじゃろう。ハワードよ、その左手に持った小剣を右手に持ち替えるのじゃ」


「はい、わかりました」


 とはいえ、普段使用してない武器で異形のモンスター群を相手にするのは厳しいってことで、まず立ち止まって、足元から伸びてくる赤い手を仕留めようということになった。


「はあっ! え、ええっ……?」


 俺は今自分のやったことが信じられなかった。さて、倒そうか、切ってやろうか……そういう風に漠然と思ったときには赤い手がバラバラになっていたからだ。こうも違うのか。心でカバーしてやると、信じられないくらい体が軽く感じた。心技体は密接につながってるとはよく言ったものだ……。


「――はあぁっ……!」


 あれから俺は、異形の化け物を複数相手にしても右手一本で一蹴することができるまでになっていた。もっとも、あまり数が多いと打ち漏らしが結構出るのでまだまだだが。とはいえ、使用武器が普段使わない小剣だってことを考えたら凄い進歩だ。


「いいぞ、ハワード。かなり上達しておる。わしに近付いてきたな」


「いえ、まだまだですよ。ウェイザーさん」


 謙遜してみせたが、本心だ。ここまで来るとウェイザーとは僅かな違いに見えるが、実際はどうしようもないほどに差が開いている。さらにその溝は想像を絶するほどの地道な積み重ねによってしか埋められないということも理解していた。


 使用武器がハンマーならもっとマシな動きができそうだが、それでも以前の状態に戻すのは容易ではないだろう。ただ、一歩ずつでもその状態まで行けると言う道筋ができたのは大きい。これで俺は焦らずに歩幅を変えることなく歩いていけるからだ。先行きがまったく見えなかった今までとはそれこそ雲泥の差だ。


「――かっ……! うぅっ……」


「ウェイザーさん!?」


 突如出現したモンスターの大群を一蹴したウェイザーが、直後にバランスを崩して倒れそうになった。汗も凄いし顔色もかなり悪い。


「だ……大丈夫じゃ。心剣というものは強いが、敵の数が多ければ多いほど精神力を摩耗するもの。仕方のないことじゃ……」


「じゃあ、今度から俺と協力して――」


「――いや、わしがやる。あの数を相手にすればお前さんの精神力ではすぐに尽きてしまう上、取りこぼしも多くなり余計な手間がかかる。それならわしが最初から一人でやったほうがいい」


「……」


 俺は何も言い返せなかった。まったくその通りだったからだ。


 化け物が多数だと俺の力じゃ取りこぼしが出てくるし、精神力が途切れてしばらくの間動けなくなるため、残りのモンスターの処理は結局ウェイザーに任せることになるんだ。つまり俺を守るという手間も与えてしまうので、精神力の節約にはつながらないどころか逆にもっと摩耗するってことだろう。


 それにしても、このダンジョンのモンスターの多さには驚かされる。倒しても倒しても、減るどころかそれ以上の数で襲ってくるんだ。その執念たるや凄まじく、怨念のようなものすら感じた。


「このダンジョン、を抱えておる」


「……でしょうね」


「迷宮術士め、厄介なものをこしらえたものじゃ……」


「……」


 迷宮術士は人の心や物をダンジョンに変えてしまうわけだが、中身は術者が作るものではなく、作られる側に依存するのだ。それによって様々なダンジョンが生み出され、負の感情に支配された心はこうしたドロドロとしたダンジョンを作り出す。


 ここも尋常じゃないほどの恨みを内包していると考えたほうがいいだろう。その度合いが強ければ強いほど、攻略にも苦労が必要になるというわけだ……。

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