極虹のグラディエント

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1.1.1:グラディエント


「なーんか、思ってたのと違うな」


 少女が、小さく呟く。


「軍隊の基地、っていうより、なんだか宮殿みたい」


 少女の目の前には幅広の長い歩道が続き、その先には、ひとつの大きな建物がそびえ立っていた。


 大きくて、真っ白で、荘厳で、綺麗な建物。


 そのぱっと見の印象から、少女はその建物を白亜の宮殿のようだと感じた。

 しかし、そうしてしばらくその建物に見とれている間にも、その印象は大きく変化していった。


 実際の建物のデザインは、宮殿のような豪華絢爛な華美さとは無縁の、ただただ無機質で抽象的な、幾何学的オブジェ然りといったものだった。


 同じ建物なのに、見れば見るほどに印象が変わる。

 少女はそれを不思議に思いながら、辺りを見渡す。


 何もない。


 建物の他は一面の原っぱ。空の青と、草の緑。そして、建物の白。

 その単純な光景そのものが、まるでひとつの抽象芸術のようにも思えてくる。


「……でも、僕なんかが軍人だなんて、本当にやっていけるのかな」


 少女が心の内の不安を、言葉にしてこぼす。

 しかし、少女はすぐに表情を明るく変え、朗らかに言った。


「ま、なんとかなるだろ。なせばなる、だ」


 その時、少女の背中を突然の突風が押した。

 濃く暗い、藍色のショートボブの髪がグチャグチャに乱れ、飾り気の無いブラウスとスラックスが、バサバサとはためく。


「あーもー、うっとうしい。早く中に入ろ」


 少女は、大して中身の入っていないくせに軽くはないキャリーバッグをガタガタと転がしながら、長い歩道を歩き始めた。





「……ようやくのご到着のようだよ」


 足を組みながら出窓に腰掛け、窓の外を眺めていた少年が面白そうに言う。


「アリル・ベイオリス?」


 部屋の中にいるもう一人の男が、机の上の書類にペンを走らせながら、面倒くさそうにそれに応えて言った。


「初日から二時間の遅刻とは。なるほど、大物ですな」


 男はそう言いながら乱雑に散らかった机の書類束から、すぐに目当てのファイルを見つけ出し、手繰り寄せた。


「アリル・ベイオリス。女性。満十五歳。一〇三二年、ラカラム村生まれ。ほどなくして流行病で両親を亡くす。それからは歳の離れた姉に育てられるが、五歳の時に、件の”ラカラムの悲劇”により、その姉すらも故郷ごと失う。その後は、一帯を領有するゼルディン男爵の厚意により、教育の機会にも恵まれながら、男爵邸にて住み込みの使用人として働き、静かに暮らしている」


 男はそこまでを平坦な声で音読し、それから視線を少年の方へと向けた。

 少年は何も言わず、面白そうに男の目を見返す。


「プロパガンダの素材としては面白いのかもしれないが、うちは曲がりなりにも実戦部隊だ。こんなズブのド素人を送り込まれても、どうしようもない。あなた方は何を考えているのです?」


 男ははっきりと声音に非難の色を滲ませて言ったが、少年はそれにも全く怯むことなく、薄く微笑みをたたえた表情を変えずに答えた。


「ジェリス・アルドーマ司令官。あなたの心配ももっともだとも思うが、安心してくれ。間違いなく、彼女は特別な資質の持ち主だ。確かにすぐには戦力たりえないだろうが、必ずや磨けば光る。彼女はそういう存在だ。長い目で見て、鍛えてあげてほしい」


「……信じましょう」


 ジェリス司令官は本気で議論をするつもりも無かったので、適当に心にもないことを言って、早々に会話を切り上げることにした。


 少年の方もその意をくみ取ったのか、そういうわけでもないのか、暇を告げ始めた。


「ここまで待っておいて、彼女には会っていかれないので?」


「外せない用がある。残念ではあるが、他の機会を待つことにするよ。それでは、指令官。彼女のこと、くれぐれもよろしく頼む」


 そう言うと少年は、指令官が会釈で送るのも振り返らず、去っていった。

 後に残された司令官は、首元を緩めながら大きなため息をつき、椅子のクッションへと深く身を預けた。


「……どうにも息が詰まってかなわん」


 カルムナント・ゼオリム。

 見た目は十代前半そこらの子供なのに、その瞳の奥に宿る精神には、相当な老練さを感じずにはいられない。その得体の知れなさを、ジェリス司令官は不気味なものだと感じていた。


 しばらくそんなことをぼんやりと考えていると、扉の向こうからノックの音が響き、ジェリスは居住まいを正した。





「カノンでーす。アリル・ベイオリスさん、お連れしましたよ」


 入室を許可する前に、カノンが勝手に扉を開け、顔を覗かせて言った。


 カノン・コナント。赤みがかった明るい髪。白を基調とした服にも、橙色のラインが走っている。オレンジ・スイートのミショニスト。言わばアリルの先輩。


 あれで一応は軍人なのだから、ここは本当にふざけた組織だと、ジェリスは呆れるしかない。


「入ってもらってくれ。カノンはそのまま室外で待機」


「りょーかい。……じゃ、面接頑張ってね、アリル」


 カノンは雑に敬礼してみせるとアリルに向き直り、小声でそう言うと、室外へと去っていった。





 男はアリルの目を見たまま、黙って何も言わない。

 仕方ないので、アリルは自分から言葉を発することにした。


「アリル・ベイオリスと申します。よろしくお願いします」


 敬礼とかもした方がいいのか、とアリルは迷ったが、特にまだそうした指導も受けていなかったので、余計なことはしないでおくことにした。

 それに対して男は頷いて答え、話し始めた。


「私はジェリス・アルドーマ。ここの責任者をしている。よろしく、アリル。……君は、ここがどういうところかは、分かっているね」


「はい。冥獣に対する、特殊部隊だと聞いています。確か、冥府警戒軍団の、特務精鋭専任防衛隊、通称グラディエント」


「はい、よくできました。精鋭の中の精鋭、王国指折りの魔導戦士、ミショニスト。そのミショニストのために専用にあつらえられた機械の鎧、ミッション・エンジン。そして、それらの運用単位、ミッション・スイート。君にはその新設されるインディゴ・スイートのミショニストを担当してもらう」


 それはずっと前から聞かされていたことで、自分でも決心してここに来たはずなのに、今更に疑問がアリルの頭をよぎる。


「なんで、僕なんですか。戦いどころか、スポーツすらろくにやったことないのに。僕に、本当にそんなの、務まるんでしょうか?」


 指令官は、すぐには答えなかった。





「それは……」


 それは、こっちが聞きたいよ。

 ジェリスは内心そう思ったが、流石にそんなことを口にするわけにもいかず、代わりにこう答えた。


「それは、君が特別な資質の持ち主、だからだ。磨けば光る。そういう逸材だと信じている。確かに今すぐには戦力として数えることはできないだろうが、いずれはグラディエントの要として活躍してくれるものと期待している」


 それを聞いても、アリルの表情は晴れない。


「そう、でしょうか……」


 頼むから、嘘でも「はい! 期待に添えられるよう、全力を尽くします!」とかなんとか、軍人らしくハキハキ答えてくれ!

 ジェリスはそんな苛立ちを必死に抑え込んだ。


「とりあえず、挨拶はこれぐらいで良いだろう。このあとはカノンに施設を案内してもらってくれ。その後の時間は自由に使ってくれて構わない。訓練は明日の朝からだ。重ねて言うが、期待している。頑張ってくれ。以上。退室してよろしい」


「はい。失礼します」


 そう言って、アリルは小さく頭を下げ、退室していった。

 扉が閉まるのを待って、ジェリスはまたも大きくため息をついた。


「……さて、どうなるやら」





 グラディエントの基地施設は、上空から見下ろすと二つの中空の円筒を繋げたような、つまりは平たく言うと、数字の8、あるいは無限大記号∞のような形をしている。


 その片方の円は事務方のオフィスや寄宿棟、食堂や資料室、娯楽室などが入り、その円の内側は広い中庭兼運動場となっている。

 またもう片方は、装備や資材の備蓄倉庫や、より専門的な訓練や医療、簡易的な研究・解析用の設備も備え、円の内側には隊の主装備である、ミッション・エンジンの整備格納庫が存在する。


 アリルはカノンに一通りの設備を案内してもらい、8の字を一周し、最後にはエントランス近くの食堂へと辿り着いた。


「外から見た時も思ったんですけど、やっぱり中身もなんか、思ってたのと違いますね」


「え? 何が?」


 アリルの言葉に、カノンがプレートに大盛りになった食事を掻きこみながら答えた。

 アリルは小ぶりのハムサンドとコーヒーを選んだものの、あまり手を付けず、周りを見渡す。


「軍隊ってもっとこう、しつじつごーけん!、って感じを想像してたんですけど、ここだって天井は吹き抜けになってるし、全面ガラス張りだし、なんか都会のおしゃれなカフェテリアみたい、っていうか。まあ、田舎者だからそんなの行ったことないんで、イメージですけど」


「ああ、なるほど。そういうこと。私も最初は驚いた。でもまあ、ここって結局、軍隊であって、軍隊じゃないからね」


「どういうことです?」


 いつの間にか、カノンのプレートは綺麗に空っぽになっている。その引き締まった体のどこにあれだけの量が入ったのだろう、とアリルは不思議に思う。


「ほら、ここってあれやこれやでバカみたいに金食い虫だから。ハリボテの形骸を維持するだけで精いっぱいな軍の予算じゃ賄いきれないわけでさ、結局は装備一式の研究開発を仕切るゼオリム財団がかなりの割合を出資してて、その意向がなんというか。そんなこんなでここは組織図上は正規軍の一部だけど、実際にはゼオリムの私物みたいな扱い、ってわけ」


「はぁ……なるほど……」


 元々アリルはそういった話には疎い上、カノンの説明があまりにも適当すぎるため、よく分からず、曖昧に返事をするしかない。


「そう言えば、どうしたの? 食べないの?」


 カノンがほとんど手つかずのアリルの食事を見て言った。


「あ、なんだか疲れちゃって。包んでもらって、あとで部屋で食べます」


「そっか。私もなんか疲れたな。じゃあ、今日はこのへんでお開きで、いい?」


「はい。今日はありがとうございました」


 アリルがペコリと頭を下げ、それにカノンはニコニコした顔で答えた。


「よし。じゃあしばらくはこのまま私がアリルの教育担当らしいから、明日からまたよろしくね」


「はい。よろしくお願いします」


「よし、それじゃあ頑張るぞー。おー!」


 カノンが突然右手を掲げ、そう言うのを、アリルはきょとんとした顔で見つめた。


「なんだよ、一緒にやってよ。私一人じゃバカみたいじゃない」


「あ、ご、ごめんなさい」


 アリルはよく分からないままに焦って、また頭を下げた。


「よっしゃ、それじゃもう一度。明日から頑張るぞー。おー!」


 カノンが右手を掲げるのに合わせ、今度はアリルも一緒に右手を掲げて応えた。


「おー!」





 それから、自分にあてがわれた部屋へと戻ったアリルは、着替えもせずにベッドへと仰向けに寝転んだ。


 この部屋も想像していたものとは全く違う。イメージの中の高級ホテルのスイートルームそのものだった。至れり尽くせりすぎて、なんだか逆に落ち着かない。

 部屋の隅には、汚れた小さなキャリーバッグが無造作に転がっている。


「どうせ大したものが入ってるわけでもないし、片付けるのは明日でいいや」


 そう言うとアリルは、ベッドの上でゆっくりとまぶたを閉じた。


「司令官さんはまだよく分からないけど、カノンさんは良い人そうだし、他の人たちも皆良い人ばかりだと良いな。ここでなら、上手くやっていけるかもしれない。上手く、やっていけると、いいな。……なせば、なる、だよね。……姉ちゃん」


 アリルの意識はゆっくりと溶けていき、やがて眠りの底へと沈んでいった。

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