第4話 春を呼ぶもの

「――ショーグレン先生を呼んでくる」

 アーヴィが硬い声で言うと、教室を飛び出していった。そうだ。まずは、相談しなければ。

 それから。それから、ええと。

「イェリン、まずは椅子に座れる?」

「う……うん」

 肩を支えてゆっくりと立ち上がらせる。すぐにイェリンの顔が歪んだ。痛むんだ。椅子に座ると、イェリンが震える手で自分の顔を覆った。

「ごめん、なさい」

 ――イェリンは悪くない。

 だれも、ニナに触れなかった。いまニナにかける言葉なんて、きっと誰も持ち合わせていなかった。周りにいた女の子たちも、そろそろと寄ってきて、誰かが氷を取りに行って、誰かが自らの水筒をイェリンに握らせた。

 視界の隅でちらちらと揺らぐ白い髪のニナを、わたしは真っ直ぐ、見られない。

 すぐにショーグレン先生がやってきた。

 氷を足に当てるイェリンを見て、さすがの先生も顔をしかめた。

「そう、ね。折れてはいないわ。折れてはいないけれど……」

 イェリンの足を診て、ショーグレン先生が言葉を濁す。折れてはいない。でも。

 イェリンが唇を強く引き結んでいた。

「イェリン……」

「――わたし、やります」

 イェリンが顔を上げた。いつものイェリンからは考えられないほど強いまなざしで、ショーグレン先生を見上げている。

「でも」

 ショーグレン先生の目が揺れた。いつも角角しいのに、三角形が逆になったみたいな目でイェリンを見つめている。

「でもね、イェリンこの足じゃ」

「固定すれば動けます! 絶対、絶対やれます!」

「踊れないでしょ」

 ――イェリンの叫びを遮った、冷たい、冷たい言葉。

 水を打ったように、教室中が静まり返った。

 ニナだ。

 ニナが、泣きはらした目で、イェリンを見ていた。

 ――どうして。

 心の中で、わたしが叫ぶ。

 泣きたいのは、イェリンだ。どうしてあなたが、泣くの。

「先生。わたし、代わり出来ます」

 ――え?

 一瞬、ニナが何を言っているのか理解できなかった。

 代わり、出来ます――?

「踊りも歌も、完璧に出来ます。選出に漏れた日からも、練習は欠かしていません。先生! わたし、イェリンの代わ――」

 その瞬間。

 わたしはニナの頬を力いっぱい叩いていた。

 破裂するような音が響き渡った。

「モニカッ」

「ごめんなさい。あとで罰は受けます」

 ショーグレン先生の声を遮って、わたしはニナの肩を掴んだ。

 色抜けした冬色の瞳。わたしとおなじ、欠けた者。

「そんなの……そんなの、許されるわけがないでしょう」

「モニカ」

 アーヴィが、わたしの手を握る。落ち着けって言っているんだ。分かるよ、でもね、アーヴィ。許せないことは、許せないって叫びたい。

「ニナが踊りも歌も上手なのは知ってる。でも、選ばれたのはイェリンだ」

 選ばれなかったんだ、わたしたちは。

「イェリンが春を呼ばなきゃ、あなたのその色抜けだって戻らない。世界中から色は消え失せたまま、また十二年時を過ごすの。かわいい服を繕ったって、美味しいごはんを作ったって、全部真っ白なの。わたしはそんなの耐えられない」

「でも……わたしなら、出来る!」

「ふざけんなっ!」

 ギリギリのところで怒鳴らないでいたのに、ああ、もう駄目だった。わたし、叩きつけるようにニナに言葉をぶつけていた。

「出来るわけがない! そんな……そんな澱んだ心で春が呼べるなんて思うな! 思いあがるな!」

 春を呼ぶ咲の巫女は、踊りも歌も重要だ。歌と踊りをこよなく愛した聖女カーネリア様に捧げる調べだから。だからわたしたちはスクールでかつては咲の巫女だった先生たちから、教えを受ける。そして、選別される。

 でも。

「咲の巫女は、聖女カーネリア様の分身として色を流すんだ! 春を一番望む、春に一番好かれる人が、巫女をやるべきなんだ! そんな、澱んだ心で、くすんだ気持ちで、春なんて呼べやしない!」

 ニナが顔をゆがめている。その顔が揺らいでいく。分かるよ。くやしいよ。いっぱいいっぱい練習したもん。わたしも、あんたも。イェリンにだって負けてないよ。歌も踊りも。でも、違うんだ。イェリンなんだ。選ばれたのはイェリンなんだ。

 いちばん、春にふさわしいのは、イェリンなんだよ。

「モニカ」

 イェリンが、わたしを抱きしめた。痛む足で立ち上がって、わたしを抱きしめてくれた。わたしの真っ白な髪に、くちづけをくれた。

「ありがとう。わたし、絶対に、本物の春を呼ぶの。色を取り戻すわ」

 ――ねぇ。イェリン。わたし知ってるよ。

 あの色抜けした朝、わたしよりわたしを思って泣いてくれたイェリンが、このやがてくる本物の春をどれだけ望んでいたか。

 それはきっと、わたしに色を与えるために。

「――美しい友情も良いのですけれど」

 静かな声で割り込んだのはショーグレン先生だった。いつも通り、ちっとも笑わない顔のまま、わたしたちを見降ろしている。

「そのままでは、イェリンに任せることは無理ですね」

「せんっ……」

 叫びかけたイェリンの唇に、そっと人差し指をそえて。

 ショーグレン先生は初めて見る茶目っ気のある顔で、ひとつわたしにウィンクした。

 ……え?

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