嘘を重ねる
「……っぅ」
涼丸が目を覚ますと、見覚えのない部屋で布団に寝かされていた。体を起こそうとすれば、あちこちが痛み、思わず呻き声をあげる。それでもなんとか体を起こしたが、視界が狭い。顔に触れてみると、額から右目の辺りまで包帯が巻かれ、触れている手にも包帯。なんで、と言葉にしたつもりが、口からでたのは掠れた声。青褪め首に触れると、そこにも包帯が巻かれていた。
実家でも、住み込んでいる師匠の家でもない。なぜここにいるのか。なぜ包帯まみれなのか。今の状況が全くわからず、急激に襲ってきた恐怖感に自分の体を抱き締めた。何とか思い出そうとすればするほど、頭が痛む。
グラグラと揺れる視界と思考を落ち着かせようとしていれば、ドタドタと足音がした。ハッとして身構えた涼丸の正面の襖があいた。
「ん、起ぎだが。良がた」
「……っ、ぁ、ぅ……」
「声、出さねでい」
部屋へ入ってきたのは、最近顔なじみとなった警官の津軽。休みなのか、いつぞやと似たような恰好の彼は、喋ろうとするのを制し、静かに襖を閉めると涼丸の傍へと腰を下ろす。
見知らぬ場所で知った顔を見たことで、気が緩んだのだろう。ポロポロと涙をこぼす涼丸に、驚いたようにごくわずかに目を見開いた津軽だが、すぐにいつもの無表情に戻ると、壊れ物を扱う様にそっと彼の頭をなでる。
暫く声を立てずに泣いて落ち着いたんだろう。恥ずかしそうにする涼丸へ、津軽が真新しい手帳と鉛筆を差し出した。曰く、喉を傷めているので無理に声を出すと本当に声を失うことになりかねない。そう言われて青くなった涼丸は手帳を抱えて、コクコクと頷いた。
「こごはおいの家だ。一人で生活すてらはんで気使わねでい。ぼずがこごさいるごどはおめの師匠も承知すてら。体治るまでは、仕事も休みにすてもらえるよう、話すてくれるどのごどだ」
『なんで、津軽さんのお宅なのですか?師匠の元や、実家ではなく』
「……昨日の事、覚えでねが?」
要点をかいつまんで説明されたが、なぜこうなっているのかがわからない。それを手帳に書いて見せれば、逆に聞き返された。きのう、と口だけ動かして首をかしげる。夜席の前座仕事を終え、寄席を出たのは覚えている。だが、その後の記憶がやはりどうにも曖昧で、思い出せない。
先ほどのように、頭痛に襲われ、集中できない。
『寄席を出た後の事が、思い出せません』
「……夜の見回り中さ、怪我すて倒れでらおめば見づげだ。近ぐで殺すがあったはんで、目撃すたのがもすれねど思って、保護すた」
『すみません、ありがとうございます』
「気にすねでい」
迷惑をかけてしまった、とうなだれる涼丸を津軽はもう一度撫でる。とにかく、体を治すのが先だと言う津軽に甘え、布団に潜り込む。そして、ふと思い当たって、立ち上がった津軽の服の裾を掴んだ。何事かと振り返る彼に、手早く文字を書いた手帳を見せる。
『奥さんは』
「別居中だ」
『ごめんなさい』
聞いてから、あまりに不躾だったと小さくなる涼丸を残し、津軽は部屋の外へと出て行った。
布団にもぐったはいいが、することもなく、眠れる気もせず。うつ伏せになり、体の痛まない位置を見つけると、手帳に昨日の事で覚えていることを書きながら記憶をもう一度たどる。
仕事が終わった後どうした。同じ方向の先輩が誰もいないので、一人で市電の駅へと歩いた。いつもより少し早いから、一駅歩こうと川沿いを歩いて、業平橋の停留所を目指したはず。
停留所にたどり着いた?ついてない。途中で人の争う声を聞いた川辺からだったはず。
それでどうした 見に行った見てしまった。
なにを 人を殺した現場
だれ とよ
きぬがさ
「涼丸!?」
津軽が部屋に戻ると、少年が体を丸めてひきつけを起こしていた。慌てて抱き起せば、上手く息も吸えていないようで、はく、はく、と口を動かし、見開いた目からボロボロと涙をこぼしている。
「涼丸、ゆっくり息すろ。慌でねでい。こごさおめば害するものは何もね。大丈夫」
ゆっくりと背中をなでながら声を掛ける。暫くそうしていれば、呼吸が落ち着き、体の強張りも取れていく。そうして、ふっと体の力が完全に抜けた。どうやら、気を失ってしまったらしい。それでも、呼吸は落ち着き、先ほどまでの苦しげな様子はない。安堵の息を吐いて、布団へ寝かし直そうとしたとき、涼丸の手元から手帳が転がり落ちた。ひきつけを起こした時に握り込み、抱きこんでしまったのだろう。折れ曲がったり、皺ができているが、中を見るのに支障はない。ざっと目を通した津軽の目が、刃物のように鋭くなった。
そっと布団に寝かせた涼丸の、包帯が巻かれていない、素肌の出ている指先へ口づけを一つ落として、手帳を自らの懐へとねじ込んだ。
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