ダルニスと、ネコの結婚式

茂菌研究室

第1話 ネルちゃんに頼まれて…

「なぁダルニス…。本気なのか?もし失敗したら無事では済まないぞ。」


アルドは外からの目を遮るためカーテンを閉めた。

ダルニスは椅子に座ったまま、その長い髪をかき上げる。


「まあそうかも知れないな。だが、今の俺たちにはこれしか方法がないんだ。やるしかないだろ。」



アルドはダルニスの肩にそっと手を置いた。


「ダルニス。——やっぱり俺が…。」


アルドの言葉に、ダルニスはゆっくりと首を横に振る。



「アルド…。気持ちは嬉しいが、お前では難しいだろう。これは俺がやるべきことなんだ。」


「——くっ…」アルドは目に悔しさをにじませた。


部屋の中には、暖炉で薪が燃えるメキメキという音だけが小さく響いている。



しばらく無言で目を閉じていたダルニスは、やがて目を開き立ち上がる。


「今度は必ず成功させて見せる。」


次の瞬間、ダルニスはその手に握りしめた『ネコ耳カチューシャ』を自らの頭部に装着した。


「………」



ダルニスはゆっくりと振り返り、アルドに視線を送った。

「意外と似合ってるんじゃないか?」と目が訴えている。


アルドはとっさに目を背けた。

腹筋をひくつかせながらも無言を貫くアルドに、ダルニスは追い討ちをかける。


「…………ニャン。」


軽く握った両手を顔の横に添えた。


「——っぶふ!」


アルドはついに吹き出してしまった。


「わかったわかった、似合ってるよ。そんなことよりそろそろ行ったらどうだ?」


アルドは、笑いをこらえて真っ赤になった顔を両手でパタパタと扇ぐ。


「ああそうだな!それじゃ行ってくるニャ!」


ダルニスは満足そうな顔をして部屋を出て行った。

ドアが閉まると同時に、アルドの肩の力が抜ける。


「『ニャ』か…。————なぁダルニス、男の『ネコ耳』なんて需要ないんだぞ……。」


アルドはカーテンを開け、空を見上げた。


「——はぁ、どうしてこうなったんだか……。」






———今朝のことである。


久しぶりにバルオキーに帰ってきたアルドは自宅でフィーネの用意した朝食を食べていた。 


「おーい、アルドー、いるかー?」


声の主はダルニスだ。

ダルニスは家に入ってくると、キョロキョロと見回したあと、朝食をとっているアルドの前に座った。


「今日はじいさんとフィーネちゃんはいないんだな。」


「どっちも用事があるって朝早く出かけたよ。——それよりダルニス、何か用か?」


アルドは皿の上に残っているパンとハムを、同時に口の中へ放り込んだ。


「ああ、ちょっと頼みがあってな。」


ダルニスは椅子に座り直す。



「とあるネコを捕まえたいんだ。」


「へぇー、どんなネコなんだ?この辺のネコか?」


アルドはミルクの入ったコップに手を伸ばし、勢いよく口の中に流し込む。

ダルニスは言いづらそうだ。


「それがな……。」


アルドは最後の一滴まで口に含んだ。


「————『ロドリゲス』なんだ。」


(ッブー!)

アルドは口に含んだミルクをすべて噴射した。

まるで消火器だ。


「ロドリゲスってあのロドリゲスか!?」


アルドは目を見開いて立ち上がった。

ダルニスの顔からはミルクが滴っている。


「そうだ。小さい頃、お前が尻尾踏んでエラいことになったあのロドリゲスだ。」


ダルニスは顔を拭った。

アルドは近くにあった台フキンでテーブルを拭き、椅子に腰を戻す。


「捕まえるって言ったって、今でも俺の顔見るたびに『シャーッ』って威嚇してくるんだぞ。無理だろ。なんでよりによってロドリゲスなんだ?他のネコじゃダメなのか?」


アルドはテーブルの隅に置いていたピッチャーから、改めてコップにミルクを注いだ。


「それがロドリゲスじゃないとダメだから困ってるんだ。」



余程の事情があるのだろう。アルドは察して、詳しい話を聞かせるよう、視線で促した。


ダルニスはうなずき、ここに至る経緯を話し始めた。


「実はな、ネルちゃんの頼みなんだ。」


「ネルちゃんて、確かダルニスのいとこの……。」


「ああ、そのネルちゃんだ。ネルちゃん家で飼ってる『サファイア』ってネコがいるんだが、そのサファイアちゃんに最近仔猫が産まれたんだ。」


アルドはミルクを飲んでいる。


「で、その父親が……———なぁアルド、先にそのミルク飲んでしまわないか。」


アルドは指でOKサインを作り、ミルクを飲み干した。


「——『ロドリゲス』なんだ。」


2度目の悲劇は回避された。




アルドはちょうどいい塩梅になったお腹をさすって、「ふぅぅ」と一息ついた。


「ロドリゲスが父親ねぇ…。それで?」


「ネルちゃんがサファイアちゃんの結婚式をやりたいって言うんだ。」


アルドは勢いよく頬杖をつく。


「はは〜ん、なるほど。それで仔猫の父親を連れてくるよう頼まれたってわけだ。ダルニスのことだからカッコつけて『俺に任せておけ!』とか言っちゃったんだろう?」


ダルニスは無言でコクリとうなずいた。


「はぁぁあぁぁあぁ。」


アルドは巨大なため息をついた。



「なぁダルニス、ネルちゃんがかわいいのは分かる。えーっと8歳か?」


「7歳だ。」


「7歳か。『おにぃちゃんお願い!』とか言われたわけだ。頼られて頑張っちゃうのも分かるんだけど、相手はロドリゲスだぞ?どうするつもりだったんだ?」



アルドは立ち上がり、食器を片付ける。


「最初は俺だけでなんとかしようと思ったんだが——。」


ダルニスも片付けを手伝おうと立ち上がりかけたが、アルドはそれを手で制する。

ダルニスは椅子に腰を戻した。


「——どういうわけか俺は最近ネコに避けられてるみたいなんだ。ロドリゲスどころか他のネコにも避けられてる気がする…。なんでなんだろうな?」


アルドはテーブルの上を片付け終え、再び椅子に座る。



「うーん、その整髪料の匂いのせいじゃないか?それまぁまぁニオうぞ。それだとネコどころか人間も寄ってこないだろ。気づいてないのか?」


「え゛っ!?」


ダルニスはあからさまにショックを受けている。


「こ、この整髪料高かったんだぞ。なんでも『高級素材を惜しみなく超配合したスペシャルブレンド』って話で、ひとビン10,000Gitもしたのに…。」


ダルニスは自分の長髪の毛先を指で捕まえ、スンスンと匂いを嗅いだあと、首を傾げた。

ダルニスの鼻は鈍感らしい。


アルドは呆れ顔で言った。


「『超配合』と『スペシャルブレンド』って意味被ってるだろ。だいたい高級素材ってなんだよ。」


ダルニスは宙を見つめる。


「えーっと、確か…中身は『エイヒのエイヒレエキス』と『ツルリンの搾り汁一番搾り』、あと『アルガンオイル』だったか。」


「…3つ目だけ急にまともな素材放り込んできて逆にビックリだよ。」


アルドは続ける。


「———なぁダルニス…、騙されたんじゃないのか?エイヒなんかセレナ海岸辺りに行けばウヨウヨいるし、ツルリン汁に至っては一番搾りも二番搾りも変わらないだろ。いったいどんな商人に売りつけられたんだ?」


ダルニスは整髪料を売っていた商人の姿を思い浮かべる。


「…ああ、ユニガンに異国風の女の商人がいてな。長くて綺麗な黒髪だった。モフモフの尻尾がキュートで、なんかこう…妖艶っていうか、刺激的なお姉さんって感じだったよ。今思い出しても、ぜひオトモダチになりたいものだなぁ。」


ニヤついたダルニスの顔に、アルドは冷ややかな視線を向けた。

異国風、長い黒髪、モフモフの尻尾…。アルドには思い当たる人物がいた。

鼻の下を伸ばして商品を買うダルニスの姿が目に浮かぶ。


(ホオズキに会ったら、ダルニスには物を売らないように言っておこう…。)



いずれにせよ、この話をこれ以上掘り下げる意味はない。アルドは話を本題に戻すことにした。


「とりあえず高い物はよく考えてから買えよな。———話戻すけど、相手がロドリゲスじゃ俺も力になれるかわからないぞ。」


「あぁアルドに声をかけたのは、ネコの扱いに詳しい人にアドバイスを貰えたらと思ったんだ。おまえん家、ネコ飼ってるだろ?えーっと、バルオ?」


「ヴァ・ル・ヲ。」


「バルヲ?」


「ヴァ!ルヲだっての。———うん、まぁ確かにネコのことについてはそれなりに詳しいかもな。」


ダルニスの目が輝いた。


「おお、そうか!それで、ネコを捕まえるにはどうしたらいいんだ?」


「うーん、触っても逃げないくらい懐かないとダメだろうな。懐いたら捕まえるまでもなく、ネコの方から寄ってくるよ。」


「で、懐かせるには?」


ダルニスは前のめりだ。

アルドは腕を組み、視線を宙に移す。


「餌付けかー…、おもちゃかー…、うん、餌付けだな。シオンに貰った煮干しがあるから、それ使ってみるか。」


「なるほど、餌付けか…。よし、その作戦でいこう!お前も来るだろ?」


ダルニスは笑みをこぼす。


「そうだな、まぁ付き合うよ。相手が相手だけに、力になれるかは分からないけど、とにかくやってみよう。———早速行ってみるか?」


「ああ、行こう。!」




「——っとその前に…ダルニス、その整髪料洗い流してこいよ。」


「え、やっぱりダメ?」


「ダメ。」


ダルニスは不満げにうなずくと一旦自分の家に帰った。






———しばらくあと。


2人の姿は村の池の前にあった。ロドリゲスは近頃、この辺りに頻繁に出没すると言う。


「来たかアルド。」


ダルニスの髪はしっとりとしている。


「待たせたな。これだ。」


アルドは持ってきた煮干しをダルニスに手渡した。

2人はすぐにロドリゲスを探し始めた。

池の周囲の草むらに分け入り、名前を呼んでは、さらに草をかき分けた。


「おーい、ロドリゲスー、いないかー?煮干し持って来てやったぞー。」


ダルニスは草をかき分け進む。

アルドはその後ろに続いた。



(ロドリゲスのやつ、今日はここには来てないのかな。)


アルドはぼんやりと考えながら、次の一歩を踏み出す。


————ぶに……。


何か踏んだ。



アルドはゆっくりとその足を上げ、これまたゆっくりと視線を足下へ運んだ。



「ガルルルル……。」



(———ぉおぅ…、デジャヴ……。)


ロドリゲスだ。尻尾を踏んでしまった。


(…ごくりっ)

アルドは息を呑み、睨みつけて来るロドリゲスに向けて笑顔を作った。


「…や、やぁロドリゲス。ご機嫌いかが…?」


いいはずがない。次の瞬間。


「ガウッ!ガウッ!ガウガウッ!!」


ロドリゲスはアルドに飛びかかった。

噛みつき、爪で引っ掻き、かなり怒っている。


「いててて、ごめんごめん!」


アルドは逃げた。———ダルニスの方へ。


「うわ!バカ、こっちに来るな。」


アルドはダルニスの横を走って通り過ぎる。

お約束だが、ロドリゲスはダルニスに噛みついた。


「ガウガウッ!ガブ!!」


「いてて!なんで?俺!?」


2人は一目散に逃げ去った。



遠くまで逃げると、ようやくロドリゲスは追って来るのをやめた。

2人は、村の反対側にある井戸の方まで来ていた。

ダルニスはその場にへたり込む。


「はぁ…はぁ…。お、おいアルド、逃げる方向は考えようぜ。」


アルドも座り込む。


「ぜぇ…ぜぇ…。あぁわるい、咄嗟のことでな。そう言えば、小さい頃追いかけられたときも、最後はダルニスに噛みついてたっけ。」


「そう言えばそうだったな。まぁ、もういいけどさ。——そんなことよりロドリゲスのやつ、相変わらず筋肉ムキムキだったな。それになんだあの鳴き声。『ガウガウ』って、あいつ本当はイヌなんじゃないのか!?」



2人は息を整え深呼吸すると、同時にため息をついた。


「——はぁ…。」「——はぁ…。」



今大事なのは、昔の思い出でも、イヌなのかネコなのかでもない。

アルドが尻尾を踏んだことで、より凶暴化してしまったロドリゲスを、どうやって懐かせるかということだ。



2人は、ひとまず様子を見に池の方へ戻った。


ロドリゲスはこちらに気づくと、「ガルルルル」と鳴らしながら睨んでくる。耳を後ろ向きにピンとたて、尻尾の毛も逆立っている。

これ以上近付けば、走って飛びかかって来るだろうと容易く想像できた。

2人は回れ右して井戸の方へ戻る。


アルドは肩を落とした。


「…アレじゃ餌付けなんて無理だな。遠くから見るだけであんなに警戒してる。———俺が尻尾踏んじまったばかりに、すまない…。」


ダルニスは自慢の長髪をかき上げる。


「気にするな。起こってしまったことをアレコレ言ってても仕方ない。そもそも手伝わせたのは俺の方だしな。———それよりこれからのことを考えよう。何か手立てはあるか?」


心根の優しいダルニスは、少しもアルドを責めなかった。

いちいち格好つけて髪をかき上げる仕草も、こういう場面では本当に格好良く見えて来る。



ダルニスの前向きな姿勢に、なんとか力になりたいと思い、アルドは次の策を練る。


「うーん…——そうだ!俺よりネコに詳しい人に聞いてみるのはどうだろう。」


ダルニスは腕を組んだ。


「お前より詳しい人って?」


「『猫マダム』だ。」


「『猫マダム』って、いつも武器屋にいるあのばあさんか?」


アルドはうなずいた。


「ああ、あの人ならいい知恵を貸してくれるに違いない。武器屋に行ってみよう。」




2人は村の中央にある武器屋に向かった。

武器屋の中では店の主人と娘のメイが作業をしているようだった。

アルドとダルニスは2人に軽く会釈したあと、奥にいる猫マダムに声をかける。


「やぁマダム、折り入って相談があるんだ。」


アルドが言うと、猫マダムは優しい笑顔を向けた。


「あらあら、改まってどうしたのかしら。私で力になれることだったら協力するわよ。」


アルドとダルニスは目を見合わせ、互いにうなずいた。


「実は———。」


2人はここまでの成り行きを猫マダムに話して聞かせた。



「……そう。ふふっ、ロドリゲスちゃんも隅には置けないわねぇ。結婚式、絶対成功させなきゃね。———いいわ、ロドリゲスちゃんを手懐ける方法、私がレクチャーしてあげる。」


アルドとダルニスの顔に笑顔が溢れる。


「な!マダムに相談して正解だったろ?」


「ああ!——早速だがマダム、方法を伝授してもらえるか?」



猫マダムはおもむろに語り始める。


「————まず…。」


「まず……?」(ごくりっ)




「まず、ネコの気持ちになることが大事ね。」


(ネコの気持ち…。)




「ネコになりきるのよ。」


(ネコになりきる…。)




「そして語りかけるの。」


(語りかける…??)




「2人とも私のようにやってみて。」


(おや?…雲行きが怪しくなって来たぞ?)




「ニャ〜オ〜ン♪ニャ〜ニャ〜、ニャ〜ン♫————っはい!」


「………」


アルドとダルニスは耳を真っ赤にして目を泳がせた。

(え?これ、やるの?)



「ほらっ!早く!」


猫マダムが急かしてくる。


「……にゃ、にゃあぉん。にゃあにゃあ、にゃん……。」


「声が小さい!そんなんじゃロドリゲスちゃんには伝わらないわ!———もう一回!ニャ〜オ〜ン♪ニャ〜ニャ〜、ニャ〜ン♫」


なかなかに恥ずかしいが、自分たちから頼んだ手前、最後までレクチャーを受けるしかない。

アルドとダルニスは観念して真面目な表情を作る。


「にゃ、にゃ〜おーん。にゃあにゃぁにゃーーん…。」



店の隅では、メイとその父親が、声を出さずに腹を抱えるという新手のガマン大会を開催している。

それでも時折、「…ぷっ」とか「…ぐふっ」とか聞こえてきた。……そりゃまぁ面白いもんな。



もう一回、もう一回と、猫マダムのレクチャーは続いた。




「————うん!これならギリギリ及第点ね。」


ようやく2人の出来に納得した猫マダムは、机の引き出しに手を伸ばした。

ガサガサと引き出しの中をあさり、「あった」と小声で呟いたあと、2人の前に進み出た。


「はい、これは私からのプレゼントよ。」


そう言って手渡されたのは、まさしく…

————ネコ耳カチューシャ———




その後、2人はアルドの自宅へ戻り、件の『ネコ耳カチューシャ』を前に苦悩することとなる。

他人の善意をむげにしない性分の2人は、猫マダムに貰ったそれを、『着けない』という選択肢が浮かばなかったのだ。

…というのはタテマエで、ダルニスはホントはちょっとネコ耳やってみたかったのである。




嬉しげにネコ耳を着けて、部屋を出て行ったダルニスだが、顔に引っ掻きキズをこしらえてすぐに戻ってきた。

ダルニスは部屋に入るなり、渋い顔をしながら両手の人差し指でバツ印を作る。


「やっぱりダメだったかー。」


アルドは額に、ペシッと手を置いた。


失敗したにもかかわらず、ダルニスは楽しそうな顔だ。

なかなかカチューシャを外さないところを見ると、どうやらネコ耳を気に入ったらしい。


「よし!アルド、次の作戦を考えるぞ!」



2人はロドリゲス捕獲作戦の新たな策を練る。

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