魔法学者の夫婦

 スターチスはようやくこちらを見回して、顔を赤くしながらスケッチブックをテーブルの上に置く。描かれていたのは、なにやら図みたいなものだけれど、いまいちわからない。ときどき自分の思考を全部絵にする人がいるけど、傍から見たらいったいなんの絵かわからないという奴だ。

 アルメリアは腰に手を当てて怒る。

「もう、巫女様たちが来るって言ったでしょう? アルストロメリアくんから近況報告もらって喜んでいたじゃない!」

「ああ……すみません。申し遅れましたね。アルストロメリアも久しぶり。私はスターチス・リモニウム。魔法学者をしております」

 アルメリアに怒られながら、ようやく揺り椅子から立ち上がる。それに私とクレマチスは顔を見合わせていたら、アルは溜息をつく。

「……スターチスは、一度考察をはじめたら、中断させないとなかなか戻ってこないですから」

「もしかしなくっても、アルも何度か放置されたんですか?」

 私がちらりと聞いてみると、アルは気まずげに顔を逸らしてしまった。スターチスはにこにこと笑いながら、私のほうを見る。

「それでは、手紙でだいたいの事情はお察ししました。巫女様……」

「ええっと、リナリアで、かまいません。リナリア・アルバです」

「それでは。リナリアさん。ここではなかなかお話もできませんから、一旦リビングに出ましょうか」

「あ、はい」

 たしかにスターチスの私室だったら、ふたりくらいだったらともかく、五人も座る場所はなさそう。クレマチスといいスターチスといい、手元に本がないと不安なタイプの人ってどうしてこうも私室を本だらけにしてしまうんだろう……。多分クレマチスも持ってきているであろう私室は本だらけのまんまだろうし。

 私たちはスターチスに案内されながら、リビングについた。アルメリアがせっせとお茶を淹れてくれる。柔らかい花の匂いと果実の匂いの混じり合うお茶を出されたあと、それを飲みながら話がはじまった。

「そうですか……記憶喪失が原因で、象徴の力の使い方を忘れてしまったと……」

「はい、そうなります」

「意識ははっきりしていますし、象徴の力が使えない以外では、生活に不便はないんですね?」

「あ、はい」

 そもそも、忘れたんじゃなくって元々がない。シンポリズムの常識なんて設定資料集に書いてないこと以上のことは全然知らないっていうのが正しいんだからなあ……。

 そんなこと言えるわけもないけれど、リナリアは私をここによこす際に、たしかに「象徴の力を渡す」と言っていたんだから、使えるはずなんだけれど。そもそも使い方なんてわからないんだよなあ……。

 神官長はじめ、私を診断していた神官さんたちも困り果てていた案件なんだけれど、スターチスはどう反応するんだろう。私がじっと見ていると、アルメリアはにこにこと笑っている。

「大丈夫ですよ、うちの主人は何人もの人の象徴の力に触れていますから。アルストロメリアくんの力もきちんと出現させましたしね」

 そういえばそうだった。アルの力を引っ張り出したんだもんな。彼の象徴の力は、ひとりじゃできないものだし。私はじっとスターチスを見ていると、スターチスはゆったりとフルーツティーを飲みつつ笑う。

「そうですね。では象徴の力が元々はなにかというものを、リナリアさんは覚えてらっしゃいますか?」

「え……?」

 いきなり突飛すぎることを言われて、私は思わずアルとクレマチスの顔を見る。アルは目を伏せているものの、クレマチスは既に答えがわかっているみたいだ。この世界の魔法……ってひと言では駄目なんだよなあ。

 私はうんうん唸って考えたのは、『円環のリナリア』のネーミングルールだ。

 リナリアも花の名前からだし、アルの本名のアルストロメリアも、クレマチスも。スターチスとアルメリアだって、元は花の名前だ。

 たしかリナリアの持つ本来の象徴の力【幻想の具現化】って。

「花言葉ですか?」

「正解です」

 スターチスはにこりと笑う。

 そう。フルール王国の人たちは、生まれたときに皆花と一緒に生まれる。持っていた花を誕生花として、それの花言葉を象徴の力として覚えていくはずなのだ。リナリアの花言葉のひとつは「幻想」だったはずだ。

 アルは私を意外そうな顔で目をぱちんと瞬かせ、クレマチスはにこにこと笑っているのを尻目に、スターチスは言葉を続ける。

「シンポリズムは言葉がすべての世界ですが、その辺りは覚えてらっしゃいますか?」

「それは、前にクレマチス……神官見習いの彼です……から教わりました」

「はい、結構です。言葉を磨けば、その力は引き出されるはずです」

「その……言葉を磨くって、具体的には……?」

 あまりにも抽象的なスターチスの言動に、私は頭にハテナマークをいっぱい浮かべると、スターチスはにっこりと笑う。二十代半ばの落ち着いた雰囲気の人が笑うと、それだけで見とれるものだけれど。

 今の私には嫌な予感しかしない。

「三日ほど、神殿ではなく、普通の一般人の生活を送ってみればいいですよ」


****


 巫女装束は目立つからと、アルメリアが貸してくれたのは赤いベストにオレンジ色のワンピース。頭にボンネットを被ってローブを羽織れば、ウィンターベリーに住む一般人と大して変わらないだろう。

「あの、こういう方法で、本当に象徴の力を使えるようになるものなんでしょうか?」

 私が不安げにアルメリアに尋ねると、アルメリアは茶目っ気たっぷりに笑う。アルメリアとスターチスは本当によく似た笑い方をする。おしどり夫婦って、こういうことを言うのかなと今更思う。

「ごめんなさいね。私も一応はスターチスの意図はわかるけれど、巫女様が自力で理解しないと会得は難しいものだから」

「アルもここで見てもらったと言ってましたけど、アルもこの方法で象徴の力をマスターしたんですか?」

「そうねえ、アルストロメリアくんの方法はちょっと違ったかもしれないわね」

 じゃあアルに聞いて、同じ方法でマスターするっていうのはできないんだなあ。でもここで一般人としての生活を送るってなにをすればいいんだろう。私はワンピース姿でアルメリアの部屋を出て行ったら、スターチスから本を借りていたらしいクレマチスが目を大きく見開いた。

「リ、ナリア……様?」

「はい。どこも変なところはないですよね?」

 頭がパステルピンクなものだから、オレンジ色とか赤いベストとかは下手に合わせたら目がちかちかしそうだなと思ったんだけれど。そうでもないみたいだなと私もくるくるさせながらクレマチスに見せる。途端にクレマチスは頬を赤くさせる。

「似合います……」

「ありがとうございます」

 この子も本当に免疫がないなあと、思わず笑う。笑っていたところで、神殿の支部に出かけていたアルが戻ってきた。

「お帰りなさいませ。神殿のほうには」

「しばらく滞在する旨は伝えてきました。リナリア様、その服は」

「ああ……アルメリアから借りました。しばらくは私もここで生活させていただきますから。お手伝い、できることがあるといいんですけど」

 その姿に、アルは一瞬だけ目を綻ばせた気がするけれど、すぐにいつもの生真面目な顔に戻った。

「そうですか」

「それじゃあ、巫女様。お手伝いしてくださいなっ……!」

 そう言いながら、アルメリアは私を引っ張って行った。

 スターチスは象徴の力の研究をしているけれど、アルメリアは別の研究をしているみたいだ。彼女の研究室には、大量の植物が干されていた。彼女は薬草学者だったし、さっきのフルーツティーも彼女の調合だろうなあと納得する。

「この乾燥ハーブを全て、種類ごとにガーゼに入れてください!」

「これ、全部なんですねえ……」

 スターチスの私室は全体的に本の日焼けの匂いとインクの匂いが充満していたのに対して、彼女の研究室は全体的に薬草臭い。床にびっしりと並ぶ薬草に呆気に取られていたら、アルメリアは腰に手を当てた。

「はい、折角久しぶりにアルストロメリアくんも来てくれましたし、巫女様や神官くんも来てくださったのですから、腕によりをかけて料理をしたくても、今日中に薬草の選別を終えてしまわないと、次の研究ができませんからねえ。ですから私にも人手があるのはちょうどいいんですよ」

 そう言って快活に笑うアルメリアに、私も釣られて笑っていた。薬草を屈んで選別してガーゼに詰めるっていうのは、ひとりでやってたら確かに骨が折れそうだ。私とアルメリアは手分けして選別をはじめた。

 アルメリアはあんまりにも元気で快活で、スターチスとも仲がいいのを見ていたら、自然と胸がヒリヒリする。

 こんないい人が奥さんだったら、そりゃすぐに忘れられないし、はい次なんて行く自分に対して罪悪感を感じてしまうはずだ。彼女の明るさがスターチスを絶望に陥れるなんて不幸は、あっていい訳なんてない。

 よくも悪くも、今だったらアルもいるし、クレマチスもいる。スターチスだっている。私の象徴の力が間に合わなくっても、戦力はあるから穢れの襲撃が来ても対処はできるはずだ。

 ……頑張ろう。私がそう思っていたら。鼻の下にハーブを押し付けられる。……くっさ!

「ゲホッゲホッゲホッ……アルメリア!?」

「うふふ、ごめんなさい。巫女様。でも、今眉間の皺がとーっても深く出ていましたよ? 女の子がそんな顔しちゃいけません」

 アルメリアはにっこりと笑った。彼女はスターチスと同い年だから、二十代半ばのはずなのに、そうとは思えないほど少女みたいな笑い顔だ。

「巫女の使命とか、背負わないといけないものはいっぱいあるでしょうが、今は楽しみましょう。笑いましょう」

「ええっと……」

 彼女の言うことは、能天気だと一蹴しようと思えばできる。だって、世界が滅びかけているのは本当だし、巫女の私が力を使えないっていうのも事実だし。でも。

 まだなにも目の前で起こってはいない。それも本当の話だ。

「ありがとうございます」

 自然とその言葉がぽろりと出ても、しょうがないはずだ。

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