商人ギルドとはじめての戦闘

 馬車はガタガタと揺れる。電車も田舎のほうだとがたがた揺れたりすることもあるし、お尻に震動が来ることだってあるけれど、こんなにみちみちと揺れることはなかったんじゃないかな。

 私は「うー……」と唸りながら天井を向いていた。幸い、張ってある布のおかげで直射日光は遮られているから、そこまで暑くはないものの、乗り心地は最悪だ。

「お姉さん大丈夫?」

「飴舐める?」

「大丈夫、大丈夫です……」

 心配したギルドのお子さん方が、蜜を固めただけっていうシンプルな飴を持って来てくれて勧めてくれるけれど、それに私は首を振っていた。

 今、口にものを入れたら吐く気がする。私がぐったりとしていると、隣にクレマチスが心配そうに寄ってくる。

「申し訳ありません、リナリア様。まさか乗り物酔いがそこまでひどいとは思っていませんでした」

「い、いえ……私もそこまで乗り物に弱いとは、はじめて知りましたし……」

 実際こんなに揺られたことなんてない。これって神殿の馬車でもこんな目にあってたのかなと思うと、本当に神殿の馬車に乗らなくって正解だったんじゃと思う。周りは顔見知りだらけな中吐くのは、洒落にならないもの。

 ゲーム中だったら徒歩だった理由って、乗り物酔いがひどいからって理由じゃないよなあと、ぐったりしながらついついと勘ぐってしまう。

 アルはというと、馬車の後ろの方に座って、布張りの外を眺めている。そっちのほうが風通しがいいのかなと思っていたけれど、見ている限りどうも違うみたい。

 私の護衛をしているとき以上に、アルはピリピリした空気を漂わせている。

「あの……アルは、護衛のお仕事中、ですよね?」

 クレマチスに聞いてみると、彼は「はい」と頷いてくれた。

「なんでも、このあたりが盗賊が多いらしくって。馬車の積み荷を持って行ってしまうようなのもいるらしくって」

「なるほど……」

 今はたしか、神殿に近い場所でだったらかろうじて結界の恩恵を受けられるから作物はそれなりに育っているはずだけれど、結界から遠ざかれば遠ざかるほど、作物は育ちにくくなってしまっているはずだ。

 強盗が出てもおかしくないのかもしれない。でも動いている馬車にわざわざやってくる強盗っていうのもわからないんだけどな……。

 そう納得しながら、私は積み荷に少しだけもたれさせてもらいながら、どうにか揺れから来る吐き気に絶えていたところ。

 馬車が急に大きく揺れる。一緒に乗っていたギルドの子たちはびっくりして御者のほうに走って行った。

「お父さん! なに!?」

「ああ、すみません……!!」

 いきなり物々しい雰囲気になってきた。外の様子がわからないでいたら、アルは硬い声を上げる。

「リナリア様は積み荷に隠れていてください。クレマチス、お前もだ」

「……アル様だけで大丈夫ですか!?」

「あの、アル。いったいなにが?」

「当たり屋です」

 車でそういう人がいるのは知ってたけど。馬車で当たり屋って……。

 私はおろおろしながらも、ひとまず布張りから外を覗けそうな場所に身を隠して、そこから外を伺った。

 外には、明らかにいかつい顔をした男が、御者をしていた商人ギルドのおじさん……ここのご家族のお父さんらしい……に詰め寄っていた。その人の様子を見ている限り、明らかに馬車に跳ねられた形跡はない。ギリギリで避けられたんだったら、もうギルドの人たちに文句を言う必要はないはずなのに。

「いったいなあ……人が歩いているのを跳ねるとは。これをギルドの連中に言えば、除名だなあ……?」

「申し訳ありません! 先を急いでいましたので!」

「ギルドに届けを出してほしくなかったら、さっさと積み荷のひとつでも置いていけ……!」

「その必要はないだろう」

 そのままアルが出て行った。まだ大剣は抜いてはいない。明らかに神殿騎士の甲冑をつけているアルに、男はひるむ。

「もし問題があるんだったら、この先にある神殿の支部で話を聞くし、なんならカサブランカに戻ってもいいが、どうする?」

「なっ……神殿騎士様が、こんなギルドの馬車でなんの用で?」

「任務で移動している最中だが。それで、どうする?」

 はあ……私は寡黙だと思っていたアルが、本当にゲーム中だと語られていないだけで、いろんな側面を持っているんだなと、ひたすら感心しながら眺めていた。

 神殿はあちこちの街に支部があるし、神殿騎士は地方にだって送られている。王の直属騎士団は軍人だとしたら、神殿騎士は警察みたいな役割だ。他国と戦争する権限はない代わりに、地元の防衛は神殿騎士の管轄ってスタンスだったと設定資料集に載っていたのを思い出す。

 これでさっさと男が逃げてくれたら話は早かったんだけれど、茂みからガサガサッと音がした。アルが男と話をしている間に、御者のおじさんが「うわあ……!」と悲鳴を上げる。

「お父さん……!」

「馬車に乗ってる奴等はさっさと叩き出せ! 馬車ごと奪うぞ!」

 どうも。最初から馬車を奪うために、強盗が張っていたらしい。勘弁してよ……。私はまたもガッタンと不自然な横揺れをするのに、口を抑える。ここにはエチケット袋はないんだから。乙女ゲームのヒロインは、そもそも吐いたりなんかしません……っ!

 私が必死で吐き気を堪えながら両手で口元を抑えていると。外にいたアルがなにかを投げた。

 ……ああ、そっか。アルは普段こそ鍛錬の際に大剣を使うけど、胸元には何本もナイフを仕込んでいる。人が多い場所では大剣を振るえないから、それで真っ先に馬車を奪おうとする強盗の足を狙った。強盗の野太い悲鳴が上がる。

「なっ……!」

「さっさと立ち去れ。命を取られたくなかったらな」

 強盗が何人も現れたけれど、どの人たちもせいぜい長いナイフを持っているばかりだ。

 アルと真っ向にやり合うのは無理だと判断したのか、心配で様子を見に行った子供たちを人質にしようとするものの、アルはまたもナイフを投げて、痛みでひるんだ隙に投げて馬車から突き落としてしまった。その鮮やかさは、目を見張っている暇もない。

 馬車からあらかた強盗を叩き落としたら、そのまま御者さんに短くひと言言う。

「今すぐ馬車を。あれはウィンターベリーの支部に通報しておきます」

「わ、かりました……!」

 おお……。クレマチスは「出番はなかったですね……」と小さくつぶやくのを聞きながら、あの千切っては投げるアルの凄まじさに、しばらく呆気に取られて眺めていた。

 うん、スチルでは戦闘が苦手な人が担当していたせいで、アルの戦闘描写はスチルにはほとんどされていなかった。象徴の力が派手な攻撃魔法の人だったら美麗に描かれていたんだけど、アルはほとんど物理一本だから、どうしても戦闘が上手い人が描かないと画面に映えない。だから、こんなに間近でアルの戦っているのを見られるとは思っていなかった。

「すごいですね……」

「リナリア様、そればっかりですよね」

「そ、そんなことは、ありませんけど……」

 慌てて否定しようとしたとき、ふいに生臭いにおいが鼻に刺さる。首筋が、ちょっとだけ痛い。

「ああ……なんでよりによって神殿騎士がギルドと一緒にいるんだ……!」

 クレマチスが顔を青褪めさせる。私の腕が乱暴に掴まれ、そのまま見知らぬ男に羽交い絞めにされる。まだひとり、馬車の中に紛れ込んでいたのだ。

「おい、下手な真似するなよ。したらこの女がどうなると思っている!?」

「リナリア様……!」

 ……痛いと思ったら、首筋にギザギザのナイフが押し当てられていたのだ。いったい、引っ掻いてる、これ……!

 リナリアだったら、ここでもうちょっと説得するようなことを言うのかもしれないけれど、今の私からは語彙が吹き飛んでしまっていて、この場にふさわしい言葉が思いつかない。

 足手まといになりたくなくってウィンターベリーに行こうとしてるのに、よりによって人質なんてお荷物同然なことになってどうするの……!

 どうにかしようにも、ナイフを首筋に押し当てられているし、私だって未だに象徴の力は使えない。せめて足だけでも踏んづけてやりたいけど、羽交い絞めのまま前方に引っ立てられていく。

「おい、この女が惜しかったら、今すぐに馬車から降りろ」

「……リナリア様!」

 アルが眉をひそめて、私の首筋を見る。私はギリッと歯を食いしばる。首は痛いし、御者さんも子供たちも脅えているし、ほんっとうに情けない。

 力が欲しい……でもどうやって使っていいのかが、わからない。

 私はぎゅっと拳を握りしめている中。

 ポォーンポォーンと光の玉が光りはじめた。それは滑らかに動き、私の回りを回りはじめる。

 男は驚いた顔をして固まっていると、奥で物差しサイズに短い杖をかまえているクレマチスと目が合った。

「『……神は試練を与えた。一に山を、二に海を、三、四には谷を越えて等しく試練を……』」

「な……ガキが……」

 早口過ぎて、全部は聞き取れないけど、これってたしか聖書に書かれている原文。これって……。

 クレマチスが普段聖書を持ち歩いているのは、別に天才キャラのキャラづくりじゃない。これはれっきとした彼の武器だからだ。早口の詠唱は、括りの言葉で終わり、光が集結した。私はとっさに目を瞑る。光の玉が、男を襲った。

審判ジャッジメント!!」

 私を避けて、男に光が直撃した。

 ああ、そっか……クレマチスの象徴の力は「策略さくりゃく」。

 呪文詠唱が長くなるのが欠点だけれど、聖書に書かれている文面を読むことで、全体攻撃を仕掛けることができるんだ。聖書の原文を正しく理解してないと無理なんだけど、それはあの子の象徴の力と勉強熱心なのが幸いして、苦じゃないみたい。

 光をぶつけられて、ピクピクしている男に、アルは子供たちに短く「縄を」と言う。子供たちは心得たように、彼をふん縛って端っこに転がしておくことにした。これでウィンターベリーに着いたら早々この男を引き渡して、強盗の件を通報することになるんだろう。

 緊張がとけた途端に、じくじくと首が痛くなり、私はしゃがみ込んだ。

「痛い……ふたりとも、本当にありがとうございました……痛い……」

 肉抉ってくるなんて、ひっどい……! 私が顔を引きつらせていると、アルが黙って荷物から消毒液と包帯を取り出すと、消毒液を塗りたくって、そのまま包帯で留め始めた。その動きは無骨ながらも手馴れている。

「……本当に、ご無事でなによりです」

「……ありがとうございます。すみません。捕まってしまって」

「いえ、取り逃がした自分のミスです」

 アルは包帯をしゅっと留めると、じっと私を見ていた。その色は相変わらず私にはわからない。

 ただ、今のでわかったことはある。お荷物はやっぱり嫌だ。ちゃんと自分の身を守る術くらいマスターしたい。

「ウィンターベリーまで、まだ時間はかかりますね」

 そうぽつりと漏らしていた。

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