外出準備と神官見習いの事情
あの聖書改竄事件は、神官長と神殿騎士の一部にのみ知らされ、極秘調査はされたものの、たいした成果は得られなかった。
私と同じくリナリアの象徴の力だったら可能じゃないかという意見は出たものの、私はそもそも象徴の力の使い方がわからないから学者に会いに行く話が出たわけだし、アルと同じく「理論ではできてもそんなありえないくらいの力は既に象徴の力の範囲を越えている」という指摘のおかげで却下され、疑いは晴れてくれた。
もしかするとウィンターベリーに出る話は先延ばしにされるんじゃとひやひやしたものの、クレマチスが提出してくれた外出許可は無事通過し、どうにか出ることになった次第だ。
そんなわけで、私もしばらくの旅に出る準備をしているのだ。
着替えに、洗面用具、タオル。でも荷物ってどうすればいいんだろうと思う。残念ながらゲームだったらコマンド画面に収納されて手ぶらだけれど、実際は荷物は持ち歩かなければいけないわけで。最低限にしたくても、リナリアの着ているような巫女装束は思っている以上にかさばって、替えは二枚しか入ってないにもかかわらず、既に荷物はパンパンなのだ。
どうにか革鞄に詰めてみるものの、パンパンでみっともなくって、踏んで縮めようとしても、押して無理矢理押し込んでみても、そのみっともなさは拭えない。
どうしてくれよう。私は思わず溜息をついたとき。
「リナリア様。準備はできましたか?」
アルの声だ。当然ながら、護衛だから彼も同行してくれるわけだけれど。彼の声で振り返ってしまい、無理矢理紐でくくろうとした荷物が、そのまま力が抜けて飛び出てしまう。って、折角頑張って入れたのに……!
「ごめんなさい、荷造りが、終わらなくって……!」
鞄の上に乗って押し込めようとしても、やっぱりぴょんっと服は出てしまう。
私が悲鳴を上げ続けるのに聞きかねたのか「失礼します」と言ってそのままアルが入ってきた。アルはいつもの鎧に背中に大剣、そしてわずかばかりの荷物を肩にかけている。
私が床に荷物を転がしているのに、アルは憮然とした顔をするのに私は顔に熱を持たせる。
「ごめんなさい……荷造りが……」
「……もしかしなくても、象徴の力をお忘れなのと一緒に、荷造り方法も忘れましたか?」
「はい?」
「貸してください」
アルは私の鞄から中身を黙って出す。下着はさすがに私が悲鳴を上げて自分で出したものの、他は全部床に置いておく。アルは鞄が空っぽになったのを確認してから、私に告げる。
「よく見ておいてください」
「はい……」
私の間の抜けた声を流しつつ、アルは鞄についている石に触れた。途端にその石は光り、部屋全体を光らせた。って、ええ……?
見ていたら部屋にあったもの……それこそベッドもタンスも姿見も、全て消えてしまった。いや、ちがう。鞄に【収納】されてしまったのだ。私は鞄を思わず持つものの、それは鞄本来の重さと大して変わらない。
「あの、どうやったんでしょうか……!?」
「我々が神殿から配布されている石は、物を収める象徴の力が込められています。これで荷物を収納しているんです。ここに空間も収納されていますから、そこで寝泊まりできるはずです」
「そうなってたんですね……便利です」
象徴の力、本当に万能だな。いや違うか。象徴の力の運用方法を神殿は心得ているから万能に感じるんだ。私は感心して鞄をぽんぽんと触っていると、アルは困ったように溜息をつく。
「それで、リナリア様の準備も済んだでしょう? そろそろ行きましょう」
「はい、お願いします」
私はぺこりと頭を下げた。
本来だったら、神官長は神殿騎士に巫女であるリナリアを護衛させて、騎士団の馬車を使ってウィンターベリーに送りたかったみたいだけれど、それに反対したのはクレマチスだった。
ひとつは他の騎士団だったらともかく、神殿護衛が任務の神殿騎士が騎士団単位で地方都市になんか出向いたら、なにかあったんじゃといらない不安を呼びかねないということ。ひとつは騎士団の出向のせいで巫女の記憶喪失が公になってしまったら、人は不安になるし、穢れの侵攻が進む恐れがあるということ。
元々神殿を出たら神聖都市カサブランカだ。そこはフルール王国各地から信者さんが来ている訳だから、神殿騎士の出動や巫女の記憶喪失はあっという間に広がってしまうとクレマチスが指摘したんだ。
そういう訳で、必要最低限の同行者でお忍びの旅にするべきだと言い、今回の同行者はアルとクレマチスだけとなった次第だ。
私は鞄を肩にかけると、そのままアルとクレマチスと一緒に歩きはじめる。クレマチスはいつもの神官服の上に外套を羽織っている。荷物は小さな肩掛け鞄に収めているみたいだ。
真っ白な神殿を出たら、すぐに神殿を守る森に出る。サクサクと葉っぱを踏む音を楽しみつつ、私はクレマチスに頭を下げる。
「まさかあなたまでついてきてくれるとは思っていませんでした……」
「いえ、リナリア様が困ってらっしゃるならなんとかしたいと思いますし。神官でしたらなかなか神殿を離れるわけにもいかないですから。リナリア様だけでも外出許可を取るの、ものすごく大変だったんですから」
「ふふ……」
まさか外出許可を取るのが大変だからって理由で、攻略対象のひとりであるクレマチスが神官見習いってジョブだとは知りたくなかった。
そのまま森に入って歩くけれど、やっぱりこの辺りは結界の影響だろう。穢れが現れることはなかった。そよぐ風と木漏れ日が綺麗で、思わず溜息をつきそうになるけれど、長いこと歩いていたら、同じ景色ばかりで飽きてきた。むぅー……。
ここは本当はなにか話をしたほうがいいとは思うんだけれど、私が記憶喪失って設定のせいで、なかなか話題が思いつかない。
アルも相当リナリアと関係性が深いけれど、本当だったらクレマチスもなんだよね。あの子がちっとも触れないのは、多分アルの目があるからだろう。アルは役割上交替している間しか私から離れないし。でもアルに対しても私がとやかく言ってないのにクレマチスにだけ触れるのもなあ……。
私が話題について考えている内に。小鳥がチチチと鳴いてクレマチスの手に留まったのに、私は「あっ」と言う。
「すごいですね、普段ちっとも寄ってきませんのに」
「いえ……ぼくは昔から動物に好かれますから。でもそれはリナリア様もでしょう?」
「え……私も、ですか?」
それに私はキョトンとする。でもそういえばリナリアも普通にゲーム内でも小鳥と戯れていたような気がする。私だと全然小鳥は寄ってこないけど、小鳥も中身がちがうっていうの気付いてるのかな。
私がそう考えていると、クレマチスはくすりと笑う。
普段から頭はよくってもいまいち自信なさげにしゃべったり、困り顔が似合ったりしてしまう子だ。
「はい、城にいたとき、いつも小鳥とだけしゃべっていましたから、リナリア様は」
それに思わず私は目を見開いた。
アルはなんの表情も浮かべないのは、その場限りの話にするためになにも口出しする気がないからだろう。
そうだよね、本当は。リナリアとクレマチスって、従姉弟同士なんだもの。
たしか今の王様が、クレマチスのお父さん。
先代の王が亡くなったとき、リナリアはまだ七歳だったから、王の弟だったクレマチスのお父さんが代を継いだ。話し合いの結果、今の神殿の巫女に王族がひとりもいないこと、穢れの侵攻の関係でいずれ巫女が世界浄化の旅に出ないといけないことで、リナリアは神殿に入れられた。クレマチスの場合は王様の愛妾の子で、王妃様に子供ができた関係で後継者争いで揉めないようにって処置で神殿に入れられたんだった。
右も左もわからない知らない場所に放り込まれて、そこによく知っている従姉がいたら、そりゃ頼りにするよね。ふたりの関係はそういうことだ。
私はどう答えたものか、と考えつつ口を開く。
「そうだったんですね、私……」
「ごめんなさい。リナリア様を困らせたかったわけじゃないんです。ただ、今のリナリア様も素敵だと思うんです」
「……ええ?」
意外な言葉に、私はパチン。と瞬きをしてしまった。ポーカーフェイスをしていたアルもまた、興味ありげにクレマチスの方に視線を送る。
「ええ、知らないことを必死で学ぼうとする姿が。ぼくの知っているリナリア様は、なんでも知っているという達観した姿でしたから」
なるほど……。それには私はなにも答えることができなかった。
私にしてみれば右も左もわからないことであっても、リナリアはちがう。私はゲームを通してシンポリズムのことを上辺だけは知っていても、実際にここで生活しはじめたのなんて一週間も経ってない。
でもリナリアは。実体験を何十回も繰り返していた。その途方もなさは、私は想像しかできないけれど。
アルが前に言っていた「いつも遠い目をしていた」っていうのも、そこに繋がるのかな。
そう思いながら歩いていた矢先、さっきまで葉っぱを踏んでいたっていうのに、道が舗装されはじめたことに気が付いた。石畳はつるつるしていて、神殿とはまたちがう重厚さを感じる。
「わ……」
足音もカツンカツンと鳴って、妙に落ち着かない。神殿は部分部分が床が木だったからかもしれない。
「ああ。森を抜けられたみたいですね。ここからでしたら、歩いて五日で辿り着くと思いますよ。カサブランカに」
「五日もかかるんですね……」
「……申し訳ありません、馬車を使った場合早くは着きますが……」
「いえ。わかりますよ。皆さんが不安になってしまうおそれがあるからでしょう?」
「申し訳ありません」
「クレマチスは当然のことを言っただけでしょう?」
忍びなくって背中を丸めてしまうクレマチスの手をとんっと取って私は笑った。今のところは、歩くのが無駄に長いってだけで、結界の中だから、カサブランカまでは安全なはずだ。
ウィンターベリーに向かうとなったらそうも言ってられないんだから……大丈夫。私は自分にそう言い聞かせながら、慣れない石畳にまた一歩踏み出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます