第44話 気持ち一つ


「鹿島さんのご家族の方はいらっしゃいますか?」




久我が立ち去ってからずっと同じ姿勢で同じ場所に座っていた撫川が、その呼びかけにはっと顔を上げた。

ICUの扉が開き、看護師が撫川を呼んでいた。

まさかと思い、撫川は心臓が竦む思いで立ち上がった。

そう、もしものことがあれば今は撫川が鹿島の家族になるのだ。


「鹿島さん、いま少し目を覚まされてます。あなたは蛍さんですか?」

「はい。そうです!あのっ、周吾さん…、周吾さん、気が付いたんですか?!」


撫川の緊張した気持ちがふっと緩んだが、帰ってきた看護師の言葉や反応からは、決して楽観視できるような感じでは無かった。


「回復した訳ではないんです。相変わらず重篤な状態なんですが、貴方を呼んでらっしゃるの」


撫川は手洗いをすると、渡されたガウンや帽子、スリッパを身につけて、生命維持装置や点滴。様々な医療機器に繋がれている鹿島の傍に佇んだ。

初めてそんな鹿島の痛々しい姿を目の当たりにするだけで、撫川の心は今にも張り裂けそうだった。

人工呼吸器で処置をされているにも拘らず鹿島の息は荒く、頑丈そうに見える厚い胸板が忙しく上下を繰り返す。

そこには緊急手術を受けた痕も生々しい白いガーゼが、その腹に幾重にも巻かれ、撫川の目は涙で滲んで鹿島の顔が見られない。


「周吾さん、僕だよ…っ、ごめんなさい、心配かけて、、僕は、僕は…っ、」


虚ろに宙を漂う鹿島の瞳。持ち上がらない腕が何かを探すように微かにもがいている。パルスオキシメーターに繋がれたその手を、撫川が思わず両手で握りしめた。

鹿島の弱々しい掠れ声が、何か言っている。撫川は鹿島の口元に耳を寄せた。


「泣くなバカ…。………あの男は…、お前に…惚れてるぞ、…幸せに…なれ…蛍…そうじゃなきゃ……俺が…、おれが……浮かばれん……」

「うん…、うん…!分かったよ…!もう喋らないで良いから…っ」


切れ切れの言葉は、ちゃんと撫川だと理解して発しているようだった。

撫川はこれまでも泣き尽くしている筈なのに、枯渇を知らない涙がしとどにその頬を濡らしていた。

撫川は自分の命の灯火を分け与えるように、鹿島のその手を力一杯握りしめていた。

だが鹿島の意識は再び彼方へと遠のいて行った。

直ぐに立ち去れずに十分程その場に居たが、看護師に促されてようやく撫川はICUの外に出た。

憔悴しきった顔を上げるとさっきのソファに腕組みをした久我が俯いて座っているのが見えた。戻って来たのだ。

撫川は久我の元に小走りになりながら、「周吾さんが少しだけ目を…」と言いかけてその言葉を飲み込んだ。

それは久我が眠っているように見えたからだ。

撫川は起こさぬようにそっと久我の隣に座ると、久我の身体がズルズルと撫川の肩に凭れ、そのまま更にゆっくりと頭は撫川の太腿に着地した。撫川は驚きながらもそんな久我を受け止めた。

今日一日で久我とて疲労困憊なのだ。

鳳の足跡を訪ね歩いたり後藤に引き倒されたり、挙句には廃工場で緊張を強いられ、そしてようやく撫川の膝枕でひと時の戦士の休息を得ているのだ。

撫川はじっとその寝顔に見入り微かに囁いた。


「…お前に惚れてるって……。あの男って、久我さんの事だね」


ちゃんと愛し合いたいと思う男なのに、こうして久我の顔をこんなにじっくり見た事がなかった気がする。

意外と長いまつ毛や整ってキリリとした眉。精悍で男らしい面立ち。サラリとした黒髪。見れば見るほど愛おしい。

鹿島に対する気持ちと久我に対する気持ちは似ているように思えて全く違う感情だった。久我を見つめる時、恋をしている自分をしっかりと自覚する。


「……幸せになれって言うんだ。そうじゃなきゃ浮かばれないって……。良いのかな…、僕はこのまま貴方を好きでいて良いのかな…」


離れようかと言ったのはついさっきの事なのに、心は短い間に大きく左右に振れていた。

撫川はかがみ込んで久我のこめかみにそっと口付けた。

分かっているのはただ一つ。


「愛してる」


撫川も久我と同じくらい疲労していた。膝枕の久我の肩に額を預け、いつしか二人、折り重なる様に眠っていた。


遠くで誰かの声がする。



「すみませんが、毛布を貸して頂けませんか」


ふわりとした暖かさが二人の身体を包むのを感じた。


ーーー誰?


……だれ…?


……………。




次に撫川が目覚めた時、そこに久我の姿は無かった。また戦場に戻って行ったのだろうか。

今はいったい何時だろう。病院というのはつくづく時間が分からない。

それにしても、あの声…あれは誰だったんだろう。久我とは違う声だった。


ーー夢?


けれども撫川の身体を包む毛布が夢で無い事を示していた。

久我の居なくなった場所に、メモ書きと一緒に携帯電話置かれてあった。



撫川へ

必ず犯人を捕まえて君の所に帰るから心配せずに待ってて欲しい。取り敢えず警察の備品だが携帯を置いて行く。オレの番号は入れてあるので何かあれば迷わず連絡をくれ。

それから君が言った事、オレも真剣に考えてみる。   久我



撫川の胸がズキンと傷んだ。

自分の優柔不断が、生真面目な久我を振り回していると思うと申し訳ない気持ちになるのだった。


ICUの中を覗くと、相変わらず鹿島は横たわっている。このまま長くなるのなら、一度家に帰って必要な物を揃えたい。

そう思いながら借りていた毛布を畳んでいると「撫川さんですね」と女性の声がして撫川は振り返った。

きちんとしたスーツを身に纏う女性がキビキビした様子で話しかけて来る。


「久我に貴方の警護を頼まれました。警備部の澤村と言います」


女性は軽く会釈した。


「…警護?僕にですか?」


撫川は少し驚いた。

この前までは'見張り'だったのに。漸く容疑者枠から外されたと言う事なのだろうか。


「まだ犯人が逃走中なので、念のために。この病院の近くに警察のシェルターがあるので、暫くはそこに身を寄せてはどうかと言う事ですが…」

「シェルター?」

「DVやストーカーから身を隠す一時的な避難施設があるんです」

「そこに行くにしても行かないにしても、一度家に戻りたいのですが…」

「分かりました。では私が同行致しますので」


通りがかった看護師を捕まえて、鹿島に何かあれば携帯に連絡が入るように頼み、ガラス越しの鹿島を心配そうに見ながら撫川達は病院の外に出た。

眩しい太陽は十時くらいの傾き加減だろうか。吸い込む新鮮な空気が鬱屈した気持ちを少しだけ洗うような気がした。



「おい!来たぞ!」


撫川が外に出た途端、厳つい男達がバタバタと走って来て撫川を取り囲む。澤村が瞬時に撫川を庇うように立ち塞がった。


「何ですか!あなた達は!下がりなさい!」



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