第41話 鹿島の愛と撫川の呵責

今夜の警察病院には、刺青殺人事件絡みの急患が三人搬送された。

一人は神経毒の中毒で倒れ、一人は同じく神経毒に加えて腹部を刺されて重篤だった。

そして最後には久我の同僚の松野が、逃げる犯人の仕掛けた爆弾の餌食になって、命に別条は無いもの、右腕に二度の熱傷を負ったのだった。

結局は何も役に立たずに同僚を負傷させたと思っている久我と、鹿島の愛情に対して、余りにも薄情だった自分を責める撫川と、酷く憔悴しきった二人がICUの待合の椅子で顔色無く項垂れていた。

二人共、どちらかがどちらかを庇えるような精神状態には無かった。

ガラス張りの部屋の中で、生命維持装置や様々な機器に繋がれた鹿島を見つめる撫川の目からは幾重にも涙が頬を伝うばかりだ。


「周吾さんは何があっても大丈夫だって、何処かで僕はタカを括っていた気がする…。まさかこんな日が来るなんて思いもしなかった…」


拭っても拭ってもその頬が乾く事はなく、久我はそんな撫川に大丈夫だよの言葉一つ、かけることも出来ずにいた。それが気休めでしか無い事は二人とも良く分かっていたからだ。


「…鹿島さんとは、鳳の工房で知り合ったのか?」


立ち入った事を聞くようで、久我は鹿島との詳しい経緯を撫川に聞いてこなかった。

いや、きちんと聞けなかったのだ。それは鹿島との密接さが露わになるのが怖かったからなのかもしれない。


「そうだよ。僕も悠さんの所に身を寄せたばっかりの頃だった。まだ周吾さんがただの若衆だった頃で、刺青の施術に来るたびに僕達に美味しい物とか持って来てくれて、その頃もヤクザなのに優しい人だなって思ってた」

「それがどうして…情夫だなんて呼ばれる事に…なったんだ?」


久我は言い憎そうにしながら撫川に尋ねた。

撫川は一層、表情に翳りがさし、噛み締めていた唇から漸く重そうに言葉を紡いだ。


「悠さんが死んだ日。偶然にその自殺現場に周吾さんが訪ねて来たんだ。刺青入れ終わってからもう何年も経っているのに本当に偶然に…。そこで茫然自失になっていた僕に付き添ってくれて、事後処理をしてくれたり、身許引受人になってくれたり、衣食住の心配をしてくれたり花屋のアルバイトも紹介してくれたり、親戚でも無いのに親身に面倒見てくれた。もし、あの時周吾さんが居てくれなかったら今こうして僕は生きては居なかったと思う。遺品の中からDNAの鑑定書が見つかって初めて本当の兄弟だと知った時、もしかしたら兄は僕の告白に悩んだ挙句に自殺したのじゃ無いかと…苦しくて寂しくて…何度も自殺未遂をやらかして…その度に周吾さんがこっち側に連れ戻してくれた。

人肌で、お前はちゃんと生きてるだろう?身体は生きたいって言ってるだろう?って、何度も何度も僕に教えてくれた。

きっと言葉だけなんかじゃ僕は戻ってこられなかったと思う。

そんな関係…、みんな僕の事を周吾さんの情夫だって思うよね。

でもね、身体を重ねてる時だけ本当に生きてる感じがしたんだよ。彼は大人で束縛もしたりしなかったから、僕は彼にとってそんなに大した存在じゃないと勝手に思い込んでた…。挙句、久我さんに夢中になって、周吾さんが見えなくなってた。

酷いよね、こんなに世話になっておきながら…僕は、貴方にうつつを抜かして周吾さんを蔑ろにしてた…っ」


撫川は顔を手で覆い、押し寄せて来る後悔の念に打ちひしがれながら、久我に長い告白を吐露したのだ。

そんな撫川に自分は何を言ってやれるだろう。自分にも原因の一端はある。

それにも増して撫川と鹿島の関係は「ヤクザと情夫」の一言では済まされない深い結びつきがあったのだ。

そんな鹿島は今や生死の境に立たされながら、今その部屋の中に横たわっている。

二人して舞い上がっていた結果が今なのだ。

本当なら、今頃自分は撫川を抱いていた筈だ。

だが、もうそんな事は考えるべくも無い。二人、こんな気持ちのままで愛し合うなんて事は出来そうも無い。

そんな生真面目な二人だった。

多分、この時の二人の気持ちは同じだっただろう。




「ーー…僕達、……少し離れた方が良いのかな…」



ぽつりと撫川の零した言葉に一瞬、久我の時間が止まった。

漂う空気さえ凍りついたような気さえした。


「…ダメだ!」

「でも、僕…」

「ダメだ、撫川!」


だが、今の撫川の気持ちも久我には分かる。分かるが到底同意は出来ない。どうしてもそれは譲れない。

「オレは」と言いかけた時、瀬尾の声がした。


「久我、ちょっと来い」


顔を上げた先には瀬尾が立っていた。このタイミングで席を立ちたくは無かったが瀬尾に呼ばれれば、久我は行くより他はない。


「この話はまた後で」


そう言い置くと、たっぷりと撫川に心を残しながら久我は瀬尾の後を追った。

振り返る撫川は久我を見る事なく手で覆った顔を俯かせて肩を震わせていた。





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