第20話 痛み

楠木養護園に戻ると、久我は恐縮する田村達に大きな花束を手渡し、話を聞かせて貰った礼を言って玄関を出た。

久我が車に乗ろうとすると後を追いかけて来た田村に引き止められて小さなメモを差し出された。


「あの、これ。ここを出た当初の鳳悠也くんの住所です。今もここにいるかどうか分かりませんが。もし、彼に会えたら宜しくと伝えて下さい。

それからホタルちゃんが通っていた小学校と中学校。訪ねれば何か教えてくれるかもしれません」


久我は重ね重ね礼を言うと、新しい情報を手に楠木養護園を後にした。


日もとっぷり暮れた暗く細い田舎道を久我は走りながら、ヘッドライトの照らす先を見つめていた。


次に繋がった。

撫川を辿る手がかりが。

この道を進むしか無い。


でも、この罪悪感はなんだ?

このまま突き進んでもいいのか?

見てはいけないものがこの先にあるんじゃ無いのか?

知ってはいけないものが横たわっているんじゃ無いのか?

人の人生をほじくり返す刑事の仕事って一体なんだ?


突然、夜道に小動物の光る目が車の前方を横切った。


「危ない!」


久我は咄嗟に急ブレーキを踏んでハンドルにしがみついていた。


見知らぬ景色の見知らぬ夜道。

夜のしじまに漂う静けさ。

初めて走るこの道に迷いそうな心がそこにはあった。





「お前よぉ、好きな奴とかおらんのか。いい加減ちゃんと誰かに抱いてもらえ」

薄暗いシティホテルの一室、磨かれた大きな窓にはベッドのクッションに見事な刺青の背をもたれさせた鹿島周吾が煙草をふかしている姿が写っている。

その傍らで、ぐったりとうつ伏せになった白いシャツがもそもそと寝返りを打った。

くしゅくしゅと鹿島のごつい手がウェーブのかかったミルクティーベージュの髪を弄ぶ。


「…なんだよ、今日に限ってそんな事言うなんて貴方らしくも無い。それにちゃんとって何。僕、ちゃんと抱いてもらってる。でしょ?」


情事の後の気怠げな様子で、撫川はうつ伏せた顔を鹿島へともたげた。


「ちゃんとってのはな、ちゃんと裸で抱き合って、全部を曝け出して愛して合うって事だ。お前みたいにきっちりシャツを着込んだままでしかセックス出来ないなんてのはな、ちゃんととは言わねえ」

「ヤクザのくせにロマンチストだよね周吾さんは。僕の事面倒くさくなったんならそう言えばいいのに」


緩慢にベッドから身を起こすと、撫川は鹿島の唇から煙草を奪って口付けた。すぐにピースと分かる独特なフレーバーが苦く甘く口の中に広がった。


「何をそんなに苛ついてるのか知らねえが、いい加減俺を吐け口にすんじゃねえよ、蛍」


その一言が撫川の癇に障った。眉を顰めてヤクザの鹿島相手に強気な言葉を言い放つ。


「もうイイ。急に呼び出して悪かったよ!もう抱いてくれなんて言わないから」


鹿島の唇に再び煙草を差し戻し、裸にシャツを羽織っている撫川はベッドから抜け出した。

その肩肘を張ったようなかたくな後ろ姿へと鹿島が声を荒げた。


「もういい加減に自分を可愛がってやれや!いつまで鳳の呪縛にひっ絡まってる気だ!」


その言葉が撫川の背中に突き刺さる。脱衣所の床に脱いだシャツを叩きつけ、頭から熱いシャワーを浴びては見たが、己の中でくすぶる苛立ちを紛らわせてはくれなかった。

この苛立ちはどこから来るのかわからない。それがまた苛立ちを募らせた。

自分の身体を両腕が抱く。

丸めた背を打つシャワーの雨が、まるで燃えるようにその背中をさいなめた。




昨夜、久我は同じホテルの同じ部屋に泊まった。

撫川の衝撃的な生い立ちを知り、兄かも知れない少年の存在を知った。

自分と同じ名前の十歳足らずの少年が、弟を目の前にして兄弟と名乗ってはいけないなどと言う不条理を、どう胸に収めたのかと思うと、久我はまんじりとも出来ないまま朝を迎えていた。

そもそも本当に二人は兄弟だったんだろうか。

もしそうなら、撫川はそれを知っていたんだろうか。

兄は十八で擁護施設を出なければならず、弟は時を同じくして撫川夫妻に引き取られ、その後再び二人が会う事は出来たのだろうか。

様々な事を思いながら、久我は引き取られた撫川が通っていたと言う小学校を訪れていた。

田舎にしては、立派な校舎を持つ小学校だ。修学児童も多そうに見えた。

久我は警察手帳の威力を借りてすんなりと職員室に通された。

幸いにも、当時教頭をしていた人物がまだ在籍しており、現在は校長になっていた。

今は授業の真っ最中で、どの廊下にも子供の影は無く、時折教室から聞こえる先生の声だけが、ピカピカに磨かれた廊下へと漏れ聞こえて来るだけだ。

そこで久我はまたしても撫川の孤独に出会うこととなった。

校長が言うには、撫川は入学した当初は明るい普通の子供だったらしいが、ある時を境に心ない苛めを受けることになったのだと言う。

それは、参観日に来る両親が、周りの父兄よりも年老いていた事が原因だった。

そこから撫川が養子である事が分かると、子供の残酷さでそれを虐めのネタにされていたようだった。


「あまり喋らない子供で、良くあの橋の上で一人でぼんやりしている姿を見かけました」


久我が指された窓の外に視線を馳せると、長閑な風景の中を真っ直ぐに突っ切る通学路に小さい橋がかかっているのが見えた。

一通り校長の話を聞き終えて帰る道々、久我は実際にその橋を歩いてみた。

周りは畑ばかりが広がる寂寞とした風景だった。遠くに走る高速道路がまるでジオラマのように思える。

こんな所で撫川は何を見ていたのだろうか。養護施設の時とは違い、たった一人、慣れない家と両親と、来れば虐められる学校と。何処かに撫川を救う何かはあったのだろうか。

そう考えると、まるで自分のことのように胸が苦しくなっていた。

遠い目をした撫川の横顔が不意をついて脳裏に浮かんだ。


夕暮れの紫色の空に、太陽の残り火を宿した茜色の雲が東西に長く伸びていた。

高層ビルとは無縁の広い空の下、パーキングエリアの駐車場で、久しぶりに久我はタバコをふかした。

撫川の声が無性に聞きたくなって携帯を取り出してもかけるべき番号を知らない。

今すぐに声が聞きたい。

今すぐにあの明るい花屋の店先をくぐってその顔が見たい。

過去の撫川をこんなに知ったのに、ここには今の君が居ない。






















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