【カクヨム版】 【 「それいけ!でこぼこトラベラーズ」⠀】
櫛木 亮
プロローグ 第1話 ピーナッツの薄皮は綺麗な赤茶色
――それは、たった約二分の詩のように始まったんだ。
誰もそんなこと思いもしなかったんだ。
そういうものなんだ、きっかけなんて。
青い空。果てしなく高い空。そして、白い雲。掴めそうなのにそれは、実はただの蒸気。夢もクソもない。結局は現実はそんなもの。
季節は夏。蒸し蒸しのクソ暑い夏。深呼吸をするのも息苦しい暑苦しい夏。ウンウンとため息を吐くようにうるさいだけのエアコンも上手にコントロール出来やしない。なんてったって三十六度の超真夏日。アホかってくらいに、のぼせそうな夏なのだ。
「ペグ、今日もお前はなんかダルそうに欠伸してんのね〜」
そう声をかけてきたのは、高校の同級生。アダ名はシャムだ。あ、俺のアダ名は「ペグ」どうしてこのアダ名がついたのかは、よく覚えていない。気がつけば周りからそう呼ばれていた。それに、俺はさしてアダ名なんて興味なかったし、たいして気にもしてなかった。
「今日テツさんは? まだ?」
釣られるような欠伸をしてシャムがテーブルの上の殻付きのピーナッツに手を伸ばし、緩みきった笑みを浮かべて俺を見た。
「へ? テツさん今日来るの?」
俺は新聞紙でくずかごを作り、シャムの手前に置いて自分のお茶とシャムのお茶を用意する。
そうだ、頂き物のおせんべいがあったな。そう思い、戸棚の奥のアルミ缶を手に取り、ポットのお湯を急須に入れようと思ったが、運悪くお湯切れのマークが赤く点滅していた。
「シャム、ちょっと店番してて。俺ポットの水入れてくるわ」
「ああ。このくそ暑いのに熱いお茶とか、拷問する気? そういうのは、お気遣いなく〜 って、ペグ、聞いてねえし、居ねえし」
そう言いつつも、シャムは嬉しそうにピーナッツの皮をむき、ふたつあるのうちのひとつの房を口に入れた。香ばしく、どこかほのかに甘いピーナッツの香りが店中に広がっていく。シャムは店番をするために、きちんと外が見える側に座りなおした。
「うちの商店街は今日も平和ね〜 それにいい天気だこと。幸せも汗も止まりゃしないわ〜 」
このやわやわとした男は、土屋 史朗。今年で三十五歳。昨年めでたく結婚をした幸せ者だ。ちなみに、シャムにはもったいないくらいの素敵な相手でした。嗚呼、結婚いいな〜。子供が出来たら自転車の練習とか、俺、頑張っちゃうのにな。まあ、なんかまじで、夢だな。
「シャム、珈琲でよかったっけ?」
マグカップを手前に置くとシャムは自転車のカタログを読んでいる手を止めた。
「熱々の緑茶じゃなくて一安心よ? それから、普通の冷蔵庫でキンキンに冷えたお茶で良かったのに。でも、まあ、死ぬほど暑い夏にガンガンに熱い珈琲もオツですわな」
シャムのこういうところ。俺がシャムとずっと一緒に居れる所以だ。俺が困れば、誰よりも先に飛んでくる。助けを呼んでもないのに、飛んでくる。俺のヒーロー。なんかひとつがいつもぬけてるポンコツヒーロー。それでもいい。それだからいいんだ。安心する。
ここまでの気温だ。さすがに商店街には、人っ子ひとり居ない。疎らな人影は、かげおくりの残像か? はたまた、陽炎だろうか。
そんなことを情けない顔で考えていたであろう俺に、シャムが手に付いたピーナッツの薄皮をぱんぱん払いながら間の抜けた声を出した。
「あ…… メッセージ入ってる。テツさんからだ。なになに、電車が人身事故で遅れてるから、何時に着くか分からない。だってさ」
スマートフォンを見て、シャムはちょっと残念そうに笑う。釣られるように苦笑いをすると店の電話がけたたましく鳴る。それを確認するとシャムは、よっとかけ声を言いながら立ち上がった。
「俺、いっかい家に戻るわ! テツさんがまた連絡してきたら、それで今日の予定が決まるからね」
そう言ってシャムは店から出て行った。通りに出たシャムを見ると、空を眩しそうに見上げる姿に俺は、何故だか懐かしい気持ちと鼻の奥にツンとする痛みを感じた。自然と目にたまっていく涙を手でぬぐい、俺は受話器に手を伸ばした。
「お待たせ致しました! いつもありがとうございます。川瀬サイクルです」
現実世界と隣り合わせの空間に蠢く、もうひとつの未知なる世界。人はふとした瞬間に不思議な感覚や現象に出会う時がある。それは、時空の歪みに生じた迷路を行ったり来たりする異界へのチケットを手に入れた時なのかもしれない。何処かの扉が開きかけているのかも、しれないね。
これは、そんな俺たちに起こった、不思議でノスタルジックな出来事だ。
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