~クルドヘイム城にてⅡ~

「卿の言うところ、最もである」


 ウィンザルフはセト公爵の言葉を最後まで聞き、迷う事なくその言葉を肯定した。


 対して亜人国各種族の長たちは沈黙。言葉を挟む余地も気もさらさら無い。


「なれば問おう。ウェストランド卿」


 ウィンザルフは軍事都市ガーランドを領都とするイザーク地方を治める貴族であるウェストランド子爵の名を呼ぶ。


「はっ」


「ドルムンド、すなわちここにおられるワジル殿からガーランドに届いた救援依頼の言葉を述べよ」


「はっ…」


 ウェストランドは前に出て、若干のためらいを見せつつも命じられた通りにそのままの言葉を用いて伝えた。


「では――『助けちゃもらえんかの? このままじゃと酒が飲めなくなるわぃ』…で、ございます」


 静けさに支配され、皆が緊張の面持ちで場に臨んでいる空間に響く間抜けな言葉。ワジル本人は間違いないと腕を組みながら大きく頷き、おかげで今も酒が飲めていると満足そうにしている。


 だが、他の亜人の長たちを含め、この事実を初めて知った参加者たちは頭を抱えた。


「なんちゅう頼み方をしとるんじゃ、この飲んだくれジジイは…」

「酒はわからん。だが腹が減るのは困る」

「お恥ずかしい…」

「くくくっ…アカン。わろてまう。耐えるんやウチ…」


「聞いての通りだ」


 と、ウィンザルフは皆まで言うまいとセト公爵に目配せし、セト公爵はため息を漏らしながら後ろへ下がった。


 人間側、ここでは帝国の人間から見ると危機を感じさせない、まるで酒の席のたわ言のように聞こえるこの援軍要請も、ワジルは決してふざけて言った訳では無かった。


 その証拠に、戦後まもなく地人ドワーフの長であるワジルはドルムンドにいるすべての地人を率いて獣人国ラクリの首都、イシスへ向けて大移動をしようとした事は記憶に新しく、この場の誰もが知っていた。


 当初、帝国はこの事実を知り慌てて事の次第をワジルに尋ねると、ワジルは地人の代表として当然のようにこう答えた。


『金がないから里ごともっていけ』と。


 要請を直接受け取ったガーランドには、ドッキアと同様に多くの地人ドワーフが仕事と酒を求めて移住してきていた。地人の生き様は当然理解しているし、嘘や駆け引きなど一切する事の無い地人達の助けを求める声がどういう表現であろうが、領主であるウェストランド、ガーランド騎士団を即座に動かすには十分な理由だったのである。


 ドルムンドには地人の持つ技術を支える道具や古くからの技術の元となる資料など、多くの貴重な財産があった。分かりやすい金貨や銀貨はほとんど里に残っていないが、地人の皆が皆、酒と仕事、そこに命があればそれでいいとその他の全てを帝国に差し出したのだ。


 武器や防具、兵器といった軍にとって垂涎物の品々も里に多く残されており、援軍の礼には十分である。しかし、里ごととなると話は大いに変わってくる。


 つまるところ、礼のし過ぎである。


 そんなものを受け取ってしまっては、帝国は地人から援軍の礼として物だけではなく、歴史や文化を含めて国を奪った悪逆非道な国と世界中に知れ渡ってしまう。


 地人ドワーフという種族をよく知っている者なら、この行動にも納得はいかずとも理解はできるのだが、ほとんどの人間に理解は及ばない。


 大いに慌てた帝国中枢はとりあえず対価に関しては保留とし、今に至っている。


 話を戻すと、ワジルは一言もミトレス連邦をジオルディーネ王国から解放して欲しいなどとは言っていないのである。帝国はドルムンド防衛後、自らの意思で勝手に他のミトレス連邦の国々を解放し、さらにジオルディーネ王国に進軍したのである。


 この公式の場においてウェストランド子爵の言葉、つまりドルムンドからの援軍要請は、帝国がジオルディーネ王国へと駒を進める大義名分だった事が暗に表明され、ウィンザルフの思惑通り、ミトレス連邦の解放は帝国がジオルディーネ王国へ進軍するための拠点づくりに他ならなかった、という筋書きが歴史認識となった瞬間である。


(勝手に助けておいて、礼をよこせと言える訳も無し…か。全く、陛下の亜人びいきにも困ったものだ)


 引き下がったセト公爵の側に、南部三公残りの二人であるミレオル、イブリース両公爵がやってくる。


「一言で終わりましたな」

「ふん。初めから覆せるとは思っておらん」

「かかっ。しかし、セト卿、ミレオル卿。あの女王を目の当たりにすれば、陛下のお優しきご決断も致し方なしと思えるってもんでしょ」


 一番若いイブリース公爵が、砕けた調子でセトとミレオルに水を向ける。


 両公はイブリースの言葉で再度ルーナを視界に入れるや、言葉を飲み込むように互いにグラスを傾けた。


 三公爵は特段仲が良いわけでは無いが、ラングリッツ平原を挟んで隣国に当たるリーゼリア王国との戦いの際には必ずくつわを並べる間柄である。互いをライバル視しながらも、妙な腹の探り合いなどをする関係でもない。


 他の帝国貴族は身分差もあるが、この三公を畏れ、距離を置いているので必然的にこの三人は公の場では共にいる事が多くなる。


「女王ルーナ。一騎士団どころの戦力ではない」

「一国を相手にできる次元かもな」

「ほっほっほ。イブリース卿はお若いですなぁ。しかし…」


 ―――十分ありえる。


 三人は言葉にこそ出さなかったが、獣人国、ひいては女王ルーナと敵対する事態だけは絶対に避けねばならないとの認識を共有した。


 その後、ウィンザルフの提案通りに帝国とミトレス連邦との同盟が決定し、その場で周知。後日正式に式典を執り行う事が通達され、公式行事は終了となった。


 後の祝賀パーティーは食事や酒が提供され、ワジルは酒、水人アクリアのズミフなどは一心不乱に帝国料理、ここでは帝都が誇る宮廷料理の数々に舌鼓を打っている。


 この場には公式行事に参加する事の無い面々も多く呼ばれている。此度の戦役で結果的に帝国軍を大いに助ける事になった冒険者ギルドの関係者である。ガーランド冒険者ギルド、ドッキア冒険者ギルドを筆頭に、各国に点在する冒険者ギルドのマスター達もここに呼ばれていた。


「冒険者の手助けが無ければ、帝国軍われわれは敗北を喫していた」


 ウィンザルフは感謝も労いもすることなく、目の前にいる老婆に事実のみを話す。傍に控える軍務大臣であるカーライルもここでは頷くのみ。


冒険者ギルドワシらもやられとったし、先兵となってしもた冒険者やつらもいたからのう。若人わこうどらはようやったと報告が来とるよ」


 皇帝であるウィンザルフの直接の言葉に全く臆することなく、老婆は淡々と言葉を返した。


 この老婆はアルバート帝国の前身であるアルバート王国の王都だった古都ディオスのギルドマスターであり、西大陸にあるすべてのギルドを統べるグランドマスターの肩書を持っている。


「ああん? ババァ。まだ生きとったんか」


 そこに骨付き肉を片手に乱入したのはルーナである。甘辛いタレを口の周りに付けながらの悪態に、側に控えるカーライルは冷汗を流す。ウィンザルフを含め、この三人を前にしてはさしものカーライルも口をつぐむほかない。


「生きとるもなにもお主の方が百はババァじゃろうが! 今はウィンザルフ殿から若い気を吸うとるんじゃ! 邪魔をするでない!」

「気持ちわる! 相変わらずか! 人間の寿命でいうたらウチはまだ三十手前や。しわっしわのおまんにババァ言われる筋合いないわ!」

「ルーナさん…はしたないですし、今はよくありませんよ」


 そこに風人の長であるヴェリーンが加わり、ルーナの汚れた口周りを丁寧に拭う。 


 グランドマスターと女王ルーナの口論。仮にこの二人が喧嘩をし始めたらこの場の誰も止められない。さすがにここでやり合う程二人は愚かでは無いが、ウィンザルフを前にさすがに礼を逸し過ぎだと思ったヴェリーンはルーナをいましめ、荒ぶるグランドマスターをギルドの関係者が止めに入った。


「ヴェリーンはんあんがと」


 ヴェリーンは言葉を発さずにスッと身を引く。柔らかく一言でルーナをなだめる様に、遠目で見ていた男達は瞬時に心を奪われた。


(女王も目を見張る美しさだが、このお方は…)

風人エルフ万歳!)

(たしか未亡人になられたとか…ワンチャン、行くか?)


 絶世と評判の可憐さを持つアイレの母であるヴェリーン。その素地にしとやかさと聡明さが加われば、もはや放っておける男はいない。


 さておき、


「クフフフ…ヨル殿とルーナ殿は古いので?」


 ウィンザルフは大した事は無いと皆を安心させるため、二人の争いに終止符を打つ。


「ヴェリーンはんのおかげでシワ増えんですんだのぉ…このババァは五十年前、ギルドをイシスに置かしてくれゆーてウチに土下座しよったんや」


「六十年前じゃバカたれ。十年も間違えるんじゃない。それに土下座などしに行くか! 頭のおかしい狐が暴れまわっとると聞きつけてボコりにいったんじゃ!」


 全くかみ合わない二人の応酬だが、先程とは打って変わって周りも楽し気な雰囲気となり、話の内容に聞き入っている。


 この戦いこそ、知る人ぞ知る『狂獣ルイ対拳聖ヨル』の伝説の一騎打ちである。


 戦いは数時間にわたり、獣化したルイと互角に渡り合い、生き残った初めての人間としてヨルは図らずも名をあげる事となった。


 戦いを主とする騎士団員や血の気の多い者達にとって、二人は子供の頃に聞かされたおとぎ話の登場人物なのだ。その二人が目の前、同じ空間にいる。尊敬や畏怖の念で二人を見ている者も多かった。


「狂っとるとか失礼な話やで!」


 当時の通り名を思い出しルーナはむくれたが、今回は自分が吹っ掛けたと自認はしている。多少の罰も致し方なしと、ヴェリーンの手前これ以上続けるのをやめた。


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