173話 九尾大狐

 大質量の黒閃が一直線に放たれる。


 ルイは必中の黒い炎の塊を、真正面から受け止めた。


 ―――ズン


「はあ゛ぁぁぁぁっ!」


 バチチチチチ!


 黒閃に摂食されまいと、九本の尾が同じく大質量の雷を放出してその威力を相殺してゆく。剥がれた黒い炎が玉座の間に降り注ぎ、落下した炎は消えることなく、地面に揺らめく小さな黒い花を咲かせていった。


 持ちうる最大最強の一撃を真向受け止められた俺に去来したものは、焦りでも絶望でもなく、称賛だった。


「凄いな」


 だが、徐々に相殺が間に合わなくなり始めると、大穴を背にするルイの体はその質量に押され、とうとう城の外へ押し切られた。


「ちょっ、待ちーや…ぐぐぐっ!―――くあっ!」


 ゴオッ!


 王城から黒い帯と白黄の雷を纏う獣人が飛び出し、何事かと貴族門前で魔物と戦っていた騎士たちは、宙を見上げていた。


 大穴の前まで行き、外に向かって遠視魔法ディヴィジョンを広げる。その先に、攻撃前に比べ大幅に減少した魔力反応を見つけ、五本の尾と左半身を失いながらも宙に浮くルイを視界に捉えた。


「これはアカンて」


 ルイの受けた傷口には黒い炎がこびり付き、再生を阻害している。


「黒炎にそんな効果があったとは。思わぬ収穫だ」


 予想だにしなかった効果に驚きつつも、あの一撃をまともに食らって未だ生きているルイに、心中で再度称賛を贈った。


「二撃目と行きたいところだが…さすがに無理か」


 もう一度黒閃を撃つ魔力はさすがに残っていない。俺は止めを刺すべく、弱り切ったルイの元へ風渡りを使って強襲をかける。


 タンタンタンタン!


「がふっ! さっそく追撃かい…はぁ、はぁ…なんかこう、勝負の余韻みたいなもんはあらへんのかいな…」


 そうつぶやくルイの頭上から真向夜桜を振り抜く。


 バチンッ!


 だが、夜桜の軌道上に割って入った尾の一本が雷を纏い、刃は弾き返されてしまう。刃と尾は触れておらず、これは電撃に込められた魔力が夜桜の強化と同等、もしくは上回っている事を示している。


 たったの一撃だが、未だルイの魔力は夜桜の斬撃を防ぐ余裕がある事がわかった。


 その後も一刀浴びせるべく絶え間なく斬撃を繰り出し続けた。ルイは半身と五本の尾を失い苦しそうに肩で息をしているが、残りの四本の尾はまるで一本一本が意思を持っているかのようにうごめき、俺の斬撃をことごとく防ぎ続けている。


 時に反撃をも繰り出してくる尻尾は互いに干渉しあう事もなく、バチバチと音を立てて襲い掛かってくる。俺は真正面での攻防を止め、背後へ回り込み再度攻撃を繰り出すが、ルイは背を向けたままなのにもかかわらず真正面と変わらぬ攻防を披露した。


 視覚ではなく魔力反応だけでここまで正確に俺の挙動を把握できるとは思えない。何かしら別の感覚でも備わっているのだろうか。


 その後も上下前後左右と空中戦ならではの立体機動を用い猛攻を加えるが、ルイは微動だにしないまま四本の尻尾だけで対処し続けている。反撃らしい反撃もしてこないところを見ると、未だ回復途上にある事は間違いない。


 ルイの傷口には黒炎が揺らめき、傷の再生を阻んではいるものの、黒炎は徐々に小さくなっている。


 間違いなく、黒炎が消えた時がルイが再生する時。そう考えた俺は魔力残量に不安を覚えながらも、この機を逃す訳にはいかないと強撃に打って出た。


 若干の距離を取り、風魔法を爆発させて背後からルイへ猛突進。


 強力な攻撃を察知したルイはこれまで微動だにしなかった体勢を振り返らせ、四本の尾を束ねて迎え撃つ。


 ゴオッ!


 膨れ上がった四本の尾はそれぞれが雷を纏っている。


 俺は夜桜のかしら(柄の先端)を束ねられた尾へ打ち付け、同属性の雷を繰り出した。


「―――衝雷鼓エレ・トロン


 バァン!


「なんやて!?」


 雷同士がぶつかり、雷特有のを失った両者の雷は四散。雷により繋げられていた四本の尾もばらけ、刹那、ルイへと至る道を開けた。


 衝撃により殺されていた推進力を復活させるべく、再度風を爆発させてルイの懐へ迫り、渾身の固有技スキルを放った。


「―――流気旋風バーストストリーム!」

「くっ、まだやっ!」


 固有技スキルを迎え撃ったルイの右手には高圧縮の雷玉が握られている。風を纏った夜桜と雷玉がぶつかった瞬間、風の轟音と放電の耳をつんざく鋭い音が辺りに響き渡った。


 バチチチチチッ!


「はあぁぁぁっ!」

「かあぁぁぁっ!」


 ザギン!


「くあっ!」


 風の加護を失いつつ、辛くも雷玉を相殺した夜桜の刃がルイに届き、今度は彼女の右肩口から先を切り離した。


 力無く崩れたルイは纏雷を失い落下。同時に左半身に揺らめいていた黒炎も消えるが、即座に再生する事はなく、俺が地上へ降り立った時には仰向けに倒れていた。


「はあっ、はあっ…両断するつもり、だったんだがな…」


 魔力のほぼすべてを使い切り、猛攻につぐ猛攻は俺からかなりの体力を奪っていた。


「あ゛ー…完敗や完敗。反則やでその剣」


 白いもやを立ち上らせながら、ルイはため息混じりに敗北を認めた。


 だが、認めつつもルイの残った身体からは放電が続いており、止めを刺そうにも近づく事が出来ない。


「黒い霧は晴れたか?」


 魔人ウギョウは死際に頭の中の黒い霧が晴れ、正気に戻ったという話をドッキアからの手紙で知っている。その黒い霧が対象を洗脳していた事は間違いない。ルイが今死際にあるのだとしたら、その光景が浮かんでいるはず。


「黒い霧? ……ああ、あのけったくそ悪い魔力の事かいな。吹っ飛ばしたったわ、あんなもん」

「なんだと…?」

「勘違いしとるな。ウチは誰にも操られとらん。強いていうたら…神の意思。まぁそれも気に食わんけどな。こんな身体にされてしもたら、こればっかりはどうにもならん」


 ルイの口から出た言葉は、俺の理解を遥かに超えた。そのままとらえれば、人間を滅ぼす事が神の意思という事になる。先日出会った幻王馬スレイプニルは『人間は今世の糧』だと言っていた。自身の眷属の意思、つまり神の眷属である神獣の意思が無ければ人間を害する事は無いとも。


 これを踏まえるとルイの言葉は虚言であることは明らかだが、今の彼女が苦し紛れにでまかせを吐いているとも到底思えない。


「どういうことだ! 神が人間を滅ぼすとでもいうのか!? お前は何を知っている!!」


「くくっ…昔っからおる亜人ウチらと、の人間。歴史がちゃうっちゅーこっちゃ」


 要領を得ないルイの言葉だが、これ以上は教えるつもりはないと言わんばかりにニヤリと犬歯をのぞかせた。


「あんさんは強い。敬意ってやっちゃな。になってもーたけど、もう一人のウチでお相手するわ。よう見ときや。太古より連綿と続く、九尾大狐の姿を―――」


 目をつむり、夜空に浮かぶ星々をその視界から失わせるルイ。瞬間、ルイを中心に渦巻く風が起こり、紫電が見えない風の行方を伝えた。



 ドンッ!



 弱々しかった魔力が一気に増幅し始める。俺が万全の状態だったとしても、到底近寄る事が出来ないであろう雷電がほとばしる。


 欠損していたルイの一部は瞬く間に再生し、再生と同時にその姿を変容させていった。あまりの力の爆発に俺は距離を取り見守る事しか出来ない。


 ピシバチと音を立てながら全身が毛に覆われ、腕、脚は瞬く間に四足獣のそれに変わってゆく。鼻先から顎が前方に突き出し、顔に入っていた赤い線は太くなり首筋に伸びていった。


 目が眩むほどの光量が王城全体を照らし、街全体に王城の影が刻まれる。



『ギュアァァァァアアアッ!!』



 ドォンドォンドォンドォン!



 巨大な太鼓の音のような打音が周囲一帯に響き渡り、雷光と音と共に四足獣となったルイはみるみる巨大化。その場にいるのは危険と判断した俺は、膨大な力に巻き込まれまいとすぐさま退避した。


「安全な場所があるとは思えんが…とんでも無いものを起こしてしまった」


 俺は絶望を前にすると、どうやら笑ってしまうタチらしい。


 顕現した九尾大狐。


 神々しいその姿。


 十六年前、神獣ロードフェニクスを目の当たりにした当時のスルト村の皆も、こんな感情を抱いたのだろうか。


 ここで、魔素だまりとなっていた城周辺の魔素が消えてなくなっている事に気が付いた。


 ルイはスッと天高く浮かび上がるや、九本の大尾を広げ、王都全域に死の雷をまき散らす。


『コココココ……魔素これ、返しとくわな』



 ――――雷龍太鼓カンナカムイ



 まるで雷神の裁きを受けているかのような光景が広がる。


 降り注ぐ雷柱は人、魔物、建物、全てを平等に灰に変えていった。


 正に、王都は地獄と化した。


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