124話 真っ白な少女

「ぐはぁ~…雪見風呂に雪見酒。これを超えるものはないなぁ」

《 アホになったとか言っちゃってゴメンねぇ… 》

「あー…いいよ」


 湯に疲れと寒さを溶かしながら身を預ける。


 悔やまれるのは清酒がない事。ドッキアでグリンデルさん達に飲み干されたのが痛かった。代わりに今俺の手にあるのは、その時に清酒と交換で手に入れた『冬炎酒』。ドルムンドの特産であり、地人ドワーフ謹製の酒である。


 当初は人間の飲むものでは無いと思って封印していたが、ツクヨさん曰く、そのまま飲むのでは無く、水で割って飲むものだという事だった。稀に来る地人ドワーフの行商人が、ホワイトリム特産の白酒と交換に冬炎酒を置いていく事があるらしく、雪人ニクスの先人達が試行錯誤の末、水で割って飲むという答えに至ったらしい。


 ギンジさん宅には白酒があったのでその場で試しはしなかったが、今がその時だと思い立ち、雪を盛ったコップに冬炎酒を注いで飲んでみると、これがなかなかに美味い。原酒は酒精が強すぎて味わいも何もあったものでは無いが、割って飲むと独特の香木の香りと、木の実らしき風味が鼻を抜け、得も言えぬ味わいがある。


「まさか酒を薄めて飲むとはなぁ…」


 黒塗りの酒坏をゆらゆらと揺らし、雪を溶かしつつ唇を濡らすようにして飲む。これはギンジさんから教わった飲み方だ。深い杯で豪快にゴクゴクと飲んだり、猪口ちょこを一口でクイッとやるのもいいが、これはこれで何とも風流ではないか。やはり食に関しては人間より進んでいるな、雪人ニクスは。


 因みにマーナには『冬炎酒の雪割り』は合わなかったらしく、代わりにマーナお気に入りの蜂蜜酒ミードを出してやった。まだ日は高いが、俺が飲んでいるので何も言えない。人間と聖獣。共に至福の時を迎えていた。


「ちょっと! いつまで入ってんの!? 見張り疲れたんだけど!」


 ここで無粋な女の声が飛んでくる。


 返事をするのも面倒だ。いつぞやのカニだかサソリだかの様に追い払ってやろう。


「―――(りゅうのいあつ!)」

「ねぇ聞いてんの!?」


 全然効いてない。


「なぜ急かす!? 俺の機嫌が悪くなってもいいのか!」

「私の機嫌はすでに最悪よ!」

「俺は今、疲れを癒してる最中なのだ! 治癒魔法ヒールじゃあるまいし、そんなに早く癒えん!」

「私も疲れたって言った!」

「勝手な理屈を…君には理解できんだろうが、この湯の効果は徐々」

「あんたが出ないと入れないでしょ!」


 ……。


「結局入るのか!」

「悪い!?」

『わふーっ(うーるさいなぁ。静かにしてよねー)』


 散々毒だの死ぬだの言っておきながら結局これだ。気まぐれも所が悪いとこんなにも俺を不幸にするのか。


 大声での口げんかに疲れたので妥協点は無いものかと探っていると、どうでもよさげなマーナが笛を吹いてくれと言う。


 こいつっ! 自分は関係ないからって!


「はぁ…わかった。マーナが一節欲しがってる。それが終わったら代わってやる」

「なんか楽しくなるヤツにしてよね」


 どこまでわがままなんだ。


 火照った身体をふちに預け、収納魔法スクエアガーデンから篠笛を取り出す。水気みずけは笛に悪いんだが、ダメになっても竹は確保してある。いつでもどこでも吹きたい時に吹ける。それがお手軽な篠笛のいいところだ。


 今は吹かされているんだが…



 ――リン♪


 ――リン♪


 ――リンリン♫



 なかなかの間合いで、アイレが鈴音すずねの合いの手を入れてくる。ものすごく音が近い気がするが、悪くな…


「おわぁぁっ!」


 チラリと目を開けると、俺の横に何かが座っていた。


 その頭にある鈴を鳴らしていたのは、白くて丸い獣耳と、白い尻尾を持った、とにかく真っ白な少女だった。


「どうしたの!?」


 俺の悲鳴を聞いて、アイレがこちらに駆け寄ってくる。


 大抵の場合、全裸の俺を見て『きゃあ、変態』となるのだろう。だがそうはならない。なぜなら今回は腰に布を巻いてあるからだ。ミコトとオルガナの二の舞はゴメンだからな。


「いや、そんな事考えてる場合じゃない。君は…一体何なんだ?」


 ふちから急いで湯船に避難し、顔だけ出した状態で少女に問うた。獣耳と尻尾があるのは述べた通り。さらに少女は髪も白で着物も白。手足もツクヨさんと同じくらい白い。色がついているのは、頭に付いた銀のかんざしとその先端に短くぶら下がった金色の鈴。それに白い半幅帯はんはばおびにはうっすらと桃の差し色があるくらいだ。


 目は前髪で隠れていて瞳の色は分からないが、雪人ニクスの女性の特徴は抑えている。だが耳と尻尾は辻褄が合わない。ここだけがツクヨさんと違う。俺の知る限り、耳と尻尾は獣人ベスティアの特徴だ。


 だから『誰だ』『なぜ子供がここに』『どこから来た』ではなく、『何なんだ』と咄嗟に口から出てしまった。


 だが少女は、ジッと俺に顔を向けたまま何も答えない。


「ねぇ! 大丈夫なの!?」


 アイレが声を上げる。駆け寄って来たかと思いきや、木の後ろで思い留まったらしい。お約束の展開など、俺達にはあり得ないのだ。


「大丈夫なのかそうでないのかが判断できない。風呂に入ってるからこっちに来て助けてくれ」


「なんなの全く…」


 アイレが木の陰から顔を出し、恐る恐るこちらの様子を伺った。


「コ、コハク!? どうしてここに!!」


 コハクと呼ばれた真っ白な少女の耳がぴくぴくと動き、尻尾がブンと一度揺れるが、呼ばれた声に振り返ることは無かった。


「なんだ知り合いか。助かった…」


 ここで一口、酒を飲む。


「マーナ。すまないが笛は中止だ」

《 この子は…ふぅん 》

「え、何だよ」

《 べつにー、悪い子じゃなさそうだね 》


 何だか引っ掛かる言い方だが、マーナ語の解読は時として大変な労力を必要とする。今は深く考えないでおこう。というか、今は温泉と酒の方が大事。嫌な想像は止めてゆるりと楽しみたい。


「後は頼んだ」

「何しれっと引き続き楽しもうとしてるわけ?」

「いやだって、コハクちゃんだっけか? 知った子なんだろ? なら君が遊んであげないと可哀そうじゃないか。あ、マーナ。雪入れてくれ。あっつい」

『ぉん(あいー)』


「あんたにも関係あるんだけど」

「いやいや。確かに、確かに浮かんださ。万に一つの可能性ならな。だが実際、世の中そんな風に出来てないんだよ。そもそも風呂に入ってたら誰かが闖入ちんにゅうして来るのはこの世界の法則か何かなのか? 前回ほどの迷惑はないが、これじゃ落ち着いて」

「ごちゃごちゃ言ってないで、その万に一つを受け入れたら?」


「………」

「(ニコッ)」


「山神様」

「せいかーい」


 少女の肩に手を当てて、ニッコリと微笑むアイレ。



 子供じゃないか! じゃないか じゃないか――――



 少女は相変わらず無言のまま。俺の叫び声だけが雪山に木霊した。


「コハク、ジンは平気なの?」


「…じん」


 山神様の第一声は俺の名だった。アイレが平気かと聞いたという事は、本来は人間が苦手なのだろうか。それにしても山神様がこんな子供だったとは…アカツキよりも少し大きく、アリアよりも小さい、といった印象だ。本当にこんな子供がエンペラープラントを倒したというのか。


 アイレを見上げて名前を呼んだ後、再度俺の方に無言で顔を向ける山神様。居たたまれなくなり、自己紹介してみる。


「俺がジンだ。雪運んでるのがマーナ」

『うぉん(やほー)』


「へいき どうして」


 顔を見合わせる俺とアイレ。なんでこっちが聞かれてるんだろうか。


 いかん、山神様苦手かもしれん。


「よかったぁー! 第一関門クリア! ジンならいけると思ってたんだ!」


 なぜかアイレが喜んでいる。


 後に聞けば、山神様ことコハクは人見知りが激しいらしく、人里はおろか、誰かが住み家に近づいて来ただけでどこかに隠れてしまう程らしい。そうなってしまった原因は、過去、不意にコハクに触れてしまった者がコハクの力で氷漬けにされ、そのまま帰らぬ人となった事にあるのだとか。


 不意に殺めてしまった者の親族が大いに嘆き悲しみ、その姿を見たコハクは制御できない自らの力を恐れたという。それ以来、人の寄り付かない山奥で暮らすようになり、元々の性格も相まって人を遠ざける様になってしまったらしい。


「なんとも…」


 言葉が無いとはこの事か。今更俺がどうこう言える問題でもないので、俺は俺の為せることをするしかない。女王ルイの話もすぐに出来る雰囲気じゃないし、ここは一つ友人となる努力をしようか。


「えーっと、コハクって呼んでいいかい?」


 なるべく優しく話しかけた。もちろんオプトさん殺しの笑顔付きで。


 コクリと小さく頷く。


 よーし、初反応頂きました。順番に色々聞いてやろう。アイレを通してじゃ意味がないし、『どうして』の質問にも答えてやらねばならんからな。すかさずアイレに俺が話すと目配せすると、どうぞと合図を送ってくれる。


「どうして家からここまで来たんだい?」

「…みてた」


 何を!? くっ…マーナ以上に難しいぞ。


 色々聞いてやろうとは思ったが、ここまで細切れで斜め上の返答だと、百は質問しなければならなくなる。それはしたくないし、されたくないだろう。さらに俺は今風呂の中。あまりに長引くと茹で上がってしまう。


 考えるんだ、俺。


 癒しの時間が試練の時間に変わった。


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