89話 亡命

「何者だお前!」


 風人エルフの少年戦士エトの声が辺りに響く。が、


 バシッ


「いでっ! ア、アイレ様!?」


 アイレの平手打ちがエトの頭に炸裂した。


「エト、まずは何て言うのかな?」

「し、しかしっ……くっ! た、助かった。ありがとう…」


 何とも悔しそうに言うものだ。


「ああ、勝負に割り込んですまなかったな。見ていたよ、見事に皆を守っていた。君は戦士だ」


「ぐぬぬぬ…」


 怒りの対象に謝罪され、褒められ、何と返していいか分からず、顔を真っ赤にしながら俯くエト。


 本心で言ったんだが逆効果だったか?


 その後アイレの仲裁で、全員に事情と自己紹介を済ませると皆警戒は解いてくれた。


「――という訳で、ジンは命の恩人だし私達の味方だからみんな安心してね」


「俺もやれる事はやります。皆さんも諦めずに生き抜いて下さい」


「おお…姫様を助けて頂きありがとうございます!」

「あの恐ろしい魔人めを…」

「何とも心強いっ」

「あたしみたよ! でっかい火の玉ぼーんって!」

「兄ちゃんすっげーな!」

「ありがたや、ありがたや」


 ◇


「まていぬー!」

「さわらせてーモフモフさせてー」

「なんてすばやいんだ!」

『くぉんくぉーん!(犬じゃないよ! そんなんじゃ百年経っても捕まらないよー)』


 聖獣である事を伏せつつマーナを紹介したら、子供達が寄ってたかってマーナを追いかけまわしている。本人もまんざらでは無いようで、楽しそうで何よりだ。


 一方、俺とアイレ、エトとイェオリという男の四人で、今後の方針を話し合っていた。イェオリはアイレ不在の間、野営を仕切る任に就いている者だ。


 この野営地に居る風人エルフの人数は七十人。半数以上は老人と子供で、素早い行動は望めない。だがここに留まる訳にはいかないだろう。


「良くも悪くも魔人を倒してしまった。これが後々面倒になる」

「ど、どういうことです?」

「もう敵に知れ渡っている頃でしょうね。間違いなく警戒は厚くなる」

「どうしてですアイレ様! 魔人を倒したなら敵は弱るでしょう!?」


「敵は必ず魔人を倒した者を警戒する。その場合、その魔人の穴を埋めるべく百人、あるいは千人単位で新たな兵を動員するか、新たな魔人が送り込まれてくる。両方もあり得るだろう。それも今まで以上の戦力になるように」


「そ、そんなぁ…」


 俺の言葉に、エトとイェオリは呆然とする。


「だが先に言ったように僥倖ぎょうこうでもある。奴らはこのエーデルタクトに潜む魔人を倒した者、つまり俺の事だが、俺を探し回るだろう。その隙に、みんなでエーデルタクトを出てしまえばいい。そうすれば、少なくとも魔人の追手は無いはずだ。行き先は、帝国領ドッキア」


「て、帝国に!? ドルムンドでは無く!?」


 エトとイェオリが同時に驚く。


「驚くような事か? ドッキアでたまに風人エルフを見かけたぞ?」


「そうか、帝国に逃げていたのね…多分その人たちはこの戦争が始まる前に、既にドルムンドに居たか、帝国との国境近くの集落に居て避難に間に合った人達ね」


「そもそも風人エルフ…もとい、我々大多数の亜人にミトレスを出るという発想が無いのです。地人ドワーフは唯一の例外で、その技術を買われ近隣諸国に居を構えたりしますが」


「あとアイレ様も例外だ! お強いし、世界一お美しいからな!」


 キッとアイレに睨まれ、大人しくなるエト。


 美しさは関係無いが、確かにアイレはピクリアにもドルムンドにも出入りしていた様だし、他国との関りを持つことに何ら抵抗が無いような雰囲気がある。


「ところで、なんでアイレは様だの姫だの呼ばれてるんだ? そんな柄には見えないが。エトが言うように美しいからか? たしかに造形は整っていると思うが…」


 エトとイェオリがポカンと口を開けている。


「姫様…ジン殿にお伝えしてなかったのですか」


「思うが…なに!? 私は一応父であり族長の一人娘よ。だからみんなそう呼ぶの。柄じゃないのは私も同意よ!」


「どうだわかったか! アイレ様は偉いんだぞ! もっと尊敬しろ!」


 バシッ


 またもや頭をはたかれるエト。懲りないなぁ。


「みんなを守れなかったのに、族長の娘だなんて自分でも聞いてあきれるわ。今の私はただの風人エルフよ! この話は終わり! で、帝国にどうやっていくの? それに受け入れてくれるのかしら?」


 確かに民を守れなかったというのは、戦士として忸怩じくじたる思いだろうし、ましてや長の娘ともなればその思いは察してしかるべき。よそ者の俺はあまり触れるべきではないだろう。


「そうだったのか。まぁ今更それを知った所で、俺にとってはアイレはアイレだ。何も変わらないよ」


「そ、それでいいのよ…」


 俯き加減に顔を赤らめるアイレ。


 なんだ? 何か恥ずかしい事でも言ったか?


 まぁいい、話を続けよう。


「それで帝国への亡命の件だが、やはり知らないようだな。帝国は国を挙げて亜人の保護に乗り出しているんだ。最低限の衣食住の保障、働く者には仕事を与えて、それに見合う報酬も、きちんとアルバ通貨で支払われるようになっている」


「おおっ、そうだったのですね!」

「それはいい報せだわ。お年寄りは国を離れる事に難色を示すと思うけど、私が説得するわ」

「アイレ様が仰れば、みんな言うとおりにします!」


 そうして一行の帝国行きが決まる。収納魔法スクエアガーデンから、ギルドから支給された帝国西部の地図を出し、一応の逃亡ルートを教えておく。とは言っても、俺が通ってきたルートだが。


「やはりドラゴニア経由ですか…」


「不安なのはわかります。確かにドラゴニアは森も隠れられる場所も少ない。戦えない者には苦難の道のりでしょうが、ドルムンドを経由するのはやめておいた方がいい。かなり遠回りになるし、ドルムンドで戦に巻き込まれる可能性もあるので」


「魔人にさえ会わなければ、確かに最短で行けるドラゴニア経由の方がいいわ。問題は魔物だけど…」


「地図に書き込んだのは俺の通ってきたルートだが、アイレとエトが居れば、十分に対処できるレベルの奴らだったよ」


「私とエトならって、ジンはどうするの? 一緒に来ないの?」


「俺は魔人をこの国に留めておくためにも、数日は潜伏して威力偵察するつもりだ。それに、リュディアの様子も見ておきたい。恐らくそこにこの国の敵本営がある」


「な、ならっ!…いえ、何でもない…」


「………」


 アイレの言いたかった事は何となくわかる。恐らく自身の家族の事だろう。リュディアと言えば、エーデルタクトの都としての機能を果たしていた里。すなわち風人エルフの族長であり、アイレの父が住まう里という事だ。


 そこには家があり、家族がいる。少しでも多くの民を救う為に国内を奔走している彼女は、自身の家族の状況も未だに確認できていない事は容易に想像がつく。


 だが彼女はその事を誰にも言わない、言えないのだ。今すべきことは、家族がどうなったのかを知る事では無く、民を救う事だと思っているのだろう。


 自分の事は全て後回しにして。


 その後話はまとまり、今日中に野営地を捨て風人エルフ達は帝国に向かう事になった。老人達は若干渋っていたようだが、命には代えられない。アイレの説得に応じて、戦が終わればまたここに戻って来られる事を信じ、皆立ち上がった。


 別れ際、持ち運びやすい非常食を数日分、エトとイェオリに渡す。


「何から何まで本当にありがとうございます…このご恩は皆生涯忘れません」

「決して楽な道のりでは無いでしょう。道中の無事を祈ります」


「俺がいるから大丈夫だって! その…ありがとな兄ちゃん!」

「エト。子供だろうが関係ないぞ。自らを戦士とするなら命をかけて皆を守れ」

「あたりまえだっ!」

「約束だ。また会おう」


 エトとゴツンと拳を突き合わせる。このような戦士が居る限り、エーデルタクトは必ず復活するはずだ。ああは言ったが、エトは決してこんな所で死ぬべきじゃない。



「順調に行けば、三週間くらいで皆を帝国まで連れていけるわ」


「ああ、俺が普通に歩いて二週間ほどだった。集団のペースを考えればそんなもんだろう」


「私なら急げば四週間…一か月以内にここに戻ってこられる。ジンはどうするの?」


「まだ決めかねているが…二週間はこの国に留まるつもりだ。次は恐らくドルムンド、もしくはラクリに入るだろう」


「そう……ジン。一か月後、お互い生きていたら話したい事があるの。私一人じゃ到底無理だし諦めてたんだけど、貴方と冒険者ギルドの助けがあれば希望が見えるかもしれない」


「今話せない理由は?」


「戦力という意味じゃなくて、私にしか出来ない事なの」


「…分かった。ならば早く帰って来てくれ。落ち合う場所は?」


 地図を広げアイレが指を指す。


「北西にあるラクリとの国境、オラルグ渓谷の手前に小さな集落跡があるわ。ここにしましょう」


「承知した」


「じゃあ、一か月後に。死なないでよね」


「そっちこそ」


 コクンと頷き、背を向けて歩き出すアイレの背中に声を掛けた。


「アイレ。背負い過ぎるなよ」


「何の事かしら?」


「昨日約束しただろう、出来る事はする。リュディアの事は任せてくれ」


「…うん。お願いする…無理だけはしないでね」


「ああ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る