第零章 転生編

1話 降り立つ魂

零章はプロローグの延長とも言えるお話です。

主人公の登場は第一章からとなりますので、予めご承知おきください。


――――――――――――――――――――



 大陸最大の山岳であるオルロワス大火山。その標高は推定二万メートルとされ、半分の一万メートルを越える高さからは人間は勿論、強力な魔物でさえも生息できない領域とされている。


 そのオルロワス大火山のいただき。当然足を踏み入れた者はいない。


(…来たか)


 獣神パーンの眷属である神獣が、遥か天より落ちてくる光体を目にし、その巨体を起こした。

 

 神獣の目の前で静止したその光体には、弱々しいが生命力を感じる。


「うむ。結界は張ってあるようだな。しかし、力も神々の加護も無い。誠に弱き人間の赤子とは。神託ではとの仰せだったが…はて、如何様にするか――――」


 神獣は神託の遂行が使命であり、存在価値である。しかし、神託の内容は多くの場合結果のみを求めるものであり、それに至る過程は神獣の自由にしてよいとされている。


 例えば、『人類を滅ぼせ』という神託なら、ある神獣は自ら人類のみを絶滅させる。別の神獣は、見分けるのが面倒だと、生物全てを巻き込んで人類を滅ぼそうとする。またある神獣は、人間同士に争わせ、生き残った者を滅ぼすという手段をとる。


 オルロワス大火山の神獣は、一番後者のタイプだった。


「うむ、人間に育てさせるのが良かろう」


 神獣は立ち上がり、一山もあろうかというその巨体を光体と共に悠々と宙に浮かばせた。



 ◇



「遅くなってすまんジェシカ。調子はどうだ?」


「ロン、おかえりなさい。今日は一日不思議と調子がいいの」


 そういって、妻ジェシカはベッドから降り、立ち上がろうとする。


「おいおい、無茶はダメだ。こないだもそうやって転んだだろう」


「あの時はつまづいただけよ。でもそうね、もう少しゆっくりさせてもらおうかしら」


 夫のロンはそんなジェシカの身体を支え、ゆっくりとベッドに横たえる。


 ジェシカは五年前、若くして『魔吸斑まきゅうはん病』という不治の病に侵された。その治療方法は確立されておらず、今なお大陸中で恐れられている病だ。


 発症した者は徐々に生命力を失い、静かに息を引き取る。


 この病は他者に感染することはないので、隔離されたり街から追い出されたりしないというのが唯一の救いだが、未だ確実な治療方法は発見されていないまま、病の解明、研究は下火となっている。


 唯一分かっていることが、発病のサインとなる体中に出来る黒い斑点が、大気中の魔素を過剰摂取しているという事だ。この世界には『魔素』というものが大気中に存在する。場所によってその濃淡がある事は既に知られており、対処療法として、魔素の少ない場所で療養すれば病の進行を遅らせることが出来る。


 だが、罹患りかんから五年。ジェシカはこの半年で特に弱々しくなり一日の大半をベッドで過ごしていた。最早その命は長くない。その事は本人も夫のロンも分かっていた。


「そうだ、見てくれジェシカ」


 ジャラッ、と布袋からテーブルの上にアルバ金貨が5枚滑り落ちる。


「まぁどうしたのこんなに?」


「いや、今日の狩猟かりはエドガーがいい仕事してね。キラーアントの巣を見つけたんだ。エドガーのやつ、久々に暗潜士アサシンとしての仕事をしてくれたよ。でもちょっと数が多くてな。全部狩るのに時間がかかっちまった」


 と、ロンが笑う。それにつられジェシカも『ふふっ』っと笑うが、ふとその笑顔がかげる。


「迷惑かけてごめんねロン。私が魔吸斑病こんなのにならなければ、あなたはもっと自由に生きられたし、つらい思いもさせずに済んだ。魔素の薄い場所じゃ魔獣も弱いのしか出ないし、戦士ウォーリアのあなたには退屈でしょう…」


「よせ、ジェシカ。それは言わない約束だ。それに俺はこの村を気に入ってる。空気はうまいし人もいい。確かに魔獣は弱いが、大した怪我もなく帰ってこれるし、それがあってこその平和だ」


「………」


「俺は望んでここにいるんだジェシカ」


「っつ…ごめんなさい、私また弱気に…」


「謝る必要はない。俺はいつまでもジェシカの側に居たいだけだ。さぁ、そこそこ稼げたし、これで栄養のあるものを食べて元気になろう!」


 ええ、ともう一度笑顔をたたえるジェシカ。


――――どうして俺はこんなに無力なんだっ!


 ロンは心の中で叫びつつ、愛する妻の手を握りながら、今日の出来事の話に華を咲かせる。


 それから少しして、


「おーい、ローン!」


 ドンドンと、家のドアを叩く音。


「表で一杯やろうぜー!」


「ったく、あいつら…」


「ふふっ、いいじゃない。エドガーさんもオプトさんも久々の大物で嬉しいんでしょう」


 ロンの狩猟仲間のエドガーとオプトは、少し実入りの良かった日は必ずと言っていいほど祝杯をあげたがる。魔物狩りの話は酒のつまみに最高だ。そのことは元冒険者のロンとジェシカはよく知っている。


「いや、大物といってもキラーアントだしなぁ。数が多かった分手間取ったのは事実だが」


「あなたが行かないなら、私が行ってもいい?」


「…くっ。今行くから少し待ってろ!」


 ドアに向かって叫び、ロンは立ち上がる。


 それに合わせたようにオプトがドア越しに『ジェシカも一杯どうだー!?』と、ありえない事を叫びだした。ロンは勢いよくドアを開けるなり、


「ジェシカは酒は飲めん! 体に障ったらどうすんだ!」


 と怒りを二人に向ける。


「「冗談だよ、冗談!」」


 両手を挙げ降参のポーズを取るエドガーとオプト。


「ふふっ、お誘いありがとう。エドガーさん、オプトさん。主人が怖いから今日は止めておきますね。三人とも飲みすぎないように」


「ロン。これだよこれ。お前にゃ勿体ない嫁さんだ。ジェシカは村の女神様なんだから、もっとふさわしい男になんねぇとな! がっはっは!」


「ぐっ…それは残念だが俺も思う。しかし! お前さんらには言われたくねぇ!」


 ボコスカと玄関を挟んでやりあう三人の男達。


「なんかあったら俺達を頼りなジェシカ」


 『それじゃあ、旦那借りてくな!』とキリッと決めるエドガーとオプトに、ジェシカはヒラヒラと手を振り見送る。


「悪いな。少し行ってくる。身体に障るから、何かあっても大きな声を出さなくていい。ここにコップを置いておくから、床に落として割ってくれ。すぐに戻ってくる」


「もぅ。心配し過ぎよ。そんな気にしてたらせっかくのお酒が台無しよ。今日は調子いいし、あなたもたまには気にせず楽しんできて」


 『いや、これだけは譲れない』とロンは枕元にそっとガラスのコップを置いた。


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