最新記事

6:ようやくの礼(ユウラ外伝)

 妙に緊張しながら給仕をする。黙って皿を差し出したが、セトは気分を害した風もなく、「ありがとう」と言った。礼を言わなければならないのはこちらの方なのに。傍に立ったまま、どうしようかと迷ってノタナさんを見遣る。やはり微笑んでいた。


 一口口にしてから、恩人は不思議そうな顔を上げて、あたしとノタナさんを交互に見た。


「どうしたんだい?」


「いや、これ……もしかしてユウラが?」


 名前を覚えてくれていたのか。


「よく分かったね」


「味が違うから」


 ノタナさんに答えて、もう一口。また緊張する。口に合えばいいのだけれど。


「それで?」


「それでって?」


「味」


 聞けないでいるあたしに代わって、ノタナさんが聞いてくれる。間があったように感じたのは気のせいだろうか。喉が渇いた。また一口、そして。


「美味しい」


 頭の中で三度反芻してやっと、褒めてくれたことを理解した。世辞でも嬉しかった。しかし我に返るとどうにも居心地が悪くて、途端居た堪れなくなる。厨房に引っ込んで後片付けでもしてこよう。動こうとしたら、ノタナさんに呼び止められた。


「ユウラ、あんたも立ちっぱなしじゃ疲れるだろう。座りな」


 一から十まで全部見通した様子だ。今さら恥ずかしくなった。


「あたし、後片付けを」


「片づけは私にやらしとくれ。ごちそうになったしね」


 ノタナさんは隣の椅子を引いて、手招きした。断る口実がなくなってしまった。迷った後、おずおずと寄って腰かける。それでもやっぱり、居た堪れない。


 空腹だったのか、完食までは速かった。綺麗に空になった皿に安心する。良かったと思った。


「それで、今日はどんなことづけを頼まれたんだい」


「明日、東支部から白女神祭に向けて何人か応援が来るんだけど、それで厨房の人手が足りない。もし暇があるなら手伝って欲しいって」


「時間は?」


「夕食の時間帯。日暮れごろ来てもらえると助かるんだけど、ちょうど宿も忙しいよな」


「そうだねえ」


 困り顔で腕を組んだノタナさんが、こちらを向いた。


「ユウラ、あんた行ってやってくれるかい?」


「あたしがですか?」


「構わないなら」


 支部の建物は、外からだが、見たことがある。あんなに大きな建物の厨房なら、やっぱり信じられないくらいに大きいのだろう。ここよりも忙しいのだろうか。


「宿は大丈夫ですか」


「あんたが来てくれるまでは何とか私一人でやってたからね。そりゃいてくれた方がありがたいけど、今の時期ここが忙しいのを知って言ってくるんだから、支部は相当人手不足なんだろう」


「それなら、行きます」


 そう答えると、セトは座ったままちょっと頭を下げた。


「助かるよ。ありがとう」


 どうしてそんなに簡単そうに言えるのか。違う、お礼を言わなきゃいけないのはあたしの方だ。そうは思うのに、喉は声を作ってくれない。片手で触れた。脈が速い。そのとき、セトは椅子を引いて立ち上がった。帰ってしまうらしい。


「皿は?」


 問いには、ノタナさんが答えた。


「置いといとくれ」


「じゃあ甘える。ごちそうさま」


 愛想のいい笑みを向けられる。今度はいつ来るのだろう。いや、言うなら今しかないと思った。今でも遅すぎるくらいだ。一度喉を上下させて、おもむろに口を開く。心臓が、内側から鼓膜を叩くように鳴っていて、うるさい。


「あの」


 やっと出てきてくれた声に、しかし、戸惑った。なんて言えばいいのか。セトは立ち止まって、待ってくれている。真っ直ぐに目を見られて、つい顔を背けてしまった。自分の足元を凝視しながら、再び声を絞り出す。かなりの努力が必要だった。弱々しい声になる。


「助けれくれて……その、ありがとう」


 やっとのことで言い終えて、顔を上げた。セトは微笑んでいる。


「どういたしまして」


 とても嬉しげな、でもどこか大人びて見える微笑だった。きれいに笑うなあ、と思った。あのときと同じで、いなくなってしまってからも、それは長いことあたしの網膜から離れなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る