第2章(11歳)
第59話 第二王子ジュリアスのご乱心
瞬間移動で廃墟跡から、マルシャン別邸まで移動させられたクロヴィス。
また廃墟跡まで戻ったところで、アスバークの研究室は見つけられないだろう。かといって、さもここで時間を潰せといわれたように、大人しく邸で知らせを待つ気にもならない。
「まあ、伯爵令嬢を人体実験に使いはしないか」
怪しげな魔術師だが、マルシャン伯爵の娘アリアを正式に招いておいて、そのまま拉致するはずもなく。腹立たしいが、クロヴィスはひとまず息を吐き出すと気分を落ちつかせた。
診察が終われば知らせがくるらしい。魔術師のやることだから、再び奇妙な悪魔が自分の前に出現するのだろう。気味悪いが嫌がったところで抵抗しようがない。
さて、どうするか。
王城には様々な施設があるが、ひとりで動植物園を見学してもつまらないし、図書館や美術館にも、いまは興味がわかなかった。だれか知り合いの別邸に顔を出してもいいのだが、目当ての人物が滞在しているとは限らず、何用で王城に来たのかたずねられても、説明が面倒くさい。
クロヴィスはあてもなく、ぶらぶらと貴族の別邸が並ぶ区画を歩いた。王子宮の近くにある湖でも眺めに行こうかと進路を右に曲がる。と、向こうから青年がひとり歩いてくるのが見えた。
「お、その目立つ髪色はクロヴィスだろー!」
クロヴィスが相手の顔を認識する前に、向こうが先に気づき、大声を出す。その声に、青年が誰なのかクロヴィスにもわかった。
「殿下」
「おい、少しは嬉しそうな顔しろよ。なんだ、そのげっそり顔は」
第二王子ジュリアス・ジャルディネイラだ。
クロヴィスより三つ年上の二十五歳、灰色がかった茶髪をなびかせる色男で、王子のなかでは、いちばん浮ついた噂の多い人だ。気さくな人柄で、王子で唯一、一年間寄宿学校に在籍し、貴族の子息たちと共同生活をした人物でもある。
クロヴィスも学生時代に顔なじみになったのだが、正直苦手としている相手だった。しかし向こうはクロヴィスを気に入っており、学校卒業後も、何かと遊びの誘いを受けることがあり悩みのひとつである。
「久しぶりだな。珍しいところで会う。国境を警備してたんじゃないのか」
ジュリアスはクロヴィスの肩に手を回すと、ぐらぐらと動かす。
「殿下こそ、おひとりで出歩くなんて」
王城内ではあるが規模は広い。外を王子ひとりで歩くなど、不用心なのだが、「王子が城内で襲撃にあうようじゃ、この国も終わりだな」と、ジュリアスは笑い飛ばしてしまう。
「あいかわらず、天使ちゃんだな。女装させて連れ歩きたいくらいだ」
無遠慮に頬をつつく。クロヴィスは「殿下はますますオヤジくさくなりましたね」と顔をそむけた。
「お前の、その遠慮のなさが好きだね。で、どうして王城にいるんだ? おれに会いに来てくれたのかい」
うりうりとひじを押し付けてくるジュリアスに、クロヴィスは「姪の付き添いで」と言葉尻をかすませた。
「姪? あー、ピンクアイか」
「え」
ジュリアスの反応に、クロヴィスは驚く。彼がアリアを知っているとは思わなかったのだ。
「美人なんだってな」王子は片目を閉じた。
「今度会わせろよ、ていうか、付き添うってなんだ。どこにいる、邸にいるのか? よし、行こう。茶を飲んでやる」
肩に腕をかけたまま、さっそくマルシャン別邸に来る気だ。クロヴィスは足を踏ん張って抵抗した。
「いまはいません。というか、姪はまだ子どもなんですけどね」
「子どもでもかまわん、若ければ若いほどいいじゃないか」
「殿下!」
冗談だよ、とジュリアスはクロヴィスの肩をばしんと叩いた。
「でもお前の姪なら、さぞ美人になるだろうな。いまも噂になっているくらいだし」
「噂に? まだ社交界デビューしてないのに」
顔をしかめるクロヴィス。
その様子に、くくっとジュリアスは笑う。
「過保護だな。本当にあのクロヴィスか? 自分以外は全員死ねばいい、って奴だったのに」
もの言いたげな無言の視線に、ジュリアスはますます笑いを深くした。
「いいねー、姪を溺愛するクロヴィス。傑作。これじゃあロザリオが心配になってくるな」
気になることをいう。
「第六王子がどう関係するんですか?」
「どうって……え、お前知らないのか!」
うわあ、とジュリアスは大げさに驚く。
「お前、家族とうまくやってたんじゃないのかよ。またハブられてんのか」
おどけた表情だったが、クロヴィスがむっつりしたままなので、拍子抜けしたようにジュリアスの表情も崩れていく。
「いや、すまん。さっきのは聞かなかったことにしてくれ」
こほん、と仕切り直そうとしたのだが、
「おれは何を知らないんですか」
クロヴィスは聞き逃さなかった。ルビーよりも輝く赤い瞳が自分をじっと見てくる。ジュリアスはしばしそれに見入って、
「お前の目玉。えぐって宝物にしたいな。どうだ、片目を売らんか」
買うぞ、と手の平を出した。クロヴィスは躊躇なく、その手を叩き落とす。
「はぐらかさないでください。何を、失言、した、ん、です!」
ずいっとクロヴィスは顔を近づける。鼻先に息がかかる距離だ。
だから。
ちゅっ、とジュリアスはキスした。
「だあ、くそっ」
クロヴィスは口を拭いながら、あとずさる。
「またしたな! 殿下でも許さねーっていったのに」
「だって、近づくから。してくれってことかと」
肩をすくめる。
「いいじゃねーか。そう怒るなよ。スキンシップだ」
「いやだ。来るな、そ、それ以上近づくな」
クロヴィスは、手を思いっきり伸ばした。必死のようすに、ジュリアスはますます愉快になり、じりじりと近づく。
「なあなあ。おれに可愛がられろよ。よくある話じゃないか、王子の愛妾が男だっていいんだよー」
「いやだ。無理。殿下でも怒るぞ。な、殴るんだからな」
くっ、とこぶしを握るクロヴィス。
昔ならこういうとき、カーマインやスヴェンが助けに来てくれたが、いまはひとりだ。銃を携帯するんだったと、ひどく後悔した。
本当にこの人は苦手だ。王子のくせに馴れ馴れしいというか、ベタベタと近づいてきては、クロヴィスをからかう。こういう人をセクハラ大魔王と呼ぶのだ。
「お前、かわいすぎだろ」
顔を赤くして礼儀と嫌悪に揺れているクロヴィスに、ジュリアスは脱力してしまう。すべて冗談だし、からかっただけなのだが、悪ノリがすぎたようだ。
クロヴィスは堅物ではないのだが、冗談が通じないらしく、いつもむきになって怒る。普段、冷静で表情のとぼしい奴だけに、その姿が面白くて、ついジュリアスはやりすぎてしまうのだ。
「悪かったって、泣くなよ」
「泣いてない」
「いや、この目の端っこが」
「泣いてない」
「わかった、わかった」
ジュリアスはなだめるように手をあおぎ、
「お前さ、士官学校でいたずらされてないだろうなあ」と眉をよせる。
「心配になってきたわ。おれの愛妾だって広めといてやるよ。そうしたら、誰も手だししないだろうから」
「もう学校は卒業しましたっ」
「ああ、そうだったな。じゃあ、軍でもいたずらされないように、おれがきつーく周りにいっとくから。な、王子を頼りなさいよ」
「変な噂を立てられたくない」
まだ毛を逆立てた猫のように警戒して、ジュリアスと距離をとろうとするクロヴィス。ジュリアスは悲しくなってきて、懇願するように首をすくめた。
「いいじゃねーか、べつにガールフレンドもいないんだろ? お前、女嫌いだし」
「男だって嫌いだ」
「はいはい。でも姪は好きなんだよなあ。あと、おれのことも?」
「でーきれーだ」
いちおう第二王子なのだが、とジュリアスは苦笑する。他人がきいたら不敬罪で投獄になるというのに、クロヴィスは「近づくな、ツバ吐くぞ」と脅しまでかけてくる。
「お前のツバならかけられたい」
きゃっとはしゃぐ。
「気持ち悪い! 変態、病気持ち、あっちいけ!」
「おい、落ちつけって。おれ王子だかんな、口を慎めっての」
降参のポーズで両手をあげ、「ほら、何もしねーから」とジュリアスはなだめた。しばらくにらみつけていたクロヴィスも、ややあって落ちつきを取り戻す。
「ああいう冗談は好きじゃない」
「わかってる。久しぶりにお前を見て楽しくなっちゃって」
「楽しくない。もう二度と殿下には会いたくない」
……島流しになればいいのに、とつぶやくクロヴィス。聞こえているぞ、とジュリアス。
「おれはお前が好きだな。気に入ってる。最近じゃあ、ガキですらおれに委縮してペコペコしてくるだよ。楽しくねーよ。お前の無遠慮が本当恋しいわ」
「私のことは忘れて下さい」
つれないクロヴィスなのだが、
「なに、顔引きつらせてんだよ。そういうところがたまんねーなあ、もぅ」
また、じゃれつこうとにじりよったところで、
「そうか!」と何かを思いついたらしく、ジュリアスの顔がぱあっと輝く。
「何です?」
またセクハラしてくるのかと、身を引くクロヴィスの肩を、ジュリアスは強引に引き寄せた。
「お前、国境警備は楽しいか?」
「楽しい、か、どうかは」
今のこの状況よりは、多分に楽しい。少なくとも、セクハラ王子はいないのだから。しかし、クロヴィスが言葉に迷っているうちに、ジュリアスは、
「だよな。辺ぴなところだし、王都から遠いしな」
にやあ、とたくらみの笑みを浮かべる。
クロヴィスはオオカミに捕まった羊の気分を味わって、珍しく恐怖に身をすくめた。
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