第23話 地下研究所

「桜井・・・桜井章一郎なのか?」


水落圭介は、その何者かに訊いた。声は震えている。


それは桜井章一郎が生き残っていた・・・驚きのせいなのか、


それとも、言い知れぬ悪い予感が生ずる恐怖からなのか。


10メートルぐらい距離があっても、


桜井章一郎の姿が変貌していることは、見て取れた。


だが、その顔形には、以前の見知った桜井章一郎の面影が残っている。




 肌は灰色がかっており、顔はかつての面影を残しつつも、


鼻口、頬、顎などの隆起は、ただれ、そしてぬめっている。


両の眼窩は落ち窪み、その周りは黒ずんでいる。


両目はいぶし銀の硬貨をはめ込んだ様に、ライトの光を反射した。




間違いない―――。桜井章一郎は化け物に変貌している。




桜井章一郎の肩には、黒い登山用リュックが背負われていた。


片方のストラップは外れていて、もう片方の肩にぶら下がっている。


 桜井章一郎(いやかつて彼だったもの)が、口を開いた。


銀色の歯が、ずらりと並んでいる。その口の端からは涎が糸をひいて垂れていた。


彼はトレッキングシューズを履いたままだった。


それで、いままで遭遇した化け物と違って、濡れた雑巾を叩きつけるような、


ペタペタという音を立ててはいなかった。


それ靴音が、彼が化け物ではなく、人間であるような、妙な錯覚を圭介に感じさせた。


だが、シュッシュッというような、


蛇が威嚇するときに出すような呼吸音は、人のそれではない。


彼が近づいて来るにしたがって、他の化け物と同様の悪臭が漂ってきた。


それは腐った生ゴミのような、放置され腐食された動物の死骸のような臭いだ。




「あれが、探してた行方不明の桜井章一郎さんなの?」


 隣で、有田真由美が震える声で訊いてきた。




「ああ、たぶん・・・いや間違いなく彼だ」


 水落圭介が、確信を持って答える。




「でも、どう見ても化け物じゃない。


今まで、あたしたちを襲ってきたのと同じ・・・」




 背後で、斐伊川紗枝が怯えた声で言った。




「桜井!・・・オレだ。水落圭介だ。わかるか?」




桜井章一郎だったものは、返事の代わりに耳まで裂けるように口開く。




シャァアアアアアッ!




「だめだわ。完全に化け物になってる」


 圭介の隣で、有田真由美が三八式小銃を構えた。




 化け物に変貌した桜井章一郎は、突進してきた。


腐臭が空間を押しのけて近づいてくる。


有田真由美が発砲した。素早くボルトを引き、次弾を発射する。


化け物と化した桜井章一郎の頭部に命中するが、


少しよろめいただけで、さらに向かってくる。


圭介も身構えた小銃を発砲する。だが、ためらいがあったのか、


1発目はそれた。ボルトを引いて、今度は気を取り直してトリガーを引く。


今度は頭部に命中した。桜井章一郎の後頭部が、


射出口となって頭蓋のほとんどを粉砕した。


そこでようやく、桜井章一郎だった化け物は膝から崩れ落ちた。




発砲時の轟音が、狭い廊下に反響する。


その衝撃で、圭介と有田真由美、他のふたりも頭が痺れたようになる。




コンクリートの床に倒れた、桜井章一郎はピクリとも動かなくなっていた。


水落圭介、有田真由美は三八式小銃の銃口を向けたまま、


用心深く桜井章一郎に近づいた。さっきの黒いかぎ爪の化け物の例もある。


完全に死んでいるとは限らない。


有田真由美は、チノパンの後ろから南部十四年式拳銃を取り出すと、


とどめとばかりに、桜井章一郎のわずかに残った頭部に撃ち込んだ。


 水落圭介は、そんな有田真由美を驚いて見つめた。


だが、その気持ちもわかる。化け物に傷つけられて、


もし感染していたら・・・という気持ちが、


憎しみに変わっていても不思議ではない。


 有田真由美は、それでも安心できないのか、桜井章一郎の体を小銃で小突く。


何の反応もない。完全に死んだようだ。水落圭介は、その死体にゆっくりと近寄った。


コンクリートの床に、投げ出された桜井章一郎の背負っていた、登山リュックを調べてみた。




 中身は乏しいものだった。携帯食料が2つ(何かの缶詰らしいが、


ラベルがひどく腐食していて判読できない)。


それと丈夫そうな全長40センチほどのピッケル。これは使えそうだ。


暗闇でまさぐっているうちに、何かが手に当たった。手帳だ。


それも本革カバーのB6サイズの立派なもの。


水落圭介は口にマグライトをくわえて、ページをめくってみた。


そのほとんどが、スケジュールとなんでもないメモだったが、


無地のフリーページに、圭介は注視した。




 それこそミミズがのたくったような文字で、かすれかけたボールペンで書かれていて、


判読が難しかったが、何とか読もうとする。乱筆過ぎて、ところどころ判読不能だったが。




『噛まれた、何者かに。あれはなんだ?・・・人ではない何か・・・(判読不能)傷口が痛む。


 3日目に・・・(判読不能)肌の色・・・(判読不能)


 変わっていくこの変化は・・・(判読不能)意識が別人格を・・・(判読不能)


 早く・・・(判読不能)わくちんがあるはず・・・(判読不能)』




 この後は、とても文字とはいえる物ではなかった。


チンパンジーに書かせた方が、まだマシだ。


だが、このメモからわかることは、やはり化け物には感染力があるということだ。


桜井章一郎もそれに気づいて、その抗体を探していたに違いない。




「これって・・・わくちんって書いてあるんじゃない?」


横から覗き込むように、手帳を読んでいた有田真由美が言った。




「たしかに わくちんって書いてあるようだ」圭介も同意した。




「ワクチン?どういうこと?何の?」


 何も知らない斐伊川紗枝が、横槍を出す。


そんな彼女を無視して、有田真由美がその瞳をきらめかせる。




「この先にある研究室にあるのかも」




水落圭介は小手川浩を見た。暗くて細かい表情は読めないが、


浮かない顔をしているように思える。


彼のその表情は、有田真由美ほど期待しているようには見えない・・・。




「とにかく研究室に急ごう」


 水落圭介は、落ち込みそうになる自分の意識を払拭するように、


他の3人に言いながら、マグライトで廊下の先を照らした。


そこには階下の研究所に続く、階段があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る