第8話 上陸

「さっきまで、いい天気だったのに~」斐伊川紗枝のぼやく声が聞こえた。


 まだ、ピクニック気分なのか。水落圭介は苦笑した。


こっちは天候を理由に、港に引き返すと所沢宗一が言いかねないと思い、


内心ひやひやしているというのに。




次第に島の全体が見えてきた。


幅500メートルほどのこじんまりした海岸が見える。


さして奥行きはないが、


きめ細かい粒の砂浜だ。漁師からも怖れられている、


『名無しの島』のイメージとはそぐわないな、と圭介は思った。


ただ、その海岸以外は断崖が続いている。


まるでこの島自体が人の来訪を拒んでいるかのようだ。


 島はその中央を頂点に、なだらかな斜面を左右に広げている。


見たところ、西側が幅も狭く急な感じだ。


それに比べて東側はゆるやかな角度を描いている。


その島全体を、南の島らしい、うっそうとした樹木が、


場所を奪い合うように繁茂している。


先ほどより、『はやぶさ丸』が左方向に傾き始めたように感じる。


確かに潮の流れは速そうだ。船は大回りして、島の裏側へと回り込む。


気になった水落圭介が、操舵室の所沢宗一に声をかけた。




「どうして、大回りするんです?」




 その質問に、所沢宗一は面倒臭そうに答える。


数本目かのたばこの吸殻を、右手の親指と人差し指で海に弾き飛ばす。




「この島はな、南東に大きな岩棚があるんだ。


下手に近づくと、座礁しちまうんだよ。


 逆に北西には、そんな浅瀬は無え。


それにおあつらえ向きな岩場があってな。


 天然の船着場になってんだ。といっても、


 この島にまともに船付けできるのは、


そこしかねえんだけどよ」


 所沢宗一はそう言うと、


上着の胸ポケットからショートホープの箱を取り出すと、


手首のスナップを効かして1本を抜き出した。


その1本を口にくわえると、


100円ライターでチェーンスモークする。




「なるほど・・・」


 圭介は、所沢宗一の説明に納得した。




 それから2時間近くかかって、


『はやぶさ丸』は島の裏側へ回りこんだ。


水落圭介は空を仰ぎ見た。前よりさらに、暗雲が低くなったようだ。


そんな圭介が不安げに見えたのか、操舵室から所沢が声をかけた。




「この島に来るとよ、決まって天気が変わるんだ。


 こんなどんよりとした天気によ。まあ、偶然だと思うがな」




『はやぶさ丸』は『名無しの島』に北西から近づいた。


そこで水落圭介は目を見張った。


南東の方角から見た光景とは、まるで違う。


島を巨大なフォークで切り裂いたように、斬り立った断崖が続いている。


 おそらくは波による侵食だとは思うが、その姿は


『名無しの島』にふさわしい、不気味な雰囲気だった。


こんな険しい断崖のどこに、船を付けられる場所があるのだろうか。




「見る角度によって、まったく違う顔をしてるんだな。


 この島は・・・」


 そう言ったのは井沢悠斗だった。いつの間にか、


圭介の傍に井沢が立っていた。


彼も水落圭介と同じように、この島の異様な雰囲気を感じとっているようだ。


井沢は首に掛けていた双眼鏡を島に向け、接眼鏡に両目を付けた。




「それに、かなり深い森林だ。小さな島なのに、植物の多様性も多い。


 アマゾンのミニチュア版だな」




 井沢悠斗は双眼鏡から目を離すと、水落圭介に笑いかけた。


その表情には、楽しんでいるような色が浮かんでいた。


さすがは数々の冒険を成し遂げてきた人だと、圭介は思う。


他の3人・・・有田真由美と小手川浩、そしてあの能天気と見える


斐伊川紗枝ですら、この『名無しの島』の圧倒されるような


不気味さに感化されているのか、どの顔も怯えに似た表情をしている。


何度もこの島に訪れているはずの、


所沢宗一さえも不快な顔色を隠せずにいる。


そんな中で、井沢悠斗だけが、この探検に胸を膨らましているように見えた。


 『はやぶさ丸』は、一見、断崖だらけの方向に向かっていく。


水落圭介は操舵室の所沢宗一を見る。彼は何の躊躇も無く、


船首を断崖に近づけていく。


島に接近するにつれ、波は上下左右に荒くのた打つ。


船も大きく揺れて、どこかに掴まっていないと転倒しそうだ。


しばらくそんな航行を続けていたが、突然、それまでの荒波が嘘のように静まり返った。


船の真下は海底までの深度が大きいのか、


『名無しの島』の岩場の付近は凪が穏やかだった。


所沢宗一は、『はやぶさ丸』の側面を、平らな岩場ぎりぎりの所まで


横付けした。そして、操舵室から出ると、碇を降ろした。




「それで、あんたらを迎えに来るのは何時間後だ?


それまで、この辺りを流しておくからよ」


 所沢宗一はぶっきらぼうに、水落圭介に訊いてくる。




「あの5日後のこの時間に来てもらえますか?」


 そう言いながら、圭介は腕時計を見る。午後2時を少し回ったところだ。


その返事を聞いた所沢宗一は、呆気にとられた顔した。


くわえたタバコを落としそうなほど、口を半開きにしている。




「おい、正気か?この島に5日間も・・・」




「ええ、桜井さんを探し当てるのに、それぐらいはかかると考えてますので」


 水落圭介は言いながら、背後の断崖を見渡した。




「正気の沙汰じゃねえ・・・。やめとけ、そんな無茶は」


 所沢宗一の口調は一変して、説得しているように聞こえる。


それに気のせいか、震えているようにも感じた。




「お気遣いはありがたいのですが、私たちも仕事で来てますので」


 そう言ったのは有田真由美だった。




「勝手にしろ」


 所沢宗一は言いながら、岩場まで渡し板をかけて、


船を早く降りろと顎をしゃくった。


5人はリュックを背負うと、『はやぶさ丸』から渡し板を慎重に歩みながら岩場に渡った。


岩場に渡ると、無数のフナムシが這いずり回っていた。斐伊川紗枝はそれを見て、


小さい悲鳴を上げた。やれやれと水落圭介は、呆れ顔で思った。この程度で動揺していては


この先、思いやられる。




「では、5日後のこの時間に、迎えをお願いします」


 水落圭介は念を押した。




「それまで、あんたらが生きてたらな・・・」


 所沢宗一が、水落圭介たちに背を向けながら


小さな声でつぶやくのを、圭介は聞いた。




 所沢宗一は碇を揚げた。


後は水落圭介たち5人の姿を振り返ることなく、船は島から離れだした。


見る見る『はやぶさ丸』の船影は小さくなっていく。


圭介は急に心細さを感じ始めた。


本当にこれで良かったのか。この選択に後悔することはないのか・・・。




「さて、早速出発しよう。時期に夜になる。


まずはベースキャンプの場所を探さないと」


 井沢悠斗の力強い声が、背後から聞こえた。

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