名無しの島 Anonymous island

kasyグループ/金土豊

第1話 依頼

東京都千代田区一番町の通りに面する、


8階建ての雑居ビルの3階と4階のフロアにある出版社、草案社。


築40年を越える古びた雑居ビルだが、出版社や編集プロダクションの集まる


千代田区では、ごくありふれた建物だ。


その草案社が出版している、月刊ミスト編集部に水落圭介は呼ばれた。


水落圭介は現在30歳で、フリーのルポライターを5年やっている。


都内の私立大学文学部を卒業した後、


ある大手出版社のライターを5年ほど経験した後は、


フリーに転向した。




いろんな雑誌から依頼があるが、月刊ミスト編集部の仕事も


その一つだ。月刊ミストは、国内外の不可思議な事件・事象など、


オカルト的なネタを主に売りにしている雑誌だ。


未確認飛行物体、いわゆるUFOから心霊現象、都市伝説に


未確認生物UMAなど、バラエティ豊かな内容の雑誌だ。


発行部数は12万部。部数は決して多くは無いが、


コアなファンに支持されている。


この日も、何かの取材の依頼だろうと、水落圭介は思っていた。


月刊ミスト編集部は3階にあった。


水落圭介はエレベーターを使わず、階段を登った。狭い廊下を少し歩くと、


右手に月刊ミスト編集部がある。


鉄扉には小さな文字で月刊ミスト編集部とステンシルされている。


水落圭介は、その重い鉄扉を開けた。編集部は10平米ぐらいしかない狭さだ。


1フロアは十分な広さではあるが、他に5誌の雑誌編集部が、


パーテーションで仕切られていているためだ。


月刊ミスト編集部の机は4つ。


その内、2つには男性編集者が座って、パソコンを見つめながら


キーボードを忙しく叩いている。




 くすんだ灰色の壁にはカレンダーや


ホワイトボードが置かれ西の壁際には大きな本棚があって、


ミスト誌のバックナンバーや、資料と思われる書籍が整然と並べられている。


そして、一番奥まった窓際を背にして、月刊ミストの佐藤編集長のデスクがあった。


デスクの上には使い込まれて、キーボードが所々黄ばんでいる


A4サイズのノートパソコン、


ペン立て、その他、取材ノートのような冊子が20冊以上も積み上げられている。




最初、佐藤編集長は水落圭介の来訪に気付かず、


椅子に座ったまま、銀縁の眼鏡越しに、窓から見えるビル街を眺めていた。


紺のスーツに、よれよれにくたびれたグレーのネクタイ。


原稿の入稿前で徹夜でもしたのか、


まばらに白いものが混じっている無精ひげが少し生えている。




「佐藤さん、水落です」


 水落圭介は佐藤編集長の背後に声をかけた。


佐藤編集長は少し驚いたが、


椅子を半回転して圭介の顔を見て複雑な笑顔を見せた。


見ようによっては無理に笑顔を作っているようにも見える。


 おや?と圭介は思った。普段の彼とどこか様子が違う。


佐藤編集長は身長175センチ、50歳を少し越えた男だが、


少々メタボな体型をはずせば、


角刈りの髪は、定期的に染めているのか黒々としており、


年齢相応の顔のしわはあるが、快活で昨今の根暗な若者より、


はるかにエネルギッシュで、バイタリティがあり、快活な人物なのだ。


その佐藤編集が、浮かない表情をしている。


仕事の依頼で、こんな顔をする編集長は初めてだ。彼らしくない。




「水落君、まあかけたまえ」


 佐藤編集長は、どこか暗い面持ちで水落圭介に対して、


デスク前の事務用チェアをすすめた。


圭介はそのチェアに座り、背もたれに仕事用のショルダーバッグをかける。




「ちょっと面倒な仕事になるかもしれないが、引き受けてくれないか?」


 佐藤編集長は開口一番、水落圭介の目を見据え、強い語気を込めて言った。


その言葉を聞いて、今までタイピングしていた二人の編集者の手が、一瞬止まる。


圭介は背中に、二人の編集者の視線を一時いっとき感じた気がした。


どこかいつもの雰囲気とは違う。


だが、二人はすぐに何事も無かったかのように、仕事の作業に戻った。




「はあ、それは仕事の内容次第ですが・・・


 僕にできるような仕事なら、喜んでお引き受けしますよ」


水落圭介は、その暗い雰囲気を払拭するような、努めて明るい声で言った。




「単刀直入に言う。実はある島に取材に行った記者が、


  2週間前から行方不明でね。


 その記者っていうのが、キミも知ってる桜井君だ。」


 佐藤編集長の口調は重い。両手を組み合わせて、


親指で眉間を擦っている。それは佐藤編集長が動揺している時のクセだ。




桜井章一郎のことはよく知っていた。


何度か、取材にも同行したこともある。


彼は水落圭介と同じ30歳で、都市伝説などオカルト的なことが、大好きな男だ。


特に未確認生物には造詣の深い男で、


存在の可能性が高いと判断したUMAの噂を聞きつければ、


日本のツチノコやヒバゴンは元より、世界各国どこでも取材に行く男だった。




過去にもアメリカおよびカナダの山岳地帯に


生息するといわれるビッグフットやイギリス、


スコットランドのネス湖に棲息するというネッシーなど


誰もが知っている有名なものから、


モンゴル北部のゴビ砂漠の地下に生息しているというモンゴリアンデスワームという珍種?の


取材に行ったほどのUMAフリークである。


 その点で言えば、この月刊ミスト編集部に就いたのはまさに


天職を得たというところだ。


その桜井章一郎が行方不明?2週間も?


取材中に?いったいどこで?




「行方不明って、その島の場所はどこなんです?


警察へは捜索願いを出したんですか?」


水落圭介は率直なことを訊いた。




「ああ、出したよ。でもその島って言うのが、


 遠方でね。地元の警察も積極的に動いてくれる気配は無い・・・」


 佐藤編集長はため息混じりに言った。




「でも、その島で行方不明になったんでしょ?


だったら、レスキュー隊とか動かせるんじゃ・・・」


 水落圭介は少し前のめりになって訊いた。




「それがそうもいかんのだよ。


 そもそも桜井君がその島で行方がわからなくなったっていう証拠が無い。


 最後に連絡があったのは鹿児島県のホテルからでね」


 佐藤編集長は、また深いため息をついた。




「鹿児島・・・?それで、


僕に桜井君の行方を調べてくれということですか?」




「そうだ。引き受けてくれるか?」


佐藤編集長は懇願するような視線を、圭介に向けた。


いつもお世話になっている編集長の頼みだ。水落圭介は無下に断ることはできなかった。


それに行方不明になったのが、友人の桜井章一郎なら、なおさら放っておけるはずもない。




「わかりました。やってみます」


 水落圭介は、ふたつ返事で応えた。




「そうか!ありがとう」


佐藤編集長は立ち上がって、圭介の両肩に手を伸ばした。彼の表情に、


わずかだが明るさが戻ったようだ。




「それで、その島の資料はありますか?」




「勿論だ」


佐藤編集長は傍らにある、うず高く積まれている資料の中から、


バインダーで閉じられた冊子を取り出した。


その拍子に、数冊の資料が床に落ちたが、


佐藤編集長は気にも留めず、言葉を続けた。




「これが桜井君に提出された資料のコピーだ」




水落圭介は手渡された資料をパラパラとめくった。


何枚かの写真もレイアウトされている。


どこかの漁港の写真と、遠目から撮影したと思われる例の島の写真だ。


その島の写真は、船上から撮影されたのか、左に傾いていた。


紺碧の波の彼方に、暗緑色の島影が写っている。


空はどんよりとした暗雲が垂れ込めている。


圭介は資料を見ているうちに、興味を持ち始めた。


その島の名前が奇妙だったのだ。




 その島の名は『名無しの島』と記されていた―――。

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