銀子と僕と自己肯定

まきりょうま

第1話 銀子

「銀子」は、彼女の本名ではない。ファミレスのバイト仲間が、彼女につけた“あだ名”だ。

 銀子は毎晩、22時に一人で店に現れる。ドリンクバーだけ頼み、何杯もお代わりする。一人きりで、とっても寂しそうな表情をする。視線を店内に、あてもなく漂わせる。まるで、今にも泣き出しそうだ。

 銀子は、正確には金髪だった。けれど、なぜかまだらに、銀色の髪がたくさん混じっていた。お世辞にも、センスは良くない。銀髪があまりに目立つので、彼女は銀子と呼ばれた。

「A 10卓、ボロミト二つ!」

「はい!」

 ぼおっと銀子を見ていた僕は、慌てて返事をした。ちょうどボロニア風ミートソースが、厨房から上がってきたところだ。急いで、お客さんの席に運ばねば。

 僕は、浦田進(うらたすすむ)という。高校二年生だ。学校はバイト禁止だが、内緒で働いている。勤務時間は、17時から23時まで。ディナータイムなので、仕事はなかなかハードだ。僕は、月水金の三日、この店で働いていた。

「銀子、今日も来てるな」大竹さんが、厨房から僕に話しかけた。

「はい、来てます」

 大竹さんは、大学四年生だ。190cm近い長身でスマート、バスケの選手みたいだ。でも、彼は理工学部の学生で、研究ばかりしている。加えて、ただ今就職活動で苦戦中だ。

「友達は?」厨房の奥から、今度は斉藤さんだ。

「銀子の、ですよね」

「うん」

「今夜は、まだですね」と、僕は答えた。

「23時過ぎたから、そろそろでしょう」と、ウェイトレスの範子さんが言った。彼女は、23時で上がりだ。

 斉藤さんは、経営学部の二年生。大竹さんほどではないが、彼も長身だ。おまけに彼は、筋肉も横幅もたっぷりあった。学校のラグビー部で、フォワードを務めている。試合の後は、いつもまん丸の顔が傷だらけだった。

 範子さんは、短大の二年だ。小柄で、ボムカット。顔は十人並みだったが、彼女には強力な武器があった。胸からこぼれ落ちそうな巨乳である。「おっぱい星人→巨乳好き」の大竹さんが、彼女を狙っているとみんなの噂だった。範子さんも、就職先が決まっていない。


 銀子は毎晩、この店で女友達二人と合流する。派手な化粧に、扇情的な服を着た女の子たちだ。おそらく、駅前の歓楽街で働いているのだろう。友達に会うと、銀子はにっこりと笑った。彼女はしばらく、友達と四方山話に興じる。深夜1時か2時まで話し込んで、それから店を出ていくのだった。

 銀子は、高校一年か二年に見えた。僕は勝手に、銀子を同級生と決めつけていた。僕は、彼女の気持ちがよくわかった。彼女は家にいたくないのだ。何か事情があるのだ。それは、僕も同じだった。真夜中まで働いているのは、寝静まった家に帰れるからだ。家族と顔を合わせずに済むからだ。

 今夜の銀子は、友達と1時半に店を出た。これから、友達の家に行くのかもしれない。あるいは、男のところに行くのかもしれない。そんなことは、彼女の勝手だ。だけど、と僕は考えた。然るべき時が来たら、もしチャンスが訪れたら、銀子にあることを伝えたい。僕は、そう考えていた。ずっと前から。


 ファミレスの深夜は、暇だと思うだろう。残念ながら、それは間違いだ。24時間営業のファミレスは、深夜にありとあらゆる食材が届く。冷凍食品から、肉類、野菜、フルーツ、パン類、各種ジュース、各種アルコール類、・・・。要するに、夜中のうちに補給しておくわけだ。補給して、明日の営業に備える。

 深夜勤務のアルバイトは、通常の業務をこなしながら大量の納品に対応する。

「フライドポテト、xx袋、冷凍牛肉、vvKG、・・・」といったいった調子だ。

 店内にある厨房は、お客さんから見えない。わずかに見えるのは、厨房の端にあるアルコールの各ボンベだけだ。その厨房から壁を隔てた奥に通路があり、そこに巨大な冷凍庫、冷蔵庫がズラリと並んでいる。食材納品の際は、主にこの通路で働くことになる。

 この店では、深夜勤務はウェイターひとり、厨房ひとりである。二人で食材の納品対応はつらい。それでいつのまにか、勤務を終えたアルバイトが店に残るようになった。無償で、納品の手伝いをしてあげるのだ。今夜ならば、24時に深夜勤務者が出勤してくる。大竹さんか斉藤さんか、僕が店に残る。

 大竹さんも斉藤さんも、自分が深夜勤務のとき誰かに手伝ってもらっている。だから、その恩返しになる。僕は僕で、家に帰らずに済む。こうして、この店は回っていた。

 無償の手伝いには、実は大きな理由があった。冷蔵庫・冷凍庫前の通路が、若者の溜まり場となっていたのだ。勤務の予定がない者も、店に顔を出すようになった。通路にちゃちな丸椅子をいくつも並べ、朝も晩も若者らしいバカ話をしていた。この通路にいると、僕らは孤独感をいっとき忘れることができた。この店の存在は、僕らにとってとても大きかった。

「ねえ。銀子、また痩せたよね?」範子さんが、僕にそう言った。

「そうですか?」

「痩せたよ」範子さんは、そう力を込めた。

 銀子は、もともと痩せていた。おかっぱ頭に面長の顔、一重の目、小さな口。鼻筋はすらっとしていたが、全体的にとても地味だった。彼女はいつも、グレーのスウェット地の上着を着ていた。胸には、黄色いひよこがプリントされていた。着古して、あちこちがほつれていた。下はたいてい、ベージュのフレアスカート。彼女はあまり裕福ではないようだ。

「俺も、痩せたと思う」と、厨房から斎藤さんが同意した。

「そうでしょ!」範子さんは、賛同者が現れて目をキラキラさせた。

「ヤリすぎだな、多分」と、斎藤さんは続けた。彼は、ニヤニヤ笑っていた。

「バカッ」範子さんが、ティッシュの箱を投げつけた。でも、斎藤さんは余裕で避けた。

 斎藤さんは、皮肉屋だった。下ネタを混ぜて、範子さんをからかうのが好きらしい。二人は店内で、いつもケンカしていた。

「いつもの話に戻るけど、銀子は学校行ってないね」と、大竹さんが醒めた調子で言った。

「あの髪じゃ、学校は許しませんよね」と、僕は同意した。

「昼間、働いてんのかな?」大竹さん。

「あの髪で、許してくれる職場だよね。かなり、限られるよね」と、範子さんは言った。

 僕たちは今、お客さんから見えない場所にいた。僕と範子さんはアルコールのボンベの前に立ち、厨房を向いていた。大竹さんと斎藤さんは、厨房のコンロやレンジから離れて、僕たちのそばに立っていた。四人は額を合わせて、小声で話し合った。

 呼び出しブザーが鳴れば、出て行けばいい。それに厨房には、店内を各角度から撮影するモニタもあった。不審者は、それでチェックすればいい。僕らはこうして、店内をほったらかしにしてダベっていた。新たな仲間が来れば、冷凍庫・冷蔵庫前の通路に移動する。丸椅子に座って、際限なく話し合う。もちろん、食材の納品をこなしながら。

「おはよう」と言って、裏口のドアから下田さんが入ってきた。

「おはようございます!」みんなが丁寧に、彼に挨拶した。

 下田さんは今年の春、電話会社最大手に就職した。今は就職氷河期だけれど、下田さんは超難関国立大生だった。だから引く手数多(あまた)だったそうだ。彼は、コロコロと太っていた。それから、とても優しい目をしていた。同じ巨漢でも、ラグビー選手の斎藤さんとは大違いだった。斎藤さんの目は、いつも冷ややかな光を放っていた。

 下田さんは典型的なゲーマーで、休日はトイレ以外モニターの前から動くことはないそうだ。冷蔵庫、電子レンジ、コーヒー・メイカー、空気清浄機、・・・。みんな、手の届くところにあると言う。それから灰皿も。彼は、最近珍しくなったヘビー・スモーカーだった。

 この店は、多くの24時間営業の職場と同じで、朝から晩まで「おはよう」と挨拶するのが決まりだった。下田さんは就職したのに、まだこの店の癖が抜けていなかった。

 下田さんが来たので、僕らは冷凍庫・冷蔵庫前の通路に移動した。本格的な夜の始まりだ。もう、店などほったらかし。椅子を並べて、おしゃべりを始める。23時30分を過ぎたけど、範子さんはウェイトレスの格好のままだった。

「大ニュースだよ」と、下田さんはニコニコしながら言った。

 最初のうちは、彼の仕事について話していた。下田さんは、電話会社のシステム部門の子会社に出向していた。電話業務に関係なく、あらゆる分野のシステムの仕事を受けいている。業務は激務だそうだ。彼はひとしきり、仕事内容と会社と先輩の悪口を話したところだった。それから彼は、大ニュースについて語り始めた。

「何!?どうしたの?」すぐ食いつくのが、いつもの範子さんである。

「銀子の素性が、少しわかったんだよ」下田さんは、さらに小声になって言った。

「ええっ!?」みんなも、小声で驚いた。

「うちの母親がさ、区の保護観察官の手伝いをしててさ」と、下田さん。

「うん」みんなを代表して、範子さんがうなずいた。

「母親が家庭訪問するリストに、銀子の名前が載ってるんだ」

「なんで、なんで?どうして?」

「銀子は、万引き常習者なんだそうだ。家庭裁判所で保護観察処分を受けてる身らしい」

「銀子が?あの子が、悪いことすると思えなーい!」とショック気味の、範子さん。

「おい、声が大きいよ!」すかさず、斉藤さんが注意した。

「銀子はね、小さい頃に両親が離婚したんだって。ずっと、お父さんと二人暮らしてたんだけど、二年前にお父さんが再婚してね。銀子はその継母と、上手くいってないらしいんだ」

 僕は頭の真上から、巨大なハンマーで殴られた気分になった。自然に、呼吸が苦しくきた。心臓が激しく高鳴った。みんなに悟られまいと、僕は椅子を後ろに引いた。

「なんか、非行に走る典型ぱたに聞こえますね」と、大竹さんは下田さんに言った。

「そうなんだ」と、下田さんはうなずいた。「こっからさ、甲州街道を右に行くとさ、五階建の低所得層向けの団地があるだろ?」

「この店から、結構距離ありますね」と、斉藤さんは答えた。僕は、その場所を知らなかった。範子さんは知っていた。

「母親が俺にさ、『お前が働いてたファミリー・レストランに、真夜中若い子が来ていただろう。髪を、金髪に染めた子』って言うんだよ。『知ってるよ』って答えたら、『あれは、可哀想な子だよ』って言うんだ」

「何が、可哀想なの?」と、範子さんが聞いた。

「母親によるとさ。銀子と継母は、もう修復不可能な関係らしい。母親が、銀子と直接話して聞いたんだ。最初は銀子が、継母から逃げて回った。家に夜中まで帰らず、継母と会話はもちろん、食事も、お金も拒否したらしい。すると継母も怒り出して、家に銀子の居場所をなくしたらしい」

「父親は、どうしてるんですか?」と、斉藤さん。

「お父さんは、その継母に頭が上がらないそうだ。銀子が万引きで捕まっても、継母の言いなりだったらしい」

「それじゃ、出口ないじゃん!」範子さんは、また大きな声を出した。

「お父さんは、長距離トラックの運転手。お母さんは、○友の生鮮売り場で働いているそうだ。銀子は、継母のいない昼間だけ家にいる。そして、継母が帰る前にこの店に来るわけだ」

 僕はいつの間にか、下を向いていた。フロアの床を見つめ、ギリギリと歯ぎしりしていた。銀子の話を、聞いているのはつらかった。でも、聞かずにはいられなかった。僕は全身に痛みを覚えつつも、真実を知ろうと耳を傾けた。

「それで、次が極め付け」と、下田さんが言った。

「何ですか?」今度は、大竹さんが口を出した。

「銀子は、まだ中学二年生なんだよ」

「ええっ・・・?!!!」

 言葉を失うとは、このことだ。みんな銀子は、もっと年上だと思っていたのだ。長い沈黙が、あたりを包んだ。

「銀子の本名は、山根樹里。〇〇中学校の生徒だけど、一年の終わりから、ほとんど学校に行ってないそうだ」と下田さんは言い終えると、彼も沈黙に入った。

「気の毒だけど」斉藤さんが、醒めた調子でみんなの沈黙を破った。「銀子と似た境遇の人は、この世にゴマンといるでしょう」

 服はまた、頭を何かでぶん殴られた。とても強く。僕はこの店で、自分の身の上を明かしていなかった。

「それは、そうだ」と、下田さんが同意した。

「同じ境遇で、コケるもコケないも自分次第か」と、大竹さんがつぶやくように言った。

「私はヤダよ。そんな、見捨てるような言い方!」範子さんは、少し怒っていた。

「銀子と一緒にいる友達だけど、やっぱりキャバクラの店員だって。高校出て、二人とも水商売に入ったそうだ」と、下田さんが付け加えた。

「その二人が、今の銀子の親友なのね」と範子さんは言って、アルコール・コーナーに戻った。そこからなら、銀子と友達が見えた。銀子は、とても楽しそうに笑った。まるで、一日分の喜びをここで全部味わおうと言うように。明日が来ることを、笑いで否定するかのように。


「範子。もう、24時近いぞ。そろそろ帰れよ」と、下田さんが言った。

「そうだね。でも、今夜は寝れないよ」彼女は、必死に携帯をいじっていた。多分この店で働く、郁美さんと温子さんに連絡しているのだ。銀子の、新事実を。

「おはようございまーす」

「おはよう」

 深夜勤務の片野さんと、店長が入って来た。今夜はこの二人で朝までだ。片野さんは、浪人生。二浪している。小柄で、どこか影のある人だ。バイトをするか、この店の仲間と遊びまわるかで、さっぱり勉強している気配がなかった。

 範子さんは、更衣室に向かった。厨房では四人の男が、業務の引き継ぎをした。でも店内は、銀子と友だちたちだけだ。引き継ぐ事なんて何もなかった。

「進。帰んないの?」着替えを終えた、範子さんが僕に聞いた。彼女はいつもの、ブルー・ジーンズ姿だ。上は、ニットの薄手のセーター。Vネック。嫌でも、胸が目に入る。

「いや、もう少し・・・」

「あなたも、登校拒否にならないでよ」と、範子さんは諭すように言った。

「はい」

 僕は小さく返事をした。でも、このままじゃ家に帰れなかった。もう少し、ここに隠れていたかった。冷凍庫と冷蔵庫が並ぶ、この通路に。

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