第五十五話 芽依

 俺は自分の部屋に戻ると、何か投げるものはないかと部屋を見渡していた。


 いつも芽依に小石で窓をぶつけられてるから、今回は俺がやり返そうと思った。


 不意に机の上にあるグミチョコに目が止まった。俺はよくそれを食べながら宿題をやっていた。


 これでいいよね……


 俺は窓を開けて、グミチョコを一粒手にもって、芽依の窓めがけて投げ飛ばした。ピンという音がして、グミチョコは下に落ちてしまった。母ちゃん、食べ物を粗末にしたことはあとで謝るから……


 反応がない……ただの窓のようだ。それもそうか。明日は土曜日だから、芽依は親と外食してるのかもね。あと一粒投げて反応がなかったら、夜になったらまた出直そう。


 そう思って、俺はもう一粒を投げた。


 ふと、芽依の窓が開いて、グミチョコは芽依の口に入っていった。


「美味しい……」


 そういう割には、芽依はあんまり元気がないような感じ。


「芽依」


「いっき……」


「ごめんね」


「なんで謝るの?」


「芽依に心配かけちゃったから」


 芽依はその言葉を聞いて少し目が潤んだ。


「みんなの気持ちを考えていなかった……ごめん」


「いっき、それ最初に夢咲さんに言ったの?」


 芽依の思わぬ言葉に俺はびっくりした。


「謝ったよ」


「そう、ならよかった」


 芽依はなぜかほっとしたような顔になった。


「夢咲さんがいっきにしたことを私は近くで見てきたからよく分かるよ。いっきからしたらとても許せないことだってのも分かる。でも、昨日の話を聞いて、いっきは酷いと思った」


「うん、俺も思った……」


「私たちは人生をいっぱい歩いてきたおじいちゃんとおばあちゃんどころか、考えが成熟した大人ですらないのだよ? 夢咲さんがお父さんのことでそうなってもだれに咎める権利があるの? まだ中学生なのに、彼女の不幸を差し置いて、全部彼女のせいにする人間は大人げないと思うよ」


「分かってる。でも、辛かった」


「当事者のいっきはつらいのは当然だと思うけど、夢咲さんの気持ちは、考えたことある? 私もそれ聞く前は夢咲さんのことすごく悪く思ってた。知らないからだよ。夢咲さんの過去を。それを知ったいっきに拒絶されたら、夢咲さんにはもうなにもないと思うよ……」


「うん」


「当事者はいっきだけじゃないよ。女の子の私なら分かるよ。夢咲さんは好きでもない人とやったのはどれだけつらいことかいっきには分からないよ」


 芽依はいつもと違う雰囲気で言葉をつづけた。


「女の子は男より強いとかいうけど、違うの。女の子は弱いの。ましていっきにも見放されたと思うと、夢咲さんは自暴自棄という言葉じゃ片づけられないの」


「そうか……」


「夢咲さんの過去のことを許せとは言わないけど、いっきにお金を返しに来て、すべてをいっきに話したときは、彼女が一番弱まっている時だと思うの。それを、いっきは「何もなかった、何も聞いていなかった」といって追い返したんだから」


「ごめんなさい」


「夢咲さんのこと許してないのに、こうやって私に謝って許しを乞って来たら、ほんとにもう話を聞くつもりはなかった。でも、いっきはえらい! ちゃんと夢咲さんに謝ってきたんでしょう?」


「うん。結月のことはもう許した」


「人をことを許せないのに、人の許しをもらえると思ってるような人間に、いっきがなってほしくないから」


「芽依」


「なに?」


「大好き」


 そういうと芽依の顔は真っ赤になって、いつもの口調に戻った。


「どさくさに紛れて何をいうのよ!」


「いや、その、恋愛の好きとかじゃなくて、芽依がいてよかったなって。家族として大好きだなって」


「そういうことは私と結婚してから言ってよ!」


「ごめん……」


「わかってるって! 姫宮さんのことが好きなんだろう。私はこれからも頑張るつもりなんだ!」


「辛くない?」


「もう、いっきのバカ! さっき言ったばかりなのに! 人の気持ちを考えられるような人になってほしいって。なのになぜ分かってくれないの?」


「ごめん、すごくつらいよね」


「うん……」


「でも、自分が辛いのに、先に俺のこと、結月のことを考えられる芽依が誇らしい。芽依の幼馴染でほんとによかった」


「幼馴染だけじゃ、もう満足しないけどね」


「一回だけ、いうことなんでも聞いてあげる」


「ちょっと待って! それってほんと?」


「うん。なにかしてほしいことはある?」


「ごめん、今は大丈夫! いうこと聞いてもらうから!」


 なんか嫌な予感がする。こんな約束しなきゃよかったのかな。


 でも、芽依にはほんとにどうしようもないほど、たくさん支えてもらったから、これくらいのことはしなきゃだめだよね。母ちゃん、たとえ、芽依は俺の膵臓が欲しいと言っても多分あげちゃうと思う。なんせ二つもあるから……


「あとは、ちゃんと芽依に謝らなきゃね。ごめんね、芽依、心配かけちゃって」


「バカ。心配するの当たり前じゃん……大好きな人だから」


「念のために聞くけど、どういう意味の好きなの?」


「旦那にしたい感じの好きかな」


「やっぱり」


「まあ、性格悪いって言われてもいいや。いっきと姫宮さんが別れたら、絶対速攻でいっきを食べちゃうから」


 芽依の「食べる」の意味はなんとなく想像がつく。想像がつくだけに、それってどういう意味かなんては聞かないことにしとく。


 心もそうだが、体の反応でも姫宮を裏切りたくないから。絶対芽依にそれを聞いたら、男として、姫宮を裏切るような反応を体がしてしまうに違いないから。


「ガオーって食べちゃうんだからね!」

 

 俺が黙ってると、芽依は手を挙げてライオンを真似をして見せた。可愛い生き物だ。


「芽依に伝えなきゃいけないことがある」


「なに?」


「明日、姫宮に告白してくるつもりだ」


「そう?」


「それだけ?」


「私がなんか言ったら、やめるの?」


「それは……」


「じゃ、さっさと告白してこい! 当たって砕けろ!」


「砕けたくないけどな」


 俺がそういうと、芽依が邪悪な笑みを浮かべた。強がっているのがひしひしと伝わってくる。ごめんね、芽依……


「グミチョコもう一個食べる?」


「うん!」


 俺はもう一粒を取り出して、芽依の口めがけて投げたら、それがひょっと芽依のパジャマの中に入っていった。


 すると芽依の艶めかしい声が聞こえてくる。これ以上煩悩を増やしたくないから、俺は静かに窓を閉めた。


 芽依がジタバタしてるのが窓越しに見えた。ほんとに芽依がそばにいてくれてよかった。


 そのあと、俺ははるととれんに電話をして、すべてをありのままに伝えた。


 そして、大事な明日に備えるために、俺は布団の中に潜って、眠った。


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