第五章

第四十一話 追憶Ⅰ

 入学式が終わって、教室に入って、席に座って回りをそわそわ見ていたら、面白い男の子が見つかった。


 その子は拳を握って、頭を拳に当てて、祈りを捧げているようだった。


 なにを考えているのだろうと私は彼に興味を持った。そして、彼に興味を持ったのはどうやら私だけじゃなかったみたい。


 彼の後ろと横の席の子が彼に話しかけた。早速友達が出来たみたいで微笑ましい。


 それから、昼食を食べる席が近いせいか、彼と友達の会話がよく聞こえてくる。彼はいつも綾瀬くんと天沢くん、それに幼馴染の有栖さんと一緒に昼休みを過ごしている。


「いっき、こら、ちゃんとピーマンも食べなさい!」


「芽依もそれ嫌いじゃん! なんで弁当に入れたんだよ」


「いつき、芽依の言葉は絶対だよ」


「はると、お前は芽依に甘すぎるよ!」


「おっぱいがでかいからはるともメロメロになっちゃったりして」


「そんなことないぞ! れん」


「れん、その口ひっぺがすよ?」


「それだけはやめてー!」


 彼らの会話を聞いてたら、私はくすりと笑った。友達になになに? って聞かれて、ちょっと昨日の番組が面白くて思い出し笑いしちゃったってごまかした。


 秋月樹くんか、有栖さんはいっきと呼んでいるけど、それも面白くて、大学とかに進学して、飲み会とかに行ったらいじめられそう。そう思うと、私はまたこっそりと笑った。


 彼は時折、私のほうを見てくる。なんか子犬みたいでかわいかった。私に可愛がってほしいけど、私が怖くて近づけないような感じ。ますます、この子はなにを考えているのか知りたくなった。


 こうしている間に、私は目で彼を追うようになっていた。私がいつも彼を見ているのか、それとも彼がいつも私を見ているのか分からないけど、私たちはよく目が合う。


 目が合うたび、なにか分からない感情が心をくすぐって心地が良かった。





 中二になって、残念ながら私と彼は別々のクラスになった。友達に結月って最近なんか悲しそうって言われるけど、そんな自覚はなかった。


 でも、時折廊下で彼とすれ違ったら、私は振り返って彼に笑顔を見せるようにしていた。なんでなのかは分からないけど、こうでもしないと、彼に忘れられそうな気がしたから。


 二日続き廊下で会ったら、彼はいつも二日目に眠たそうにしていた。なんだかコアラみたいで可愛いなって思った。





 そして、中三になり、彼とはまた同じクラスになった。うれしいと思ったのだろう。結月にやけてるよって友達にからかわれた。


 その日、私は彼に校舎裏に呼び出された。ろくに会話もしていなかった彼から声かけてくれたのは不思議だった。


 「あの……初めて……」


 初めましてって言おうとしてるのかな? 中一は一緒のクラスだったのに、忘れられたのかな。そう思うと少し心が痛んだ。


 でも、それを彼に悟られないように、私は冷静を装った。


「落ち着いて、秋月くん、ゆっくりでいいよ」


「俺の名前を覚えててくれたんだ……」

 

「クラスメイトの名前は覚えるでしょう。おかしな人~」


 ほんとは最初から彼の名前を知っていた。でもそんなことを彼には言えない。次の瞬間、私の心が激しくどきどきした。


「好きです! 付き合ってください!」


 耳を疑った。ずっと見つめていた男の子が自分のことが好きだって言ってくれた。私は思わず「はい」ってうなずいた。


 やっと分かった。私は彼に恋していたんだね。恋愛経験のない私は二年間、ようやくこの気持ちの正体に気づいた。恋、私にとっての初めての感情。


「これからよろしくね、秋月くん」


 私は喜びを抑えて、彼にそう言った。





 私と彼は恋人になった。そして、一緒に下校するようになった。彼の幼馴染の有栖さんもいるけど、それでもすごく幸せだった。


 恋人ってなにをするものかは私には分からないが、すくなくとも彼と一緒にいるだけで心が満たされていった。


「秋月くんの『月』と私の結月の『月』は一緒だね」


 私は二人の共通点を見つけて、子供みたいにはしゃいだ。この幸せがきっとずっと続くものだと思っていた。 


 だが、幸せは続かなかった……


 お父さんは別の女と駆け落ちして家を出て行った……残されたのは働いたこともないお母さんと私だけだった。


 私は呆然と愛とはなにかついて考えだした。お父さんはお母さんと愛し合って結婚したというのに、なんでこんなことになったのだろうと何度も自問自答した。でも答えが出なかった。


 それから、私は恋も愛も信じられなくなった。それは一時的な錯覚でしかないってお父さんに思い知らされた。でも、私は彼、いつきくんを信じてみたかった。しかし、結局それが出来なかった……


 お母さんが働きに出て、少しでもお母さんの負担を減らそうと、私は彼に金をねだった。私は彼を試した。ほんとに私を好きなら、愛しているなら、それくらいできるはずだって。


 実際、お母さんが貰えるお金は僅かなものだった。彼から金を貰わないと、私は何も食べれなかった。だから、試すのもあるが、私は彼の援助が必要だった……


 彼は嫌な顔もせずに金を渡してくれた。それがまた私を不安にさせた。何も言わないのは、ほんとは私に幻滅しているんじゃないかって。だから、私は彼の愛を試すためにどんどん多くの金を要求した。


 けど、彼を試しているうちに、ますます彼を信じられなくなった。私たちの間にはもう愛がなく、彼は金で私を買っているんだって思ってしまった。彼はもう私のことをただの金目当ての女だと軽蔑しているのだろうと私はどんどんそう思うようになった。


 彼にはすべてをぶちまけたかった。でも、彼を信じられなかった。私の事情を話して、もし彼が嘲笑って私を捨てたら、私はなにもかも壊れてしまう気がしたから。


 だから、私は彼と距離を置いた。私の噂を聞きつけた男子は金を渡してくれて遊びに行こうって誘ってくれる。多分、それは誘いというより命令に近かった。金を渡したんだから、ついてこいって。そして、それがまた私を不安にさせた。彼もいつかこうなるんじゃないかって。


 彼と遊園地に行った時に彼が気を失っても、私を好きな男子に彼が殴られても、私は見て見ぬふりをしていた。彼はもう私のことを愛していない。ならば、私も彼への感情を抹消しないと、後々苦しいのは自分だけだって。お母さんみたいに……


 彼を大切にしたら、した分だけ、捨てられたときの自分がみじめだと思った。


 一度だけ体を売った。いつも私に金をくれた男子が私を家まで連れて行って、一万円を渡してくれた。一万円、それは今の私にとってどれだけ必要な額なんだろう。


 その男子との行為は吐き気がした……初めては彼にあげるつもりだった。そう思うと心が壊れていく。


 行為中に彼から電話が来た。私は薄い期待を抱いていた。彼は私を怒ってくれるんじゃないかって。私にどこにも行くな、俺のそばに帰ってこいって言ってくれるんじゃないかって。そしたら、私は彼の愛を信じられるようになってまた恋人として一緒にいられるんじゃないかなって……


 だが、電話に出ても、彼はなにも喋らなかった。その男子は誰って聞いてきたから、私は救いを求めるように彼氏って答えたけど、その男子はいい所なのに、邪魔すんなよ! って吐き捨てた。


 お願い、なにか言って、いつきくん……私を責めて?……愛してるって言って……


 結局何も言われずに電話は切られた。私は絶望した。もはや愛は信じられないものだとまた思い知らされた。でも、もう吐き気はしたくないから、私はその男子との関わりを切った。そして、その日のことを頭の隅っこに封印した。忌々しい記憶……


 彼はもう私を愛していない。私はそう確信した。私に金を渡している時の彼の顔からはもはや昔の優しい表情がなくなった。


 愛している人に愛されてないのはこんなにつらいものだと思い知った。だから、私は彼に別れを切り出した。そもそもまだ恋人かどうかも怪しい。多分、まだ彼に期待しているのだろう。俺は結月のことが好きって言われて引き止められたかった。


 来月になったら払えるって彼は言った。払うってなに? 私のことはもはや恋人と思っていないじゃない……?


 結局、私はお母さんと同じで、愛する人に捨てられた。もう何もかも失った気分になった。そのあと、私は男子の誰とも話さずに、中学校を卒業した。


 お母さんの給料だけで、ちゃんとしたごはんを食べていくのも難しい。気づいたら、私は瘦せていて、服も下着もすべてバーゲンセールで買ったものになっていた。


 高校生になって、私はアルバイトを始めたけど、お母さんは病気気味になった。そして、高2になって、お母さんは過労死で他界した……私の人生は不幸だって思いを噛み締めさせられた。

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