第15話 危険地帯に入る。

 ケレンを発って2日後。僕たち開拓団は、北西部にほど近い都市シエールに入った。



 シエールの人口は1200ほどで、都市としてはかなり小規模。ルフェーブル領に3つある都市の中でも最小だ。


 北西部から魔物が溢れた際はここが防衛拠点となるので、領軍の精鋭や、賦役として集められた徴兵軍が常駐している。



「ティエリー閣下。開拓団一同、到着いたしました」


「ああ、よく来たな。今日はゆっくり休んでくれ」



 ヨアキムさんの挨拶を受け取ったのは、シエールの領主エルランド・ティエリー士爵。

 危険地帯に面した都市を治めるという仕事柄か、鋭い目つきと鍛え上げられた肉体が印象的な壮年男性だ。



 この日はシエールに宿泊し、翌日の空がやっと明るくなりはじめたくらいの早朝に、開拓団は北西部に向けて出発した。事前にシエールに集積されていた物資も運ぶので、ここからはかなりの大荷物だ。



 シエールを発って数時間もすると、周囲の様子が明らかに変わってくる。


 このあたりまでは兵士が定期的に見回ってある程度の安全が保たれているけど、ここから先は70年近く人が踏み込んでいない、正真正銘の魔境だ。



「それでは、我々はここまでだ。開拓団諸君の健闘を祈る」



 自ら馬に乗って自身の従士隊を連れ、この境界まで開拓団を護衛してくれたティエリー士爵は、そう言葉を残して帰っていく。これで本当に僕たちだけになった。



 僕たちが進む方向は、これまで来た道とは明らかに様相が違う。


 土を固めただけだった街道はとっくの昔に草に埋め尽くされて面影もなく、かつて道を通すために切り開かれた森も、新しく生えた木に包まれて自然に還っていた。



 僕たち来訪者の定位置は、開拓団の馬車列の先頭、来訪者が乗る専用の馬車の上だ。


 冒険者の1人に御者を務めてもらい、その後ろ、トラックの荷台のように広いスペースに自分たちの身と荷物を置いている。


 ここなら周囲の状況がよく見えるので、僕もゴーレムを操りやすい。



 僕たちの馬車の左右には、護衛冒険者のヴォイテクさんが率いるパーティー「荒ぶる熊」の面々も並んでいる。彼らはゴーレムが万が一魔物に突破されたとき、僕たちを守ってくれる最後の砦だ。



 前進する前に、まずマイカが探知で様子を探る。



「……探知できる範囲で大きな魔物は5匹ですね。でも、いちばん近い魔物でも300m以上は離れてます。大きさはホーンドボアの3倍……いえ、5倍はあると思います。でもまだ近づいてくる様子はありません」


「そうか。だが一応警戒しながら進もう。リオ殿は先頭と右側面のゴーレムをいつでも動かせるようにしておいてくれ」


「分かりました」


「それと、万が一の際はヴォイテク、頼むぞ」


「へい」


「では全員、前進!」



 ヨアキムさんのかけ声で、開拓団はついに魔境へと進み出す。


――――――――――――――――――――


 森に埋まっていた街道の跡地を通り抜けるとき、最初の魔物と遭遇した。体長3mはあろうかというオークだ。


 正面から突っ込んできたオークに僕がゴーレム3体を充てると、ゴーレムは相手の猛攻を躱しつつ腕や足を重点的に狙う。その後方から、ヨアキムさんと冒険者が囲む。



「まだ油断はするな!ゴーレムの後方で備えろ!包囲は崩すなよ!」


「左後方からも魔物が近づいてきます!たぶんこの戦闘の音で気づかれました!」



 オークの片手片足を折り、そろそろ止めをさせるかというところで、早くも2体目の魔物が迫ってきたらしい。



「来訪者の旦那、あのオークはゴーレム1体と冒険者だけでもう大丈夫だ。残りは左後方に充てた方がいい」


「……はい!」



 僕の横で護衛に就いているヴォイテクさんに言われ、ゴーレムのうち2体は次の魔物への備えとして移動させる。



 その直後、木々を抜けて飛び出してのは、大きさがトラックほどもある猪だった。



「グレートボアが来やがった!くそっ!」



 馬車列後方を守る冒険者が嘆く声が聴こえる。



 突進してくるグレートボアと、それに向かっていく4体のゴーレムたち。



 先行していた1体が足元に滑り込むようにして前足の1本を叩き折ると、「ブボオオッ!!」という鳴き声を上げながらグレートボアは前のめりに倒れる。


 続く2体のゴーレムがホーンドボアのときと同じように眼玉を腕で貫くが、頭が大きすぎて傷が脳までは達しない。


 視界を失ったグレートボアは、残る3本の足で立ち上がり、絶叫しながらめちゃくちゃに体を振り回す。


 もの凄い暴れっぷりだ。人があれにぶつかりでもしたら、内臓破裂で即死間違いなしだろう。



 そこへ突っ込んでいったのが、ゴーレム専用に作られた鉄槍を持たせてある1体。


 ケレンの鍛冶師によって作られた鉄槍は、ちょっとした柱ほどの太さと重さがある、ゴーレムにしか扱えない武器だ。


 それがグレートボアの横っ腹に真っすぐ突きこまれる。その一撃でさすがに動きが鈍ったところへ、さらに2撃目、そして3撃目。


 他のゴーレムも頭に取りついて拳を突き込む。数発でグレートボアは動かなくなった。



 長く感じた戦いも、終わってみれば10分もかかっていないだろうか。



「もう周りに魔物はいません」というマイカの報告を受けて、ヨアキムさんの指示のもと、オークとグレートボアの魔石回収作業が行われる。


 今は先を急ぐので、死体は放置だ。



「オークとグレートボアを危なげなく仕留めるとは。模擬戦のときも凄いと思ったが、攻撃に転じたゴーレムの力は尋常じゃないな」



 ヨアキムさんにそう声をかけられた。



「ありがとうございます。とは言っても……さすがにあんなのが出てきて少し驚きました」


「だろうな。本来オークは森の奥深くでしかお目にかかれないし、グレートボアなどと出くわした日には中隊規模の軍でも崩壊を覚悟するものだ。恐怖を感じて当たり前だ。それをほぼ1人で仕留めたのだから、常識知らずだよ、貴殿は」



 そう言って苦笑するヨアキムさん。ゴーレムの尋常じゃない強さを目の当たりにして、驚きを通り越して呆れているらしい。



 開拓団の面々も、「オークやグレートボアをこんなにあっさりと……」「冗談だろ……」と驚愕していた。



「それに、マイカ殿の探知も見事だ。グレートボアの接近に事前に気づけなければ、今ごろ開拓団のど真ん中に突っ込まれて壊滅していたかもしれない。来訪者の力は本当に凄まじいな」



 その後も1時間に1回ほどのペースで魔物と遭遇した。王国領土の内部ならあり得ないペースだ。


 ただ、戦闘自体は短く、1体が相手なら5分足らずで、複数体が来ても10分未満で片付く。


 今のところ、不意打ちさえ避けられれば、ゴーレムたちなら十分に魔物に対処できるだろう、という印象だ。



 オークやグレートボアばかりではなく、ホーンドボアやゴブリンなど、これまでに見たような魔物も出てきた。


 ヨアキムさんや冒険者たちによると、普通ならホーンドボアでさえこんな森の浅いところや平原で見ることはないという。


 ましてやオークやグレートボアほどの強力な魔物とこれほど頻繁に遭遇するなんて、まずあり得ないそうだ。



 森の奥深くにしかいないはずの魔物が、当たり前のように平原を闊歩する土地。この北西部がいかに特殊な環境かをいきなり痛感させられることになった。


――――――――――――――――――――


 魔物との遭遇回数は多かったものの、戦闘時間が思いのほか短く済んだので、この日のうちにぎりぎりクレーベル跡までたどり着いた。


 建物の残骸にゴブリンの群れが住み着いていたけど、ゴーレムに軽く暴れさせたら簡単に逃げ出していった。



 日暮れまでもう時間がない。村の建物などがどれくらい無事か検証するのは明日からにして、ひとまず急いで野営の準備に入ることになった。


 数軒の建物に囲まれた広場に開拓者全員で固まり、建物と建物の間にゴーレムを、屋根には冒険者を配置して、マイカの探知と併せて周囲を見張る。


 保存食の黒パンと干し肉を齧り、その日は早々に眠った。



 そして翌朝。



「ご主人様、お目覚めください」



 カノンに声をかけられて、僕はテントの中で目を覚ます。


 他の開拓者たちは地面の上で野宿だったけど、僕は睡眠が浅くなって魔力を回復し損なったりしたら大ごとなので、1人テントの中で眠っていた。


 カノンも一緒に寝ていたけど、僕より先に起きていたみたいだ。


 起き上がった僕に、カノンがお茶を渡してくれた。



「ありがとうカノン。おはよう」


「おはようございます。ご体調は大丈夫ですか?」


「……うん、大丈夫みたい。魔力もちゃんと回復してる」



 濃く淹れられたお茶で目を覚ましながらテントを出ると、他の開拓者たちは皆もう起きている。



 マイカを目で探すと、野営地の中心あたりに座っていた。明らかに疲れと眠気が溜まっているみたいだ。その隣に座るミリィはもう頭がこくりこくりと揺れている。



「おはようマイカ。夜中に襲ってきた魔物はいた?」


「リオ、おはよう……えっとね……デビルヴァイパーっていうヘビの魔物が何回か近づいてきたけど、弱かったから……ゴーレムと見張りの冒険者たちで問題なく対処できたよ」


「そっか、ならよかった。ありがとう」


「いいえー……じゃあ、おやすみ……」


「あはは、そうだよね。おやすみ」




 マイカは既に半分寝ているミリィを連れて、さっきまで僕とカノンが使っていたテントに入っていく。


 最も危険な深夜に魔物の奇襲を受けないよう、マイカは一睡もせずに探知を使っていた。ミリィもそれに付き添って起きていたみたいだ。なので、彼女たちはこれから昼まで眠る。


 マイカが眠っている間に周囲の警戒にあたるのは、ゴーレムを操る僕と、光魔法で視力を強化できる従士ティナだ。


 今後クレーベルの周囲の魔物狩りを行って、この一帯の安全を確保できるまでは、こうして常に来訪者のどちらか一方が起きているよう睡眠をずらすことになる。



「リオ殿、おはよう。魔力は問題ないか?」


「おはようございます。大丈夫です。完全に回復しています」



 マイカと同じく不寝番をしていたヨアキムさんに声をかけられる。彼も昨日の朝からずっと起きているはずなのに、特に眠そうには見えない。



「そうか、それならよかった。あそこに神殿の鐘楼が見えるだろう?あの上からなら周囲を全方向見渡せるから、ティナとヴォイテクと上って見張りを頼む。私は村内の建物の跡を見て回るから、何か異常があったらヴォイテクの指示に従ってゴーレムで戦ってくれ」


「分かりました。……あの、ヨアキムさんは寝ないんですか?」


「私か?明け方に1時間ほど仮眠したから大丈夫だ。もともと領軍にいたし、開拓団を率いると決まってからはラングレー隊長に直々に鍛えてもらったからな。これだけ眠れば今日1日は十分に動けるさ」



 そう笑いながら去っていくヨアキムさん。


 昨日あれだけ歩いて魔物とも遭遇して、さらに徹夜で見張りをした上で、1時間の仮眠だけで動けるのか。どれだけ体力があるんだ。


――――――――――――――――――――


 ヨアキムさんに指示された通り、僕はティナとヴォイテクさんと神殿の鐘楼に上って周囲を監視している。


 過去の実験で、ゴーレムに意識で命令を下せる距離の限界は100mほどだと分かっている。


 ここから半径100mなら野営地の周辺全域をカバーできるので、辺りを見下ろしつつ、ゴーレムに適宜指示を出して戦わせることができる。



「んー。意外と魔物見かけませんねー」



 そう言いながら光魔法で視力を高め、辺りを見回しているティナは、開拓団唯一の魔法使い。子爵家に仕える従士で、現在17歳だと聞いている。



「夜中にデビルヴァイパーを狩ったらしいからな。夜行性の魔物は今はこの辺りにおらんだろうし。昼行性の魔物が本格的に動き始めるまでは何事もないかもしれん」



 ティナにそう返したヴォイテクさんも、彼女の補助として周囲を見張っていた。



 僕も一応見張りに加わっているけど、あくまで僕の役割はティナの報告やヴォイテクさんの指示に従ってゴーレムを動かすことなので、申し訳程度だ。


 見張るというよりは、下で開拓団の皆が建物の確認を行っているのを眺めていると言った方が正しい。



「ああ、僕もマイカから聞きました。弱かったから平気だった、みたいに言ってましたけど」


「いや、デビルヴァイパーも弱くはないんだが……というか普通は集団で対処するような危険な魔物なんだが、あのゴーレムからすれば敵じゃないだろうな」



 ヴォイテクさんの声にため息が含まれる。彼もゴーレムの強さに呆れている1人らしい。



「……ねえ、リオさんってあの奴隷の子、確かカノンちゃんですっけ?とラブラブなんですか?」


「はあ?いきなり何」



 まだあまり話したこともないティナの、突拍子もないプライベートな問いに、思わず間抜けな声が出てしまった。


 危険な開拓地のど真ん中で見張りをしながら恋愛トークとは。従士で魔法使いとはいえ、さすがは10代女子だ。



「だって、どう見ても相思相愛って感じじゃないですか。マイカさんや私と話すときと、あのカノンちゃんと話すときじゃ声も目も全然違うし。羨ましいなーそういうの。私もいい殿方と出会いたいなー」


「そう、頑張って……ていうか、この世界の人って僕が終身奴隷の子を大事にしてても身分差のこととか言わないよね。僕が生きてた世界じゃ『奴隷』ってもっと冷遇されるものだったから、けっこう意外なんだけど」


「だって、自分の奴隷を解放して妻にした人の例とかよくあるし?終身奴隷でも貴族様に気に入られて妾になったって話も聞いたことありますし。別にいいんじゃないですか?ねっヴォイテクさん」



 そうティナに聞かれたヴォイテクさんを見ると、「何でこんな話を俺に振るんだ」と言いたげに顔をしかめている。



「……まあ、このルフェーブル領あたりは身分差も緩いから、好きにすりゃあいいんじゃねえか?逆に東部の方は奴隷の扱いにうるさい場所もあるらしいから、旦那もあの奴隷の娘を連れて行くことがあったら気をつけな」



 強面で髭も伸ばしていて、顔には刃の傷跡まであるヴォイテクさんだけど、話してみると意外と優しい。



 魔物との連戦が続いた昨日から一転して、この日の午前中は幸運にも襲撃を受けることなく過ぎていった。

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