第37話 センパイ、様子を見に来てくれたんですか
吉乃ちゃんは暗い廊下をためらいなく進み、私と六条さんが慎重に続いていく。
「着きました」
吉乃ちゃんが暗い図書室の入り口で立ち止まる。
ああ、ほんとうは図書室じゃなくて理科室に行きたかったんだけどな。美幽センパイ、待ちくたびれてなきゃいいけど。
私が気落ちしている横で、六条さんが緊張したように息をのんだ。
「では、参りましょうか」
「ちょっと待ちなさいよ。心の準備ってものがあるでしょう」
六条さんは吉乃ちゃんが図書室に入ろうとするのをとどめ、胸に手を当てると、はーっと大きく息を吐き出した。
私は吉乃ちゃんと顔を見合わせた。
「六条さん、怖いならここで待ってる? 私と吉乃ちゃんで見てくるから」
「こっ、怖くないって言ってるでしょう! ぜんぜん大丈夫なんだから。さあ、行くわよ!」
六条さんは語気を強め、肩をいからせてずんずん中に入っていく。
いつもは明るい図書室のエントランスは、すっかり闇に沈んでいる。そして、奥に立ち並ぶ本棚の群れが、黒いシルエットを不気味に浮かび上がらせていた。
「では、手分けして幽霊を探しましょうか」
「守谷さんってほんとうに動じないわね」
六条さんはすっかり呆れ返っている。
――やっぱり、吉乃ちゃんには見えているの? 美幽センパイがいる世界が。
私はそんな疑問をひそかに抱きつつ、二人と別れ、本棚の林のなかを懐中電灯の光を頼りに緊張ぎみに進んでいく。
理科室では今も美幽センパイが人体模型と一緒に私たちの訪れをじっと待っている。早く図書室を抜け出して、理科室に行かないと。
「キャ――ッ!」
突然、闇を切り裂くような六条さんの甲高い悲鳴が響きわたった。
「どうしたの、六条さん!?」
私はびっくりして六条さんの元に駆けつけた。
「あ、あ、あれ……」
六条さんはぺたんと尻もちをつき、震える人差し指で暗闇の先を指し示した。
暗闇のなかに、理科の実験で使う白衣を着た女の子の姿が浮かび上がっていた。
女の子はすらりと背が高く、顔は長い髪にかくれてよく見えない。
大きな本を開き、なにやら調べものをしているようだ。
私の肩からどっと力が抜けていく。
なぁんだ。美幽センパイ、図書室に来てたんだ。
待ちくたびれて、様子を見に来てくれたのかな?
理科室に行くからって、わざわざ白衣まで着て。
私が安堵する一方で、六条さんは大きく口を開け、ひどく混乱していた。
「ほ、ほ、本が空を飛んで、ひとりでに開いてるぅっ!?」
そっか、六条さんには美幽センパイが見えないもんね。
本が勝手に宙に浮かんでいたら、そりゃ驚くってもんだ。
その時、私の横を小さな身体が風のように駆け抜けた。吉乃ちゃんだった。
「お覚悟を!」
吉乃ちゃんは勢いよく地を蹴り、懸命に手を伸ばして本をつかみ取ろうとした。
美幽センパイはびっくりして、さっとその場から逃げ去ってしまった。本が手からこぼれ、ばさっ、と床に落ちた。
「吉乃ちゃん!」
私は吉乃ちゃんに駆け寄った。
吉乃ちゃんが本を拾い上げ、懐中電灯の光を当てて中身をたしかめる。
「お菓子作りの本でした」
吉乃ちゃんは私にも本を見せてくれた。
美幽センパイ、昨日調べものをするって言ってたけど、もしかして私にお菓子でも作ってくれるつもりなのかな?
……って、今はそれどころじゃない!
私は吉乃ちゃんをまっすぐ見つめた。
吉乃ちゃんが私の視線に気づき、不思議そうに小首をかしげる。
私は一瞬ためらい、それからずっと抱えていた疑問をついに吉乃ちゃんにぶつけた。
「やっぱり、吉乃ちゃんには見えていたんだね」
「はて、なんのことでしょう?」
「とぼけないで。今、幽霊に向かってまっすぐ飛びこんでいったよね? 吉乃ちゃんにも見えたんでしょう?」
「わたくしは宙に浮かぶ本を取ろうとしただけ。幽霊なんて見えませんでした。それより、旭さんにはなにかが見えたのですか?」
「……ううん。なにも」
逆に吉乃ちゃんにたずね返され、私はすぐに引っこんだ。
吉乃ちゃんの言葉の真偽がまだ分からない以上、私もあまり深くは追及できない。
もし、吉乃ちゃんに美幽センパイの姿が見えているのなら、私もかくす必要はない。
けれども、もし吉乃ちゃんがほんとうに見えていないのだとすれば、美幽センパイの存在を自ら進んで打ち明けるようなことはしたくない。
「痛たた……」
六条さんはお尻の辺りをさすりながらうめいている。どうやらビックリして尻もちをついた時に、強く打ったみたいだ。
「六条さん、大丈夫?」
私は六条さんのほうをふり返り、手を差し伸べた。そして、六条さんの身体をゆっくり支え起こした。
今回の目的は、学校にいる幽霊を見つけ、家庭科室を荒らした犯人が私じゃないと証明することだ。
理科室の人体模型ではなかったけれど、六条さんがこうして怪奇現象に驚いてくれた以上、その目的はもう果たせたよね?
「六条さん。やっぱり吉乃ちゃんの言う通り、幽霊のせいなんじゃないかな。これで犯人が私じゃないって分かってもらえた? もう帰ろ……」
「認められないわ!」
予想に反して、六条さんの強い声が返ってきた。
「えっ? だって、六条さんも見たでしょう。本が宙に浮かんでいるところ」
「なにかトリックがあるはずよ。目には見えないワイヤーでつり上げられていたとか」
六条さんは本棚に近づき、探偵みたいに現場をくまなく調べはじめた。
どうやら六条さんはなにがあっても幽霊の存在を認めたくないらしい。
しばらくして、六条さんは顔を上げると勇敢に言い放った。
「次は家庭科室を調べるわよ!」
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