第9話 センパイ、推しの子を見つけたんですか

 家庭科室で美幽センパイと別れた私は、教室へと足早に向かった。

 朝礼のチャイムが鳴るほんの数秒前に教室にすべりこみ、自分の席で呼吸をととのえる。

 八時三十分。朝礼がはじまり、クラスメイトたちと共に立ち上がって礼をする。


「おはようございます」

「はい、おはようございます」


 声を返したのは、担任の若杉恵子先生。教科は国語だ。

 名字を見ると若そうだけれど、白髪まじりのベテランの先生だ。

 小柄で親しみやすさを感じる反面、怒ると怖そうな風格もただよわせている。

 若杉先生は、席に着いた私たちの顔を見わたした。


「最近、いじめや言葉の暴力などがニュースになっていますね。とても心が痛みます。このクラスでは、そのようなことが絶対にないように。いいですね」


 若杉先生は念を押すように声に力をこめる。教室のみんなは緊張した面持ちでうなずいていた。

 朝礼が終わり、若杉先生が去っていく。


「あの先生、どうも引っかかるのよねぇ」

「美幽センパイ!?」


 突然、美幽センパイの声が上から降ってきて、私は飛び上がるほど驚いた。

 視線を上げると、やっほー♪ と宙に浮いた美幽センパイが気さくに手をふっていた。

 私は周囲の目を気にしつつ、ひそひそと小声で話した。


「センパイ、教室には来ないでって言ったじゃないですか。センパイと話していると、私、独り言をつぶやいている変な子だって思われちゃう」

「ごめんごめん。私もそう思ったんだけどね。旭ちゃん、友だちを欲しがっていたじゃない? 誰かいい子がいないか、教室を見学してみたくなって。ねっ、いいでしょう?」


 美幽センパイは手を合わせ、「お願い♪」と甘えるようにねだってくる。

 美人はなにをしても絵になってしまうから、ずるい。

 

 美幽センパイが成仏しないのは、人助けがしたいからだ。

 だから、私の友だちを作る手助けだって、きっとしたいにちがいない。

 もちろん、私だって友だち作りに協力してもらえるなら嬉しい。

 それに、悪い幽霊なら見返りを要求してきそうだけど、優しい美幽センパイに限ってその心配もなさそうだ。


 私は小さくため息をつき、うなずいた。


「まあ、見学くらいなら」

「ありがとう、旭ちゃん!」


 美幽センパイは嬉しそうに腕を伸ばし、私に抱きついてきた。


「寒っ!?」


 たちまち背中にぞぞっと悪寒が走り、叫びそうになる口を両手であわてて抑えた。

 美幽センパイはにこやかに目を細めて教室を眺めまわす。


「やっぱり一年生は初々しくてかわいいなぁ。ムフフ」

「センパイ、頬がゆるみ切ってますよ」

「いけない、私ったら。かわいい女の子を眺めるのが趣味だから、つい」

「前にそんなことをおっしゃっていましたね。それとアイドルの動画を見るのが好きなんでしたっけ」

「旭ちゃん、覚えていてくれたの?」

「そりゃあ、まあ。……センパイは私の友だちなわけですし」


 私は前髪をいじりながら、ぼそっと告げた。

 私とセンパイは友だち同士――そういう話をさっき家庭科室でしてきたばかりだ。


 でも、いざ面と向かって声に出すと、やっぱり照れくさい。

 もじもじしながら美幽センパイの表情をうかがうと、センパイは口元をUの字にゆるめ、なにか言いたげな目でニヤニヤしていた。


「な、なんですか?」

「うふふ。やっぱり旭ちゃんは最高にかわいいな~と思って」

「やめてください。別にかわいくなんてないし」


 私は美幽センパイの視線を逃れ、頬づえをつく。

 たちまち頬に触れた手にじんわり熱が伝わってきた。

 私、きっと赤い顔をしているんだろうな。


 美幽センパイは額に両手をそえて教室のなかをのぞきこみ、明るい声を弾ませる。


「このクラスはかわいい子が多くて、当たりね。ほら、あの子なんて本物のアイドルみたい!」


 アイドル好きな美幽センパイが瞳を輝かせ、教室の中央を指さした。

 きれいな人差し指が示す方向に目をやると、光り輝く華麗なオーラを持ったクラスメイトに行き当たった。

 その少女は何人もの友だちに取り囲まれ、女王様のように君臨していた。


「ああ、六条ろくじょう瞳子とうこさん」

「知っているの?」

「名前だけは。この学院の理事長の孫娘らしいですよ。有名人です」

「どうりで育ちがよさそうだと思った。推せるわ~」


 美幽センパイと二人でじっと様子をうかがっていたら、やがて六条さんと目が合った。

 六条さんはけげんな顔をして、不快そうに眉をひそめた。私は反射的にぱっと顔を背けた。

 私は唇をとがらせ、ぼそっと不平を口にした。


「いいですよね、幽霊は。相手の顔をじろじろ見ても、とがめられないんですから」

「あら? じゃあ、旭ちゃんの顔をじろじろ眺めていてもいいの?」

「ダメです。私以外の子でお願いします」

「それなら、あの子をもっと近くで見てこようかな」


 美幽センパイは軽やかに浮遊すると、六条さんがいるグループのほうへと飛んでいってしまった。


 友だちだと思っていた人が、急に手のひらを返して私の元を離れ、他のグループに属してしまう。

 そんな裏切りを受けたような気がして、あまり面白くない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る